横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の32 昭和用水探索②

 前回の続きです。R129の交差点を潜った昭和用水路は
恩曽川左岸沿いに南下します。



恩曽川・海老堰橋
R129交差点の先は民有地のためその上を辿れません。
R129伝いに東名高速の下を潜り、東名沿いを西へ入った恩曽川に架かる海老堰橋までやってまいりました。海老堰橋から下流を望む。

恩曽川左岸暗渠
恩曽川左岸堤防上を歩いています。最近改修工事がされたようで路面のアスファルト舗装が新しくなっています。この下に昭和用水が流れているはずです。

玉川水管橋
これは恩曽川に架かる新八木間橋と上の橋は玉川水管橋です。

玉川水管橋
東側から見た玉川水管橋です。

「水管橋 どこからどこへ 行くのだろう」 doushigawa

玉川水管橋は神奈川県内広域水道企業団の導水施設です。
酒匂川水系の原水を伊勢原浄水場で浄水し、その水を綾瀬方面へ送っています。
橋に貼ってあった銘板によると
本管は内径350mm 型式はニールセンランガー
橋長は77,000mm 2連
竣工は昭和51年5月とありました。
神奈川県内広域水道企業団の設立は昭和44年です。

新八木間橋際昭和用水開渠
新八木間橋際で姿を現した昭和用水の流れです。右側の水門は恩曽川への排水用と思われます。

新八木間橋際昭和用水開渠
水門の10mほど下流から始まる昭和用水開渠水路。
ようやく滔々と流れる昭和用水を見ることが出来ました。このまま用水路沿いを辿りたいのですが草がぼうぼうと茂っています。小鮎川の堤防にあったマムシの注意看板を思い出しました。
一旦表通りへ戻ります。

玉川伏越呑口
表通りから見つけた伏越の呑口です。草やぶの中をマムシに注意しながらゆっくり近づきました。

玉川伏越
玉川伏越呑口より上流を見る。奥に玉川水管橋が見えます。

玉川伏越呑口
玉川伏越呑口です。ここで潜って玉川を渡ります。

新八木間橋際水門排水口
新八木間橋へ戻り橋を渡りました。対岸から見た橋際の水門です。水色の水門巻揚機と護岸に四角い排水口が見えます。

大相模水神社
新八木間橋を渡ったところに在る大相模水神社を訪ねました。

大相模水神社
昭和58年に神奈川県相模川西部土地改良区により建立されました。場所は玉川と恩曽川の合流点です。
所在地 厚木市船子字長ケ町156

水の神様を見るのは用水路沿いを歩いていて今日で三つ目です。磯部頭首工公園の豊受水神社、山際川伏越南の水天宮と今日の大相模水神社です。石造りで形にも共通点があります。

石井平理事長の像
石井平理事長の像 同土地改良区が平成元年10月建立。

玉川右岸吐口側
玉川伏越吐口側を見るために対岸へ渡りました。対岸より見た伏越呑口側。

玉川伏越吐口桝
玉川右岸堤防下で吹き上がった伏越吐口。右側のコンクリート板の下で吹き上がっています。左側に水門があり分水しています。

玉川伏越吐口
下流から見た玉川伏越吐口。

玉川伏越下流
企業の敷地に沿って流下する昭和用水路。

小田厚道路
小田厚道路の直前まで来ました。
開渠水路のまま小田厚道路を潜ります。

小田厚道路下流
小田厚道路を潜り抜け南西に向かう昭和用水路。

小田厚道路下流田んぼ
小田厚道路南に広がる田んぼの風景です。

小田厚南開渠水路
暗渠入口
小田厚道路からおよそ200m続いた開渠水路と暗渠水路入口。ここから先上落合・石田の終点まで暗渠水路です。
貴重な開渠水路とはここでお別れです。

分水施設
分水・支線用水路
分水施設と分水を受けた支線用水路。厚木市酒井の辺りにて。

小田厚厚木西IC付近
古い町並みから急に広い道路に出てきました。小田厚道路・厚木西ICの東200m付近です。ここからおよそ1kmは南西に向かって暗渠水路が一直線に続きます。目の前にある点検口(1500mm角位)が目印になります。

厚木市愛甲田んぼ
直線道路東側に広がる田んぼ。地図を見ると厚木市愛甲とあります。

上落合暗渠水路
遊歩道・公園として整備された昭和用水暗渠水路。上落合で直線道路と別れ西へ向きを変えました。

なかよし公園
遊歩道のはずれにあった「なかよし公園」のモニュメント。
昭和用水上部利用工事完成記念 なかよし公園 
完成年月日 昭和61年6月1日 碑文より


石田暗渠水路
なかよし公園の先伊勢原市石田に入ったあたりで顔を出した暗渠水路。暗渠フタがが見えます。この一角だけフェンスで囲われています。

石田暗渠水路
上記の先、西へ向かう昭和用水路。路線図によるとこの辺りが終点になっています。

昭和用水路終点
その先の交差点まで来ました。歩道上の大きな点検口です。
中を覗くとまだ勢いよく水が流れています。路線図を見ると昭和用水はここまでとなっています。この後はここで南に向きを変え伊勢原市下落合の方へ流れていきます。

石田小学校南信号付近
石田小学校南の信号付近です。県道22号線下落合の信号へ向かう直線道路の東側歩道の下を流下します。点検口が設置してあります。この先は下落合、その先の伊勢原市小稲葉地区の田んぼへ向かうものと思われます。

中津川の昭和用水頭首工から伊勢原市石田の終点まで昭和用水路およそ6kmを歩きました。伏越は小鮎川と玉川の立体交差の2ヶ所で見ることが出来ました。干無川との立体交差は掛樋(水路橋)でした。このコースでも伏越は関心を持って見れば身近なところにあることが良く分かりました。
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其の31 昭和用水探索①

 8月18日(土)厚木市の昭和用水の探索に行ってきました。
その日は初めは曇り空でのち雷鳴、小雨から本降りの雨のち晴れと不安定な天気でした。19日からは残暑が続く予報が出ていたので雨の中探索を強行しました。
事前に地図で調べたところ昭和用水と河川との立体交差は3ヶ所ありました。はたして伏越はいくつ見られるでしょうか。今回と次回の2回に分けて投稿します。
地図は中津川に架かる鮎津橋の下流にある昭和用水頭首工です。小田急本厚木駅から神奈中バスを利用し金田下宿下車、鮎津橋を渡りました。



昭和用水頭首工
昭和用水頭首工です。
空模様はこんな感じで、今にもざっと来そうです。10:34撮影。

昭和頭首工
中津川右岸上流からから見た昭和用水頭首工。
右側が取水口です。

昭和用水頭首工取水口
取水口です。右上は堤防上の道路です。

昭和用水頭首工取水口
中の様子です。ゴミ除け用の格子があります。
取水量1.39㎥/秒の割には水流が感じられません。
水音も聞こえてきません。流れが静かすぎでした。

取水口水門
堤防上の道路西側の水門です。

昭和用水暗渠
水門から昭和用水下流を望む。用水路にはフタがしてあります。暗渠(あんきょ)水路になって左へ向きを変え南下します。

昭和用水頭首工の碑
構内の一角にあった昭和用水頭首工の碑。
神奈川県知事 津田文吾書
沿革
相模川右岸の旧中郡相川村 神田村の耕地は江戸時代以来小鮎川から取水した田村掘によって潤されていたが次第に水量が減少しその対策に悩まされた。たまたま関東大震災を機に水源を中津川に求め大正15年県営事業としてここに頭首工を造成し昭和3年関連工事も完了して昭和用水が竣工した。その後昭和34年西部用水の完成とともにその流水の一部を八木間堰に補給したが、やがて河床の急激な低下や堰の老朽化によりその補修導流堤の施工等に追われ維持管理費は逐年増大した。そのため用水障害対策事業として全額国費県費をもって本頭首工及び用水路の改修工事が進められ3年の歳月と20400万円の事業費を要して昭和44年3月完成した。かくして厚木市、伊勢原町、平塚市の関係農家1412戸面積646ヘクタールの沃田は末永く用水に恵まれることになったのである。
    昭和45年3月 神奈川県相模川西部土地改良区
 
(碑文より)

昭和用水路妻田東1
右側の道が昭和用水路。中央分離帯の樹木の左が一般道。
昭和用水路は突き当りの小鮎川まで一直線に南下します。

干無川
干無川
小鮎川の堤防に突き当たり右折したところにあった干無川と橋のたもとにあった干無川の碑。
干無川の由来は湧水のため「干」たことが「無い」川と言う意味である。昔は水車などもあり、冷たい澄んだ水の流れは生活の場であった。以後昭和三十年代頃まで農業用水として利用され、農家としては重要な水資源であった。 (碑文より)

ここで西へ向かう昭和用水路が北から小鮎川に流れ込む干無川と立体交差します。

干無川掛樋
干無川上流から撮りました。分かりづらいですが昭和用水路は掛樋(水路橋)で東(左)から西(右)へ渡っています。

干無川樋門
小鮎川左岸に流入する干無川と堤防に築造された樋門。
堤防に上るとき入り口にマムシ注意の看板あり。この辺りにはマムシが棲んでいるようです。踏まない様に注意しないと・・・。

注意看板
干無川の橋のたもとにあった不法投棄注意看板。
幽霊シリーズの看板のようです。「其の26玉川サイフォン探索」でも別の幽霊が登場しました。
神奈川県県央地区農政事務所と神奈川県相模川西部土地改良区の連名です。

昭和用水路・小鮎川左岸
小鮎川左岸に沿って西へ向かう昭和用水路。水路の上部は遊歩道化されています。

小鮎川伏越呑口
県道43号線境橋の手前で見つけた水門と伏越呑口桝(ふせこしのみくちます)。
手前の水門に耳を近づけるとかすかに水音が聞こえました。正面奥の大木の下のコンクリートが呑口桝のようです。近づいて耳を澄ますも水音は全く聞こえてきませんでした。黄色や緑色のネットがかけてあるブロックの囲いは自治会のゴミ置き場で伏越施設とは関係ありません。
事前に地図を見たときは小鮎川に架かる水路橋のような表示がありましたがそれは堰でした。堤防の上に上がって確かめるとその位置に小規模な堰がありました。

小鮎雨量水位観測局
呑口桝の近くにあった神奈川県企業庁の小鮎雨量水位観測局。

小鮎川下流・境橋より
県道43号線境橋から小鮎川下流を望む。
昭和用水路は水路橋ではなく伏越でこの川の底を潜ります。

小鮎川伏越吐口桝
対岸に渡って見つけた伏越吐口桝(ふせこしはけくちます)。
庚申塔の奥の四角いコンクリートが吐口桝です。耳を近づけるも無音です。通水しているのか疑念が湧いてきました。コンクリートは昭和3年の完成時または昭和44年の改修時そのままのような古さです。

松林庵と山王さん跡地の碑
伏越吐口桝から松枝信号へ向かう途中にあった松林庵と山王さん跡地の碑。松枝1丁目付近。
昔、妻田村と水利をめぐる争いに勝利した厚木村は現日枝神社の地に勝利庵(松林庵)を開き、負けた妻田村から山王社を移して裏山に奉りました。のちに寺は廃寺となり、その跡地へ移された山王社が日枝神社と改名して現在に至ります。 (碑文より)

松枝信号付近
松枝の信号を渡りました。ここから先はR129と並行して南下します。松枝の信号の辺りで相模川右岸幹線用水路(西部用水路)の大口分水工から分かれた連絡水路が昭和用水路に合流しているはずですがそれらしき施設は発見出来ませんでした。

緑のシンボルゾーン
バス停税務署入り口付近にて。緑のシンボルゾーン標柱。
用水路の上は遊歩道化されています。

田村用水の碑
田村用水の碑。厚木消防署近くにて。
室町時代に灌漑用に造られた用水路で小鮎川より水を取り入れて厚木-岡田-酒井-戸田-大神-田村に流れていたため「田村用水」と呼んだが、通称「田村堀」として知られている。その後昭和初年に改修され「昭和用水」となる。   (碑文より)

中央公園
厚木市役所前、中央公園にある鉄筋コンクリート製の噴水球。直径は2mもあるそうです。

栄町1丁目付近
南下する昭和用水路。栄町1丁目付近。

田村掘信号
「田村掘」の信号がありました。この先進行方向右側一帯は田村町です。

小田急線交差
小田急線の高架近くまでやってまいりました。雨が強くなって路面が濡れて光っています。

旭町5丁目
南下する昭和用水路。旭町5丁目辺り。

南町分水
南町で見つけた分水設備。R129の交差点手前です。
中を覗くと勢いよく水が流れていました。昭和用水が初めて顔を見せてくれました。ここからは見えませんが東の方の田んぼに水を配るのでしょう。昭和用水路はこの後R129交差点の下を潜り恩曽川左岸沿いを流下します。

この先終点までは次回投稿します。

其の30 城山隧道・横坑を見つけました

 7月14日に横浜市水道局のHPを眺めていたらこんな記事が目に入りました。

近代水道創設125年記念講演会 近代水道125年の歴史と市民生活の関わり ちょっと大人の歴史散歩 ~もうひとつの横浜物語~
第1部 「横浜をめぐる水道遺産の見方・楽しみ方」
講師 堀勇良氏
第2部「水道がつくった町・横浜」
講師 宮村忠氏

管理人のような水道みち知りたがり屋のための講演会のようでありがたい。第1部は特に興味をそそる内容です。

 8月7日(火)会場の横浜市開港記念会館へ行ってきました。いろいろと面白い話が聞けて良かったのですがその中で収穫は城山隧道の竪坑(たてこう)が大きなスライド写真で「町中に残っている竪坑」と紹介されたことです。
城山隧道に竪坑や横坑があることは知っていましたが町中にまだ残っているとは・・・驚きました。城山隧道の本体工事が終われば補助的な竪坑、横坑はお役目ご苦労様で閉鎖されたと思い込んでいたものですから。しかし、よくよく考えると城山隧道はいまだに現役で稼働しています。維持管理のために残しておいた方が後あと役に立つわけです。

そこで早速、8月8日(水)に探索に行ってきました。
「横浜水道百年の歩み」を参考に所在場所の見当をつけました。この春以来の上流部横浜水道みち探索なので城山ダムからスタートしました。




城山ダム取水塔
城山ダム際にある津久井発電所1号機の取水塔です。
黄色線が標高124m(非洪水期10月16日~5月31日)
青線が120m(洪水期6月1日~10月15日)
今日の水位は117m位です。帰って「かながわの水がめ」を見たら-6.61mとありました。黄色線の124mが基準水位です。
正確な水位は124m-6.61m=117.39mになります。

第3接合井
城山ダム展望台入口右側にある第3接合井にかけてあった横浜水道の工事案内看板です。
地震に強い水路トンネルにするため補強工事を行っています。久保沢ずい道耐震補強工事
工期は平成25年8月2日となっています。長い工事です。通水しながらやるのでしょうか。

中沢接合井、川尻隧道上口
城山ダムを渡って右岸から見た取水塔。その左の薄いレンガ色が川尻隧道、その左の縦じまのコンクリートが中沢接合井の遺構です。

太井隧道上口
R413号線沿いの大蔵寺参道からボート乗り場へ下りる道があります。前回春に訪ねた時よりいくらか水位が下がっていたので太井隧道を訪ねました。ボート乗り場の階段下から撮りました。見え方は春とあまり変わりませんでした。前述のように「かながわの水がめ」で津久井湖の水位を知ることが出来ます。-12.0m位になったら上から下まで丸々見られると思います。

城山隧道下口
ついでに上流約200mにある城山隧道下口を訪ねました。
城山隧道下口(下流側入り口)です。上口は4358.5m先の青山沈澱池構外にあります。

第1接合井
隣の第1接合井です。上の方にR413が見えます。

第1接合井
東側から見た第1接合井。

城山水路隧道
第1接合井の背面にあった扉です。鍵がかかっています。
前に立つとすごい水流音が聞こえます。2㎥/秒の水量です。
多分ここが城山ダム右岸にある第2接合井へ向かう城山水路隧道(長さ739m、内径1.9m馬蹄型)の起点と思われます。

ここまでは2012/4/6投稿の「其の10 城山ダムから城山隧道、太井隧道へ」で詳しく述べましたので参照願います。

さて町中にある竪坑を探しに行きました。R413太井のバス停近くを中心に1時間ほど歩き回るも発見できず。簡単に見つかると気楽に考えていたのですがあきらめて次の目標である横坑を探しに行きました。事前に地図で調べたところ中野の日赤病院(津久井赤十字病院)の北西に第1横坑、北東に第2横坑らしき図形表示があり、第1横坑は途中まで道があります。第2横坑は進入路がありません。地図を最大にズームアップすれば隧道らしき図形・マークは見つけることが出来ます。

日赤病院へ向かってR413の裏道を歩いていると、民家の脇に北の崖下へ下りる細い道があるのを発見しました。躊躇することなく入口にかけてある棒を跨いで進入しました。ちょっと後ろめたい気持ちです。

第2横坑進入路
ここが入口です。この道が目に入りました。

第2横坑-2
第2横坑-3
第2横坑-4
急な斜面を滑らないように注意深く下りていきます。初めのうちは人が踏み固めた道がけもの道になりとうとう道が消えました。が、どうにか下まで下りました。上の明るい森が下は暗いジャングルのような密林です。

第2横坑
左手にレンガ造りの構築物が・・・。やりました!見つけました。
狙い通りの横坑が出現しました。

第2横坑-2
さらに接近して撮りました。同期の桜、川尻隧道とデザインが似ています。横浜市水道局の注意看板もついています。
関係者以外立ち入り禁止 横浜市水道局

じめじめとした薄暗いところで足元も悪くこれ以上進む気持ちにはなれませんでした。横坑の中から水が湧いているようです。横坑内部を撮りたかったのですが残念です。
ところでこの写真に白い火の玉のようなものが2コ写っています。これはなんでしょう。撮るときそんなものはいませんでした。カメラのフラシュはオートに設定しています。薄暗い中で撮りました。オート発光しているはずです。虫が飛んでいて光に反射して火の玉に写ったのでしょうか。何となく気持ちが悪いです。

第2横坑銘板
銘板です。右書きで「第弐横坑」と読めます。それにしても横坑に銘板を付けてこうして遺すとは。
この横坑は明治44年2月27日に着工しました。今年で101年になります。明治の人は100年、200年後も産業遺産として遺ることを意識して銘板を取り付けたのでしょう。

第2横坑
短い距離ですが帰り道で道に迷いました。けもの道以下の道なき道ですから。入り口近くまで戻ってきました。多分、この道は横浜水道局の職員さんが横坑を管理するために開いた道と思われます。
横坑工事の際の資機材の運搬、作業員の出入り、掘削した土砂の搬出はどうやって行ったのでしょう。津久井湖が出来るはるか以前の事です。多分、横坑より下に工事用の進入路があったのでしょう。今は湖底に沈んでいます。

城山隧道の概要を記します。
断面形状 内法拱径間 3.03m 中央高さ2.42m 馬蹄形
延長   4358.5m
その他  横穴2延長226.3m 堅穴延長26.7m
      第1横坑169.1m 第2横坑57.3m 
着工   明治44年(1911)2月27日
      上口、下口、第1第2の横坑4カ所から導坑の掘削を
      開始
完成   大正3年(1914)4月4日
横浜市水道局「横浜水道百年の歩み」より抜粋


この後管理人は第1横坑探索に向かいましたが装備不十分、時間的なこともあり引き返しました。竪坑と合わせ再度探索する予定です。装備と言うと大げさですが、この日は半袖シャツでした。第1横坑探索は長袖の作業着が適していると思います。

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