地図は「其の21山際川伏越を見つけました」で登場した相模川右岸幹線用水路の下流です。関口山大信寺の南100m位のところで用水路が消えています。

今回もJR相模線を利用しました。6月24日(日)相武台下駅下車。時刻は12時頃。相模線は単線です。この駅は島型プラットフォームで上下線の列車交換が可能な駅です。

JR相武台下駅です。ここから県道42号線に出て座架依橋を厚木市側へ渡ります。

座架依橋から相模川上流を望む。19日の台風4号の影響がまだ残っているようで茶色く濁っています。

2週間前に来たときにはさがみ縦貫の県道42号線を跨ぐ橋は無かったのですが今はしっかり繋がっています。巨大クレーンが活躍したのでしょう。

「其の21山際川伏越を見つけました」で探索した御嶽神社東側の開渠になって出現した相模川右岸幹線用水路(以下右岸用水路)です。

下流はこのように暗渠になっています。今日はここから下流を探索します。

県道42号線高架橋下で再び開渠になった右岸用水路。

道路面より上を流れる右岸用水路。用水路沿いのフェンスが右側に見えます。

水路に「依知隧道」の銘板が貼ってあります。
隧道(トンネル)に潜るようです。


茶色く濁った水が隧道に吸い込まれていきます。ここは相模川右岸河岸段丘崖の縁になります。崖を潜って向こう側の中津川左岸河岸段丘崖に向かうようです。地図上ではここで用水路が消えています。

段丘崖を上り関口山大信寺の前を通って用水路を見下ろす地点に来ました。茶色の水が流れています。奥は工事中のさがみ縦貫橋梁工事で、巨大クレーンが見えます。

段丘崖上まで上がってきました。
R129関口中央付近の橋上から県道42号線座間方面を望む。これから反対方向の関口中央の信号を渡り中津川方面を目指して歩きます。

まだ時間は早く中津川右岸へ渡る前に善明川河口の樋門を見に行きました。途中長坂にあった寺道の碑。
長坂住民は元は殆ど関口(東)に居住していた。年代は明瞭ではないが、この長坂に耕地を求めて居住した。先祖の寺は大信寺であったので、墓参りや念仏講中など大信寺に行く機会も多くこの道を頻繁に往来したことから寺道と言うようになった。
碑文より

寺道と交差する横須賀水道みち。一直線の細い道ですぐ水道みちと分かりました。

段丘崖を下って一面に開けた田んぼの風景です。
左の森は中津川左岸河岸段丘崖で南に延びています。
高架橋は中津川に架かる中津川大橋です。左が今通ってきたR129関口中央方面です。

中津川左岸堤防に設けられた善明川樋門。堤防を挟んで河川敷側にも樋門がありました。

河川敷側の樋門です。夏草が強く近づくのはこれが精いっぱいです。樋門については「其の21山際川伏越を見つけました」で学習しました。
善明川のこれより上流の関口山の根水辺の広場付近に細い用水路との立体交差を地図上で見つけたので探索しました。が、実際には交差していませんでした。伏越は見られず。見事な空振りです。

中津川大橋長坂の信号から見た中津川左岸河岸段丘崖。関口の大信寺付近で潜った右岸用水路の出口を探索しました。

段丘の縁に沿って流れる用水路の際にありました。
中津川大橋の下流およそ600mの地点です。

銘板が貼ってありました。
中津川サイフォン 呑口桝
(中津川サイフォンΦ2400 L=330.089m)
2005年2月16日竣工
神奈川県県央地区農政事務所
施工:前田・勝村・肥後特定建設共同企業体
工法:泥土圧式シールド工
(鋼製セグメントコンクリート覆工)
関口で潜ってここまで来たようです。
依知隧道の出口と中津川サイフォンの呑口桝を兼ねているようです。ただコンクリート製の密閉された立方体に直に繋がっているので水音も無ければ流れを見ることもできません。伏越の長さが330.089mで中津川の川底を潜ることは分かりました。少し想像していた伏越の入口とは違っていました。呑口桝は(のみくちます)と読むのでしょうか。
マピオンで標高を調べてみました。
依知隧道入口 34m
依知隧道出口・中津川サイフォン呑口桝 33m
段丘上を縦断しているR129関口中央信号付近 60m
依知隧道の長さは1万分の1の地図で測るとおよそ600mでした。

中津川大橋から上流を望む。曇天で水は濁っています。

橋を渡って下流方面へ歩いていくと中津川の堤防下にこんなコンクリートの施設が。水色の水門巻揚機が見えます。

堤防の上から見るとこんな感じです。

入り口側と同じく銘板が貼ってありました。
中津川サイフォン 吐口桝(はけくちます?)
呑口桝と同じでコンクリート製の密閉された四角い箱です。
伏越出口の吹き上がりを期待していた管理人、目隠しがされていてがっくりです。マピオンで標高を見ると32mでした。
竣工は2005年2月16日(平成17年)。わりと最近に完成しています。右岸用水路の着工は昭和24年、延長20kmの全線が開通したのが昭和33年ですから、おそらく2代目の伏越施設だと思います。初代の伏越は猿ケ島の伏越のように地下から吹き上がるような怒涛の水流を見せていたのでしょう。見られなくて残念。
それにしても右岸用水路は驚きの連続です。相模川を潜る相模川伏越を手始めに、山際川伏越、開渠から依知隧道、隧道を出たらすぐまた中津川を伏越で潜る。管理人には想像すらできないこのルートを考えた先人の知恵には頭が下がります。

奥の吐口桝の下流で開渠となった相模川右岸幹線用水路。
この場所に立ち用水の流れを眺めて、はたして何人の人がこの水は磯部頭首工の左岸取水口から取り入れた相模川の水だと分かるでしょうか?

その200mほど下流、右側の細い用水路から水が流れ込んでいます。幹線用水路だから配るだけかと思ったら他の用水路の余った水をしっかり回収しているいるようです。

これは簡易型の除塵機でしょうか。ここから暗渠になるようです。ここは厚木市三田、屋際の信号の600m位手前です。これから先は日を改めて探索したいと思います。
実は、この地点から中津川大橋を渡り左岸に逆戻りして中津川サイフォン呑口桝の探索に行きました。説明上、上流部から順に発表しましたが見つけたのは呑口桝が一番最後です。
帰りは段丘崖を上る細い道を見つけダイアパレスMの脇に出、R129蓮正寺バス停からバスで本厚木に出て本厚木から小田急、厚木でJR相模線に乗り換え帰宅しました。時計を見たら18時過ぎ、疲れました。
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