横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の14 三井用水取入所を訪ねる

 2月の風もなく穏やかで暖かい日に三井用水取入所を探索しました。又野公園駐車場からスタートしました。

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500m程歩くと津久井湖に架かる名手橋に到着です。
長さ180m、幅3.5m、昭和39年完成。
かながわの橋百選に選定。

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名手橋を渡って急な坂を上っていくと山の中の赤い鳥居が目にとまり、ちょいと寄り道をしました。坂を上りきって右へ曲がったところに参道がありました。

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神社さんかと思ったら津久井四十二番札所東光寺でした。道中の安全祈願をして出発です。

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東光寺から津久井湖、名手橋を望む。

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三井用水取入所は旧県道515号線を通らないと行けません。この先千木良(相模湖の近く)まで車は全面通行止め。

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第1関門。

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そのすぐ奥、第2関門。侵入防止柵があり車やバイクは無理です。歩行者にはちゃんと配慮がしてあります。
実はこの柵には苦い経験があります。去年の12月24日に自宅から徒歩でここまで来て、この柵を見て引き返したことがありました。時刻は14:00過ぎでまだ日は高かったのですが、15km以上歩いて足が棒のようになっていたことで気力を失いました。その帰りに城山隧道下口を探索したあの日です。まあ、結果的にそれが正解でした。先へ進みます。

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こんな崖崩れではとても車じゃ無理です。人が通った跡があり、踏み固められています。落石から時間が経っているようです。

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左手はるか下の方に津久井湖の水面を見ながら歩きます。お天気に恵まれました。旧県道515号線にしては道幅が狭いです。

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二つ目の落石。沢沿いに崩落があるようです。

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対岸の「仏の座」の発見に努めて歩きました。
が、見つからず。三井用水取入所の看板が見えてきました。

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思ったより早く着きました。ほっと一息。

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湖岸へ下りる通路が整備してありました。辿って下りるだけと思ったら大間違い。最後の最後で倒木が通路に覆いかぶさって通行できず。それも根っこが生きているから葉っぱが茂っていて立ち往生しました。その間5m位はあったでしょうか。通路外へ迂回してようやく到着しました。

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説明看板。撮影失敗しました。フラッシュの設定未確認でした。他に50周年の立派な記念石碑がありましたが大木が覆いかぶさっていて気の毒な状態でした。去年9月の台風でやられた模様です。以下、沈澄池の様子です。流入側から順に見ていきます。

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沈澄池流入側。沈澄池の中から撮りました。ポンプで汲み上げた水はこの奥からここ、沈澄池に入りました。

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そこから流出側を見る。

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流出側を見る。台風で周りや中が荒れています。

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流入側を見る。

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同流入側を見る。

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沈澄池流出側。創設時、奥の緑色の土嚢が積んである辺りに18吋鋳鉄管が接続されていました。
野毛山への第一歩です。ここが第一歩です!

沈澄池
長方形で長さ:211フィート (64.3m)
    幅:8.5フィート  (2.6m)
    深さ:4.5~6フィート(1.4~1.8m)
    標高:407.7フィート (124.3m)
    水通過時間:100分
  横浜市水道局「横浜水道百年の歩み」より


ちなみに野毛山浄水場の標高は165.5フィート(50.5m)です。ここを出た水は自然流下で野毛山まで送られました。

私がたびたび引用している「横浜水道百年の歩み」に通水時の感動的な模様が描写されていますので記します。

近代水道の通水-明治20年10月17日-明治20年(1887)9月に全工事が完成した。そして、9月21日に三井用水取入所の運転を開始し、順次導水路線に通水して慎重な検査を行いながら、ようやく10月4日になって野毛山に相模川の水が到着したのである。当時の人々は、十里(40km)以上も離れた所の水が、本当に野毛山まで届くのかを疑い、これをめぐって賭けまで行われたという。こうして、明治20年10月17日から市内への給水が開始され、水栓からほとばしる水に市民は驚嘆した。
この水道の完成はまた、それまでの消防組織も大きく変え、近代消防への第一歩を印したのである。
この記念すべき日である明治20年10月17日も、近代水道創設の記念日として今日に至り、昭和60年(1987)10月17日でちょうど100周年を迎えることになった


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創設時の三井用水取入所全景写真です。
「横浜水道百年の歩み」より
明治30年になると自然流下で送れる道志川沿いの青山へ移転となり廃止。当時、石炭を焚いてポンプを動かしていました。石炭の調達難、コストの面から廃止になったと思われます。
昭和40年、城山ダム完成により施設跡の大部分が湖底に沈みました。比較的高所にあった沈澄池のみが残りました。
昭和60年、近代水道発祥ゆかりの施設として「近代水道百選」に選定。

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対岸(三ケ木)から見た三井用水取入所跡。
この湖底に眠っています。沈澄池は画面右端辺りでしょうか。下の画像はそのすぐ左にある沼本ダムです。
1月の別の日に撮りました。遠くに県道515号線の白いガードレールが見えます。
沼本ダムは水門が全て上がって、ダムの内外とも水位が同じです。水没状態です。

沼本ダム
形式:重力式コンクリートダム
高さ:34.5m
長さ:126m
完成年月日:昭和18年12月31日
貯水池・調整池:沼本調整池
総貯水容量:233万㎥
「神奈川県営電気事業」パンフより


沼本調整池で取水した水は津久井隧道で津久井分水池へ導きそこから県水、横浜水道、川崎水道へ送られます。主に津久井発電所の発電用として利用されています。

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廃道の県道515号線に戻り千木良方面に足を延ばしました。木々の間から沼本ダムが見えたので真上から撮りました。写っているのですが見えません。ただの森の写真になってしまいました。沼本ダムが見られたので引き返します。

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これは道路際にあった送電線鉄塔です。山奥の鉄塔はめったにお目にかかれません。記念に鉄塔の足元まで崖を上って近づいてみました。

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標識には「新多摩線55 東京電力相模原支社」とあり。
小田急?京王?私鉄の路線のような名前が付いています。

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対岸の三ケ木から津久井湖を望む。
沼本ダム、三井用水取入所、「新多摩線55」の遠景。

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帰路、対岸(三ケ木)の「仏の座」の発見に努めたのですが見つからず。「仏の座」とは相模橋の天然の岩盤を生かした橋台です。こちら側の同「鳶の巣」間に相模橋は架けられました。相模橋は三井から青山へ取水地が変更になった後、青山、三ケ木間に新たに路線を作り三井用水取入所下流の創設路線に繋ぐために架けられました。

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帰路、城山を望む。お天気に恵まれて本当に良かった。
間もなくあのバリケード柵です。第2関門を通過してから再び戻るまで約1.5時間、人っ子一人遇わなかったのはまるで異空間か別世界にいたようです。不可思議な体験をしました。

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この1枚は去年12月24日に撮った名手橋です。その時は重い足を引きずってこの橋を渡り北根小屋の城山隧道下口へ向かいました。思い出の1枚です。

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名手橋の上から今歩いてきた名手の町を望む。
山の尾根は相模の国、武蔵の国の国境です。地図を見るとこの真北3kmに高尾山(599m)があります。尾根伝いの道は関東ふれあいの道のコースとなっています。城山ダム上のR413もそのコースに入っており、その道を辿っていつか尾根伝いに関東ふれあいの道を歩いてみたいな~などと思いながら帰路につきました。

横浜水道みち水源を訪ねる旅はこれでお終いです。
この探索探訪記の始まりはブログに不慣れでいつになったら水源に辿りつけるか心配だったのですが、14回目にしてやっと達成出来ました。

次からは我が家の近くの水道みちを逆に野毛山を目指して探索探訪したいと思います。

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其の13 道志川源流を訪ねる

 前回で鮑子取入所の探訪が終わり、残る三井取入所を 探索して水源を訪ねる旅を終わらせようと思いましたが どうしても道志川から離れがたくその水源を訪ねることに しました。桜の花が散るころ車で出かけました。 途中途中でその美しい流れを見ながら水源を目指します。

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鮑子取入所から2km程上流の青野原オートキャンプ場から下流方向を望む。

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キャンプ場入口に架かるふどう橋から道志川を望む。
清澄な水です。このまま飲めそうです。

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R413からいやしの湯への進入路付近。ずいぶん上ってきました。段々畑と山の間の渓谷を道志川が流れています。

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いやしの湯を通り越し、県道76号線上にある神奈川県営道志ダムに来ました。道志川の水をせき止めています。 鮑子取水口から8km位上流。

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道志ダムによってできた奥相模湖。

道志ダム
形式:重力式コンクリートダム
高さ:32.8m
長さ:74.0m
完成年月日:昭和30年5月8日
貯水池・調整池:道志調整池(奥相模湖)
「神奈川県営電気事業」より


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道志ダム・県道76号線から道志川下流を望む。
護岸から河川維持用に放流しています。 放流水は発電用に活用しています。解説看板がありました。
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クリックで大きくなります。
河川維持用放流水は0.4㎥/秒で、鮑子取水口の取入れ水量が2.0㎥/秒ですから全然足りません。

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クリックで大きくなります。
ダムの傍らにあった水利使用標識です。
道志ダムは元々発電用の水を貯留するために造られました。 道志第1発電所に9.0㎥/秒(発電後相模川水系秋山川へ放流)、ダムの下流にある道志第2発電所に2.0㎥/秒 (発電後道志川へ放流)の水を送って発電しています。
計算上は2.4㎥/秒+支流からの流入+湧水などもあり、まかなえると思います。が、水道みちを探索してきた管理人にとってはなぜかこのダムはトンビに油揚げのような気がしないでもない。そんな気持ちです。
これから訪ねる道志村には村の面積の36%を占める横浜市 所有の水源かん養林があり、いわばこの水は横浜市水道局 が育てたようなものです。変な言い方ですが・・・

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R413へ戻って両国橋を渡りました。山梨県側から神奈川県を望む。相模の国から甲斐の国へ。 ここから山梨県道志村です。

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両国橋から道志川下流方向を望む。

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水源の森へ着きました。道志川に架かる水源橋。

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水源橋から道志川下流、上流を望む。

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道志村役場に到着。

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クリックで拡大します。
役場前に横浜市水道局寄贈の獅子頭共用栓と碑がありました。

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道の駅どうしで休憩です。

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道の駅どうしから道志川下流、上流方向を望む。
この辺で鮑子取水口から22km位上流と思われます。

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こんなものが展示してありました。道志村の地形を象ったモニュメントです。ちゃんと道志川が流れています。 平成10年道志村が設置。

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道の駅どうしの駐車場にて。

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道の駅から1km程上流近辺の山並みです。
もしかして水道局の水源かん養林かも知れません。

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道志水源林に到着しました。横浜市水道局が建てた林野庁指定水源の森百選の碑です。R413沿いにあります。あと1kmも進めば山伏峠で、山伏トンネルを抜ければ山中湖村になります。
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碑の側面の碑文。

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河原へ下りる木道が整備されています。

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木道に沿って流れる道志川源流。

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これが源流です。

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下へ下りてさらに上流を望む。右側の堤の上はR413。
ここまで来るとさすがの道志川も小川のせせらぎです。 この先は1kmも行かないうちに山伏峠となります。

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小橋を渡って下流方向を望む。左上をR413が通っています。

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小橋を渡った右側にありました。

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小橋を渡ったら遊歩道が整備されていました。
右側を流れる源流沿いに辿ってみました。

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砂防ダムに突き当たりました。探索はここまでです。

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砂防ダムから視線を上げ水源林を仰ぐ。地図を見ると あの山の向こうは神奈川県山北町です。
向こう側に降った雨は丹沢湖から酒匂川へと流れ 酒匂川水系の水源となります。

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R413へ戻ると道志川取水百周年記念植樹碑が国道際に立っていました。

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山伏峠を貫通する山伏トンネル。せっかくなので足を 延ばしました。

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山伏トンネルを背に道志村を望む。こんな坂を上ってとうとうここまで来ました。実は昨日(4月17日)もここへ来ました。道志村役場の辺りでポツポツ降り始めここまで来たら雷が鳴り始め本降りの雨になり退散しました。今日は再訪です。ここに降った雨は地中から滲み出て沢となりやがて道志川の清流となって最後は横浜・川井浄水場へ行くのかと思うと何か感動的です。
二日目の今日、水源をゆっくり見られて大満足の一日となりました。

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トンネルを抜けたら山中湖村でした。こちら側に降った雨は山中湖へそそぎ山中湖出口で桂川本流となり神奈川県に入る と相模川に名前を変え相模湾へそそいでいます。

道志川水源を辿る旅はこれで終了です。
次回は唯一残る創設路線の起点である三井取入所を探索探訪します。

其の12 鮑子取入所を訪ねる

前回の水源神社について少し調べてみました。

水源神社の建立
大正12年(1923)8月28日建立
伊勢山大神宮社司を祭主として鎮座祭を挙行した。
水源神社奉祠は次の五神である。

弥都波能売神(みつはのめのかみ)
天之水分神(あめのみくまりのかみ)
國之水分神(くにのみくまりのかみ)
天之久比奢母智神(あめのくいざもちのかみ)
國之久比奢母智神(くにのくいざもちのかみ)
「横浜水道百年の歩み」より

机上の講談社の古語辞典で神々を引いてみるとイザナギ・イザナミの二神の間に生まれた、農業用水をつかさどると考えられる神。「みくまり」は水配りの意。かんがいなど水の配分をつかさどる神。「くいざもち」は汲みひさご持ちで水の配分をつかさどると考えられる神。などとあり、いずれも水の配分にかかわりのある神々です。水源にあたる青山沈澱池に正にぴったりふさわしい神々である事がわかりました。


さて本題に戻って鮑子(あびこ)取入所を探訪します。

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R413のバス停鮑子取入口です。道志川へ下りる道は一本しかありませんので迷うことはありません。

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つづら折りの道を下っていきます。ここにもレールが利用されています。下から道志川の水音が聞こえてきます。

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鮑子橋を渡ります。2月に行きました。雪が残っています。

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石垣のつづら折りを下っていくと見えました。

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一番下まで下りてきました。

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道志川の流れの様子と注意看板。

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青山隧道の真上に立ってフェンスの隙間から撮りました。
これ以上前には進めません。

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最後に取水口の方を撮りました。この取水口が横浜へのスタート地点です。

「道志川 流域越えて 横浜へ」  doushigawa

鮑子取入所:場所は既設青山取入所から1036m上流にさかのぼった地点。大正3年3月25日完成。
本施設はその後、大正12年(1923)の関東大震災で、取入口上部の崖が崩壊して取水不能に陥ったが、急ぎこれを復旧し通水した。「横浜水道百年の歩み」より抜粋


関東大震災は大正12年9月1日で水源神社建立の4日後です。野毛山浄水場は壊滅的被害を受けましたが幸いにも青山沈澱池、青山隧道、城山隧道は被害軽微だったようです。

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私の好きな石垣を見ながら帰路につきました。関東大震災後に復旧した石垣でしょうか。

次回は道志川水源を訪ねる予定です。

其の11 青山沈澱池を訪ねる

 1月の天気の良い日、青山沈澱池を訪ねました。
当日はバスで三ケ木バスセンターまで行きR412を相模湖方面へ歩き、途中道志川に架かる道志橋手前を左に折れ道志川右岸沿いに青山水源事務所へ行くコースを採りました。
明治30年から大正4年までは青山から三ケ木を経て三井用水取入れ所下流の創設路線に接続し横浜へ水を送っていました。このコースを歩きながら探索すれば何か見つかるかと思ったからです。

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道志橋の手前に横浜水道局青山水源事務所の案内看板がありました。R412を左折します。

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右手に道志橋が見えます。

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だらだらと坂を下っていくと橋がありました。その名も「水道橋」 

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水道橋を直進してぐるっと右へ回ってまた水道橋の下に出て来ました。面白い道です。知恵の輪のような形です。

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下を抜けて南側から撮りました。絵になる趣のある橋です。

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横浜市水道局の落石注意看板です。水源事務所まで4ヶ所位立っていました。左側は崖です。歩いていて気が付いたんですがいわゆる道路交通標識が一本も立っていません。青山水源事務所を訪ねて分かったんですが、この道も左側の崖の斜面の一部も相模原市内にある横浜市水道局の私有地なんだそうです。すなわち水道局が管理する横浜水道みちです。

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下流方向を見たところです。崖が続いています。
明治30年から大正4年までこの道を18吋(460mm)管、後に複管工事により22吋(560mm)管の2条の導水管が三ケ木から相模川を相模橋(水管橋)で渡り、左岸の三井で創設路線に接続されていました。

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右側に三太旅館がありました。この辺はNHKのラジオドラマ「三太物語」のゆかりの地のようです。「おらあ~三太だ」という少年の声を聴いた覚えがあります。

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右手を流れる道志川。

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途中、橋を渡らないで直進すると青山沈澱池の石垣の手前で左手に城山隧道が見えてきました。右側の沈澱池から1500mmの流出管がこの建屋に入り2管に分かれて奥の城山隧道に入ります。ここは青山沈澱池構外です。

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管理人を横浜水道みち探索の道に引きずり込んだ城山隧道と鋼管に対面です。右が42吋(1050mm)、左が(900mm)管です。「近代水道百選」に選定。

近代水道百選
昭和60年、厚生省の企画により歴史的価値の高い水道施設を後世に伝えるため選定したもので、横浜市の水道施設では相模原市緑区青山の「旧三井用水取入口」「旧青山取入口と沈でん池」「城山ずい道」、横浜市保土ヶ谷区川島町の横浜水道記念館構内にある「水道創設記念噴水塔」の4か所が選ばれています。横浜市水道局HPより


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説明看板です。1050mm鋼管はドイツのマンネスマン社製で西谷の横浜水道記念館に現物が展示されています。城山隧道は青山→三ケ木→三井→相模川左岸創設路線の川尻隧道下口間の断崖絶壁路線を避けた新路線です。直角三角形の斜辺にあたり、ゴルフでいえばショートカットです。
このルートを考えた人は先見の明のある天才だと思います。現に百年近くたって今なお現役です。なおかつ自然流下でCO2の削減にも貢献しています。

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銘板のアップです。

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これは前回見た下流側入り口の銘板です。書体が違います。

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1月に見学したときは工事中だった青山水源事務所小水力発電システムが完成していました。
2月に通りがかった時にフェンスの隙間から撮りました。
「青山水源事務所の小水力発電は道志川の水を使い、青山沈澱池から第1接合井までの落差エネルギーを利用して発電しています。発電した電気は青山水源事務所で道志川の水をきれいにする機械などの電源に使用しています。」

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美しい沈澱池の水面を右に見ながら進みます。

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青山水源事務所正門到着。この左側に通用門があります。

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青山沈澱池については拙文よりもこちらの画像をご覧ください。クリックすると大きくなります。(青山水源事務所で戴いたパンフより)

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旧事務所。映画の撮影に使われたこともあるそうです。

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青山隧道と排砂池。鮑子(あびこ)取水口と排砂池をつなぐ隧道で大正4年に築造。
高さ2.12m×幅2.12m×長さ864m馬蹄型。


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混薬水路を経由して沈澱池へ。水は、大きく5つに分けられた池を9時間かけてゆっくり流れ、水中の濁りを沈殿させます。送水井を経て城山隧道へ流れて行きます。

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旧青山取水口
「ゴミを取り除くため玉石の隙間から取水できるように工夫されています。」
明治30年築造 「近代水道百選」選定。

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旧青山沈澱池の説明看板です。
画像をクリックすると大きくなります。
石垣の間から浸透したきれいな水が流入する・・とあります。と言うことは、石と石の間にセメントが入っていないわけです。究極の石積み工法ここにあり。またまた感嘆することしきりの管理人です。「近代水道百選」選定

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構内の一角に神社さんが。水源神社です。
ここにも日本の伝統が。大切にしていかねばと思います。

この日良かったのは念願のいろいろな施設を見学できたこともさることながら職員さんといろいろな会話が出来、水道みちについての知識・理解が深まったことです。ありがとうございました。

次回は鮑子(あびこ)取水口を探訪します。


其の10 城山ダムから城山隧道、太井隧道へ

 前回からの続きです。前述のように相模川左岸は水没のため探索が出来ません。城山ダムを右岸へ渡ります。

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城山ダム右岸の第2接合井です。この先は内径1.9m馬蹄型、長さ739mの城山水路隧道で第1接合井に接続しています。これらの施設は城山水管橋の架け替え工事として新たに造られました。昭和39年4月切り替え完了。

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第1接合井です。左側が城山隧道の下口。

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城山隧道正面と銘板です。
落ち葉に覆われていて管本体はよく見えません。
42吋(1050mm)管、900mm管が敷設されています。
この隧道は去年の12月24日R413を名手橋へ向かっているときに偶然見つけました。北根小屋バス停近くの歩道を歩いているとき右手崖下にネットで見たことのある城山隧道らしきものが・・・ 名手橋の帰りに国道からの進入路を探し、坂を下って確かめたところ城山隧道でした。現役バリバリの管路隧道です。隣の第1接合井を経て今も横浜へ水を送り続けています。
隧道の概要は次回青山沈澱池編で記述します。

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下流側から見た第1接合井。2月4日再訪して撮りました。ここに立つと接合井の中を流れる(毎秒2㎥)水の音が聞こえます。

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進入路から隧道へ下りる階段。年代を感じさせる階段です。上りましたが狭くて歩きにくい階段です。何か他に用途があるのでしょうか?

城山隧道と城山水管橋の間に太井隧道という管路隧道がありましたが、城山ダムの完成により湖底に沈みました。城山隧道のおよそ200m下流にあります。津久井湖の水位によってはその遺構を見ることが出来るかも知れません。進入路を道なりに下流へ歩きます。

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ボートの向こうに隧道らしきものが。

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湖に落っこちない様に最接近して撮ったのがこれです。
2月4日、川尻隧道上口、中沢接合井を見つけた日です。その日の津久井湖の水位は下がっていて117m位です。あと5m下がっていれば全体が見れたかも。まあ良しとします。

城山ダム際の取水塔の水位表示は
黄色線が124m(非洪水期10月16日~5月31日)
青線が120m(洪水期6月1日~10月15日)
揚水発電所の城山発電所が発電時に放流すると1.5m位水位が上がるので設定より1.5mから2.5m位水位を下げて管理しているようです。

従って夏の洪水期はいつもこの程度は見られるという事です。全体を見るには夏場の渇水期が狙いとなります。

さて隧道の銘板が川尻隧道と同じように取り外されています。川尻隧道と同様に今は西谷の横浜水道記念館でその余生を送っています。

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去年の12月27日に見学したときに撮りました。

太井隧道下流側入り口は帰り道、花の苑地公園の駐車場から探しましたが見つかりませんでした。城山ダム管理事務所の隣に津久井湖記念館があります。そこに横浜市水道局から寄贈の下流側の銘板と在りし日の太井隧道下流側の写真が飾ってあります。
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太井隧道下口にはまだ銘板が付いています。
これ程の水位低下は異常渇水の時しかありません。昭和57年は城山ダムの水門の修理のため水位を下げたと聞いたことがあります。

太井隧道:津久井郡津久井町地内城山の北麓を貫通する隧道でその延長は50間(91m)。明治44年4月完成。横浜市水道局「横浜水道百年の歩み」より抜粋

さて、北根小屋のバス停のすぐ先に太井の信号があります。右折すると三井大橋に行けます。トロッコの看板NO.1が気にかかります。

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三井大橋を渡ってタクシー会社の横を左にまわり坂道を下れば湖岸に出ます。これは12月15日に県道513号線回りで自転車で行った時の写真です。

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NO.1 三井用水取入所からここまで1km 現在地:三井

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帰り道、県道513号線の坂上から城山を望む。
前方の赤い橋が三井大橋です。三井大橋は人道部分がありません。ジェットコースターのような坂を自転車で下るのは少々怖かったです。三井大橋の左側に並行して人道橋(吊り橋)が施工中でした。

次回は城山隧道上流側入り口のある青山沈澱池を訪ねます。

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其の9 城山ダムへ来ました

 前回、川尻隧道の説明で「旧水道路線の迂回部を直線に貫通して築造したものである」と引用しました。その迂回部を歩けば何か新しい発見があるかも知れないと津久井発電所の帰りに試みました。
その訳はこれまで創設路線を辿って来ましたが、この先はすぐ城山ダムに至り、そこから上流は水没していて旧路線の探索が不可能なためです。最後のチャンスという事で少しこだわってみました。が結果はご覧の通り。神奈川県企業庁の柵に阻まれました。残念。あきらめて城山ダムへ向かいます。
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空から見た城山ダムと津久井湖です。
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(城山ダム管理事務所で戴いた城山ダムのパンフより)
明治20年、この奥約5kmの相模川左岸、道志川が合流する地点に三井用水取入所が造られました。
日本初の近代水道の起点です。そこから野毛山浄水場に至る44kmに及ぶ水道みちがスタートしました。
残念ながら昭和40年城山ダムが完成し三井用水取入所はじめ隧道、橋などの施設はすべて水没しました。三井用水取入所の上に造られた沈澄池だけが水没を免れ現存しています。探訪探索記は後述。

城山ダム:型式 重力式コンクリートダム、 高さ 75.0m、
長さ 260.0m、 完成年月日 昭和40年3月31日、
貯水池・調整池 城山貯水池(津久井湖)、
総貯水容量 6230万㎥
神奈川県企業庁「神奈川県営電気事業」より



まず前回感激の対面を果たした川尻隧道の上流側入り口発見の経緯を。

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城山ダム管理事務所の下にある取水塔です。
津久井発電所1号機用の水を取り入れています。
右岸にある太井隧道の探索に向かっていた時にダムの上を通るR413の歩道から撮りました。その日(2月4日)は津久井湖の貯水量が減っていました。取水塔の黄色の線が標高124m、青線が120mを表示。その日は117m位でしょうか。

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通り過ぎて何気なく振り返った時にレンガ色が目に入りました。それがこれです。

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目いっぱいアップして撮ったのがこれで、静止画をさらにアップすると右書きで川尻隧道とかろうじて読めました。津久井湖の水位低下、徒歩の探索だったこと、たまたま後ろを振り返ったことなど幸運が重なって見つけました。まさに犬も歩けば棒に当たるです。
ここでも例の石垣がしっかり左右を固めています。100年経ってなおかつ水没していて崩れていない。感嘆することしきりの管理人です。
後は帰宅後隧道の長さを確かめて地図にコンパスで半円を描けば下流側入り口が分かります。

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対岸から見た川尻隧道です。上の建物は神奈川県城山ダム管理事務所。ここでもう一つ大きな発見がありました。

川尻隧道の左側の石垣の左側。3本の筋が見えます。これが久保沢隧道の上流側の起点になる中沢接合井の遺構です。こちらから見ると中沢接合井の背面に接続された久保沢隧道は谷津川を水路橋で渡り上大島接合井へ向かいました。この日は一度に二つも大きな遺構を見つけました。ラッキーな一日でした。

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これは相模川を渡る城山水管橋です。(12月27日西谷の水道記念館で撮りました。撮影時期は不詳。昭和39年撤去と記されています)。相模川を水管橋で渡った導水管は中沢接合井に直結されました。城山ダムの完成により当時現役だった城山水管橋、中沢接合井、久保沢隧道の一部が水没しました。

「相模川 渡ってすぐに 接合井」 doushigawa

中沢接合井:久保沢隧道の上口に設けた接合井で、
鉄筋コンクリート製。
城山水管橋を渡った既設32吋(830mm)2条及び新設800mm1条の3管はそのまま同橋左岸の絶壁をはい上がらせて中腹の接合井前面に差し込み、背面は直接久保沢隧道に直結させた。本接合井工事は久保沢隧道とともに施工された。第3回拡張工事
2期昭和16年竣工。「横浜水道百年の歩み」より抜粋


なお中沢接合井、川尻隧道付近一帯は三工区(さんこうく)と言われ桜の名所でした。中沢接合井の左上にある公園「水の苑地」の一角にこんな説明看板を見つけましたので記します。

三工区の桜:津久井湖ができる前、この付近一帯は津久井渓谷として保養や遊興の地として親しまれていました。特に城山ダム周辺には数多くの桜が植えられ、当地が日本初の近代水道である横浜水道の第三工区であったことから、「三工区の桜」として広くその名を知られていました。

さて城山ダム建設当時、現役だった城山水管橋は水没する前に架け替え工事が行われ以下のように現在の形になりました。「横浜水道百年の歩み」を参考にそれらを眺めてみます。
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城山ダム展望台から見た城山ダムです。ダムに添わせてある一番太い管が口径1350mmの鋼管でパイプビーム形式の横浜水道城山ダム水管橋です。

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手前の白いフェンスで囲ってあるのが新設の第3接合井。
道路はダムの上を通るR413です。

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反対側から見た第3接合井、1350mm管が繋がっています。これより下流側はR413の下を200m程進んだところで既設の久保沢隧道に接続されています。城山ダム右岸には同じく新設の第2接合井があります。

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水管橋の下に蛇口のようなものが。排水用水抜き管でしょうか?。作業するときは怖そうです。

「昔は橋 今はビームで ダムを越え」 doushigawa

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最後に一つ。前から気になっている物があります。
これはなんでしょう。ブロックで囲われた農家の物入れ?のように見えます。中沢中学のグランド南の道沿いにあります。後ろの建物は城山ダム管理事務所。

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中を覗いてみたのがこれです。がっちりガードされています。コーナーから上大島接合井で見たのと同じ逆J字管が立ち上がっています。ほかには何もありません。中沢接合井の延長線上にあるのでこの下に久保沢隧道が通っていると思います。ちょうどこのあたりで第3接合井から来た隧道と接続されているはずです。注意看板も無くほったらかしの施設で今は使われていないようですが何でも知りたがり屋の管理人にとってはナゾの物体です。

次回は城山ダムを右岸に渡ります。

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