横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の8 谷ケ原浄水場から津久井発電所へ

 前回の続きです。その前に小倉水管橋の創設時の工事風景写真をどうぞ。前回掲載を忘れましたので。創設工事完成は明治20年9月ですから19年か20年頃の撮影と思います。開削した路線、水管橋が見えます。
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水道鉄管布設線路 其十四 小倉之渡津 「横浜水道百年の歩み」より

さて本題に戻ります。
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崖上の谷ケ原浄水場外周道に出ました。横浜水道みちではありませんが右手に浄水場、左手に崖を見ながら歩きます。

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これはR413沿いにある浄水場の正門です。

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フェンスの隙間から中を撮りました。

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左手の崖下は前回見た津久井発電所の放流口、津久井分水池の余水の放流口の辺りです。崖のてっぺんを歩いています。

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これは外周道を半周して津久井分水池東側から見た相模川本流です。城山ダムが放流していないせいか水無し川状態です。さがみ縦貫道は橋脚工事中です。右奥白い建物は城山高校。ここから城山高校まで進みそこで折り返し崖の中腹の横浜水道みちを津久井発電所まで歩きます。

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左手下に池が見えます。津久井分水池です。奥に新小倉橋が見えます。この施設は神奈川県の相模川河水統制事業(昭和22年完成)の一つとして造られました。相模ダムの下にある相模発電所の放流水を下流の沼本ダムで取水し津久井隧道を経てここ津久井分水池へ導き、神奈川県水、横浜水道、川崎水道へ供給しています。これから訪ねる津久井発電所の発電用として主に利用されています。

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神奈川県発電管理事務所 津久井分水池の向かい側。
事務所で戴いたパンフレットによると神奈川県内10発電所の遠隔運転、監視総合制御、維持管理、発電施設の改造事業などをやっているそうです。

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2012.2.12撮影
崖上の道をどんどん進んでいくと「さがみ縦貫川尻トンネル工事」の現場の上へ出てきました。途中は住宅街で行き止まりの道を引き返すこと2回ようやくここまで来ました。

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城山高校が見えてきました。高校の南側を道なりに進みます。

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津久井発電所への進入路へ出ました。ここから折り返し崖の中腹の道を下流へ向かいます。

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両側が石垣です。大島のハイキング道と同じ丸い石を使っています。

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先ほど通った「さがみ縦貫川尻トンネル工事」の下へ出てきました。上は相模川を渡る橋の工事、下はトンネル工事を下から見たところです。

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さがみ縦貫トンネル工事現場の東側にありました。
横浜水道の川尻隧道下口(下流側入り口)です。2月12日にようやく初の対面がかないました。その時の感想「やあ~良かった。生きていたんだ・・・無事で良かった良かった・・・」

実は自分の中ではこの隧道は所在が分からないナゾの隧道でした。あるとき偶然に上流側入り口を見つけました。(後述)
工事中のさがみ縦貫の下に下流側入り口があると知り、もしかしてさがみ縦貫トンネル工事で壊されて見られないかと心配しながらの探索でした。
さてあらためて見ますと隧道の左右は例の丸い石垣で固められています。この隧道は明治45年5月完成です。今年でちょうど満100才です。石垣もそうですが明治の人はいい仕事をしています。

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上部のアップです。「川尻隧道」の銘板が取り外されています。

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今は西谷の横浜水道記念館の庭に飾ってあります。12月27日に見学した時に撮りました。

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左右の石垣にレンガ造りの排水路のようなものが一つずつ。雨水排水用でしょうか。

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隧道内部から水が湧き出ています。

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内部の様子です。ここに42吋鋼管が敷設されていました。

川尻隧道:津久井郡三沢村及び川尻村地内において、旧水道路線の迂回部を直線に貫通して築造したものである。
延長487.8m。第2回拡張工事で明治45年5月完成。
川尻隧道下口で既設18吋(460mm)、22吋(560mm)及び
新設の36吋(910mm)管に接続。
横浜市水道局「横浜水道百年の歩み」より抜粋


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隧道を背にして下流方面を望む。緩やかなくだりです。ここで42吋管は3条に分かれ小倉水管橋、大島接合井を経て川井浄水場、西谷浄水場そして野毛山浄水場へと向かいました。横浜水道みちです。

「水道みち 崖越え谷越え 野毛山へ」 doushigawa

この創設路線は第3回拡張工事(中沢接合井、久保沢隧道など昭和16年竣工)により廃止路線となりました。3条の鉄管はその後撤去されています。下流へその道筋を辿ってみます。

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緩やかなくだりです。大島のハイキングコースと同じ造りの石垣が続きます。いつ頃の築造でしょうか。

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右手に新小倉橋が見えます。

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崖から徐々に平坦地に下りてきました。左手に谷ケ原浄水場の第一取水ポンプ所がありました。相模川の伏流水を崖上の浄水場へ汲み上げています。

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広場に出てきました。前回対岸から見た津久井発電所です。
上の方に津久井分水池の水門が見えます。発電機の2号機は上の津久井分水池の水で、1号機は城山ダム際で取水し津久井分水池の西側の調整池からこの上へ導き発電しています。

ここから下流は前回見た通りです。
先へは進めませんので引き返します。

次回は城山ダムから始めます。

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其の7 小倉橋から谷ケ原浄水場外周道まで

前回の続きです。小倉水管橋より上流部が
どんな環境かを観察します。


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水管橋から500m程上流の神奈川県営津久井発電所です。平坦地がありそれほど厳しくありません。これより下流を対岸から眺めてみます。

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津久井発電所の放流口です。このあたりから断崖絶壁になります。

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上の写真は津久井分水池の余水放流口ですが下の写真はその上方で、右上角の部分が茶色になっています。これは土砂崩れの生々しい傷跡です。

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その下流がこれです。新小倉橋の橋脚の後ろが小倉水管橋です。

よくもまあこんな所を切り開き路線を造ったもんだ。
明治の人たちには頭が下がります。発電所の上流、城山高校の手前にこれから訪ねる川尻隧道がありますがその間はこれほど厳しくはありません。

それでは小倉橋に戻り谷津川沿いに坂を上ります。

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最初に見えてきたのが水路橋です。

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新小倉橋から見るとこんな感じです。細長くて上にフタがしてあります。津久井分水池から来た灌がい用水路橋のようです。水が通っているか否かは?です。隣に廃止橋の久保沢橋が見えます。

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谷津川にかかる廃止橋の久保沢橋です。行き止まりは階段で、アーチ形の美しい橋なんですがなんとなく薄気味が悪い橋です。

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さらに坂道を上っていきます。二つ目の水路橋です。
これが横浜水道の水路橋です。久保沢隧道の水路橋部分で長さ40mあります。

「水路橋どこからどこへ行くんだろう」   doushigawa

前述のように中沢接合井から上大島接合井です。それは完成時の事で今は城山ダム左岸にある第3接合井から上大島接合井です。(後述)

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下から見たところです。しっかりした造りになっています。

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さらに100mほど上るとこんな石碑が。
これは旧城山町の教育委員会が設置したものです。「このあたりは、谷津川沿いに清水が湧き出ることからこの名がある。古くから久保沢、谷ケ原、向原に住む人々の生活用水に使われてきた」とあります。ここで左に折れ崖の上へ向かいます。谷ケ原浄水場の外周道に出る近道です。

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崖の上に出て久保沢隧道の真上から先ほど潜った水路橋を撮りました。

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同じ撮影地点で真後ろを撮ったのがこれです。谷ケ原浄水場のアンテナ塔が見えます。
久保沢隧道は谷ケ原浄水場の地下を潜ったあと向きを変えこちらから見ると津久井湖畔の城山ダム管理事務所の方向へ向かっています。

これから先は隧道でその上を辿ることは出来ません。続きは次回にします。

其の6 小倉橋で水管橋跡を見つけました

小倉橋に着きました。このあたりの景観でおすすめは何と言ってもアーチ形が美しい新旧小倉橋です。

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新小倉橋です。奥の白い建物は神奈川県営津久井発電所。
1月8日撮影



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これは小倉橋で「かながわの橋100選」の一つです。
3月11日に右岸から撮りました。
小倉橋周辺は「かながわの景勝50選」に選ばれています。

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今回の本題に進むためもう1枚。新旧小倉橋です。
画面中央に谷津川の河口があります。

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谷津川河口から上流を見上げた写真です。手前の左右に横切っている水道管は前回歩いたハイキング道に敷設された県水の1,100mm管と思われます。この崖上に企業庁谷ケ原浄水場がありそこから来ています。この画像の中に新小倉水管橋跡が写っていますが周りの景色に溶けこんでいていてわかりずらいと思います。

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小倉橋下のここから奥へ進み、左手の崖下を覗いたらレンガ色の壁のような物が見えました。
一旦戻って下の別ルートから奥へ入った所で見つけました。

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それがこの写真です。蔦やコケで覆われていること、レンガそのものの色褪せで大変わかりにくいです。
ここには何回も来ていますがこの日(3月3日)は幸運でした。草木が生い茂る夏場は見られないと思います。上部の緑色の濃い部分を再度上に上がって撮ったのが下の写真です。

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蔦や草を右手でかき上げて左手でシャッターを切りました。草で覆われていたせいでしょうか鮮やかなレンガ色が出現したのには驚きました。

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足元にはこんな石造物が。献灯 右書きで川尻中と書かれていました。坐像のほうは首から上が欠けています。

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この2枚は対岸(谷津川右岸)の写真です。逆光のため3月11日に撮り直しに行きました。左側が石垣、正面がレンガ張り。下の写真はレンガ部分のアップです。左岸よりもさらにカモフラージュされてわかりづらいです。

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谷津川河口から見た小倉橋。
今回見つけたのは「横浜水道百年の歩み」を読むと既設の小倉水管橋(18吋管、22吋管並設)に並行して造られた新小倉水管橋の橋台と分かります。第2回拡張工事で36吋管が新たに敷設されました。それを通すための橋でアーチ形だったそうです。大正3年10月完成。

次回はここから相模川上流部を少し見た後谷津川沿いを上流に向けて歩きます。



其の5 大島から小倉橋へ


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渓松園の先に相模川沿いの「清流の里」や「相模川自然の村公園」へ下る大島坂があります。

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100mほど下った右側にハイキング道の起点(終点)があります。幅60cm位の階段を登ります。夏場は草が生い茂って分かりづらいと思います。

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ハイキング道に入ってすぐ、やや道が広くなったところにトロッコの看板がありました。
NO.3 大島(2) 三井用水取入所から7.0kmとあります。
ここから約1kmのコースですが明治時代の創設水道路線の様子が一番残っている場所だと思います。当時を思い描きながら歩きます。

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右も左も急斜面の細い道です。
創設時にはここに18吋(460mm)管が通っていました。

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Yの字入り横浜水道の水色杭を見つけました。

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見事な石垣です。いつごろ工事がなされたのでしょう。丸い石をうまく積んでいます。独自の石組み工法がきっとあるのでしょう。路線をしっかり守っています。

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細い道が続きます。右側の石垣も続いています。
明治34年になると新たに22吋(560mm)管が追加で並行敷設されました。この細い道によくやったもんだと感心感嘆します。

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どんどん歩いていくと突然目の前に大口径の導水管が!
びっくりしました。まだ生きていたんだと正直思いました。

(この路線は第3回拡張工事(昭和16年竣工)により廃止路線となりその後導水鉄管は撤去されています。)

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横から見たところです。口径1,100mm管でしょうか。後で分かったことですがこれは神奈川県水の「北相送水管」で谷ケ原浄水場から大島経由相模原市、厚木市方面への路線でした。

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なおこの線のバックアップ路線として「北相送水管2号」の敷設シールド工事が大島の県道48号線沿いで現在行われています。 

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これは今来た道(右側の道)を振り返って撮った写真です。崖上へあがるスロープ状の道(左側の道)があります。上へ上ってみます。

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坂の途中Yの字水色杭がありました。

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上の市道に出ました。崖と市道の間は150m位にわたって柵で囲われています。この道は私が津久井湖方面へ自転車で行く時よく利用する道です。

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横浜市水道局の用地でした。こんな看板も。

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上ってきた道をハイキング道へ戻ります。ここにもレールが再利用されています。柵にはレールが80本程使われていました。

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戻って小倉橋を目指します。去年9月の台風の爪痕がまだ残っています。道が少し広くなった気がします。

大正4年に第2回拡張工事が竣工しました。その時に36吋(910mm)管が新たに敷設され合わせて3条の導水管がこの細くて狭い路線を通りました。がしかし、ここで素人なりに考えると18吋(460mm)、22吋(560mm)で路線はもう目いっぱい。36吋管などとても無理。出来るわけがないと思います。

これは私の想像ですが、36吋管だけ今登ったスロープ状の道を用いて上の道に導き里道を使って大島接合井まで敷設したのではないか。スロープ状の道はそのために切り開いた道だと思います。下流の大島接合井(現渓松園)までは短い距離です。

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空気弁がありました。県水のマークがあります。

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道が広くなりました。自動車の轍があります。

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ハイキング道の終点(起点)に到着です。
トロッコの看板NO.2 大島(1) 三井用水取入所からここまで6.0km  現在地:向原2丁目

この先100m位のところに小倉橋バス停があります。

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帰りは相模川沿いの散策路で帰りました。
画面左が相模川。右手の森の上のほうを今通って来ました。

次回は小倉橋近辺を探索します。


其の4 大島から上大島へ

前回からの続きです。
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またヤツボの看板です。大島中之郷のヤツボです。
渓松園を訪ねる前にちょっとのぞいてみます。

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崖を少し下ったところにありました。

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相模原市の石碑が立っています。

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相模原市立渓松園へ到着です。

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入り口脇でトロッコの看板がお出迎えです。
「三井用水取入所からここまで7.5km 旧大島送水井」とあります。

大島送水井は昭和9年6月完成。ここの裏の崖下に設置の大島臨時揚水ポンプ場からくみ上げた水を横浜の川井浄水場に送っていました。
最盛期には1.541㎥/秒(133,000㎥/日)で、同時期の道志川系の取水量は1.97㎥/秒(170,200㎥/日)でした。貢献度大であったことがわかります。その後県の河水統制事業が完成し横浜水道の第4回拡張事業(下九沢分水池、相模原沈澱池など)で相模湖系の取水が昭和29年に完成しその使命を終えました。
当時の円筒形の送水井の建物をそのまま生かし、昭和47年相模原市老人福祉センター渓松園としてよみがえりました。(横浜市水道局 拡張事業の歴史などから引用)

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現在の水道みちは渓松園の少し手前から創設導水路線を離れ県道48号線上大島の信号のほうへ向かっています。それがこの道です。目印のY字の水色杭がところどころにあります。

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左手に上大島接合井が見えてきました。

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正門です。表札も注意看板も何もありません。

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中の様子はこんな感じです。

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水道局の施設に必ずある逆J字管(私が勝手に名付けています)。エア抜き管でしょうか。

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フェンスの外に立っているこの棒はなんでしょう。
真っ赤に錆びた2本の鉄の棒、レールのようです。昔看板を取り付けた支柱のようです。レールはここ以外にも多く再利用されています。トロッコのレールかどうかわかりませんが。

上大島接合井:久保沢隧道の末端に設けた接合井で内法の長さ・幅ともに7m、深さ4.8mの鉄筋コンクリートで築造。
本井より1,100mm及び800mmの2条を流出管とし、口径800mm管は途中から36吋(910mm)となって大島送水井に連絡させた。第3回拡張工事2期(昭和16年3月竣工)。「横浜水道百年の歩み」より抜粋



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上大島の信号を過ぎ県道沿いに大島団地南側の信号までやってまいりました。これも横浜水道局の施設です。この下に久保沢隧道が通っています。やや西のさらに下のほうを大型隧道の相模隧道が通っています。二つの隧道は連絡坑(深さ1.9m幅1.9m L=54m)で繋がっています。(横浜市水道局 水道施設フローシート図による)
久保沢隧道のメンテナンス時の相模隧道への排水施設のようです。

これより先はずうっと隧道です。県営谷ケ原浄水場の方向へ一直線です。

久保沢隧道:中沢接合井から上大島接合井に至る3,311mの隧道。高さ幅とも1.9mの馬蹄型導水隧道で途中愛川~川尻県道横断立体交差部を水路橋で渡り、上大島接合井付近の下流側は暗渠を設けた。
隧道:3,187m  水路橋:40.0m  暗渠:84.1m
横浜市水道局「横浜水道百年の歩み」より抜粋


次回は大島の渓松園へ戻り創設路線の探索を行います。

其の3 堀之内から大島へ2

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県道48号線に出ました。ジョギングコースはここで終わり、この先はずうっと一般道となります。横断して直進します。

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道の両側をよく見るとこのようにYの字入りの水色境界杭、YWW入りの真鍮製の境界銘板が打ってありますので、水道みちの上を歩いていることがわかります。

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相模原台地から相模川段丘崖の上に出てきました。
木々の間から相模川が見えます。

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崖上の水道みちをどんどん進みます。

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大島水場のヤツボの案内看板です。崖から水が湧き出て溜まるところをヤツボといいます。相模原市登録史跡となっています。

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左手に常盤子どもの広場がありました。看板には「この広場は横浜市水道局から借り受けて使用管理しています」と書いてありました。
昔、水道局の施設があったのでしょうか?広場の中には空気弁、バタフライ弁のマンホールがありました。

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二股道に出ました。右手に進みます。


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2012.3.3撮影
道沿いに梅の花が咲き始めていました。

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急な登り坂の途中の神社さんです。

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坂を上りきったところで何やら水道局の職員さんが作業をやっています。エアバルブの操作中でした。千載一遇のチャンス! お願いして撮らしてもらいました。坂の上の導水管にはエアが溜まりやすいそうです。犬も歩けば棒にあたる。初めてマンホールの中を見せてもらいました。

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横浜水道局の看板がかかった施設が初めて登場です。構内には流量計変換器収納盤がポツンと立っています。

今回はこれでおしまいです。次回は渓松園からスタートします。

其の2 堀之内から大島へ1


前回の続きです。別の日に撮った写真です
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道路をはさんで手前と向こう側と2個あります。
サイズは160cm×240cm 高さ80cm位でしょうか。

別の弁室ですが、上から見たところです。
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Y.W.WはYokohama Water Worksの略。

実はこの弁室は今年の7月30日までに撤去される運命にあります。
前述の「道志川系110cm導水管保全工事」の内容を説明します。私の手元に工事着手前に自治会の回覧板で回った「住民の皆様へ 水道工事のお知らせ」のコピーがあります。
その要旨は
①使用されなくなった導水管(管径110cmと管径約90cm(36吋))及び仕切り弁、空気弁などの撤去と管の中へのエア ーセメントミルク の充填工事。
②工期は2月25日から7月30日。
③区間は相模田名高校から大島水場まで。(地図つき)

こんなわけでこの写真は貴重な?記録として残ります。

久保沢みちに横浜水道の導水管が通っていることはこの案内チラシを見て初めて知りました。
横浜市水道局発行「横浜水道百年の歩み」によると36吋管がはじめて敷設されたのは大正4年竣工第2回拡張工事の時で今から97年前です。隠れ水道みちの110cm管は昭和16年竣工の第3回拡張工事で敷設されました。71年前です。
一度も取り替えていなければきわめて長寿命です。ご苦労様でした。

ではそれらに代わる新しい管はどうなっているの?となりますが、冒頭でちょっと触れたいつの間にか片付いたシールド工事ちゃんと1500mm管が敷設され導水しています。なんでも地下20mの深いところを通っているそうです。

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一直線に伸びる水道みち。ジョギング道や散歩道として利用されています。

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粁程と百米程杭が仲良く並んでいます。
背の高いほうには「十二粁横濱市水道局」、水色杭には120YWWとあります。三井用水取入れ所からの距離を表示しています。水色の杭はこのあたりにはまだ結構残っています。

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トロッコの看板が見えてきました。

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「三井用水取入所」からここまで11km 現在地:田名」とあります。

看板の説明文を記します。
この水道みちは、津久井郡三井村(現:相模原市津久井町)から横浜村の野毛山浄水場(横浜市西区)まで約44kmを、1887年(明治20年)我が国最初の近代水道として創設されました。運搬手段のなかった当時、鉄管や資機材の運搬用としてレールを敷き、トロッコを使用し水道管を敷設しました。横浜市民への給水の一歩と近代消防の一歩を共に歩
んだ道です。


この看板は横浜市水道局が近代水道創設120周年を記念し設置しました。設置場所は創設当時の路線上の26か所です。

詳しくは導水線路「緑道プロムナード」の看板概要図
ご覧ください。

今回はこれまでにします。

其の1 相模田名高校から堀之内へ

1.横浜水道は明治20年(1887)日本初の近代水道として創設
  されました。

2.大正3年(1914)完成の「城山隧道」内に敷設されたドイツ
製の42吋鋼管は今なお現役で横浜へ道志川の水を送り続けて
います。

3.その水を送り続けている導水管路が我が家の近くを通っている
「横浜水道みち」です。

こんなことを最近になって知り感銘を受け興味を持ちました。

持ち前の探究心が頭をもたげてきもっと詳しく知りたくなり去年の暮れ頃

から散歩を兼ねた探訪探索を始めました。初めてのブログです。

記事の投稿は慣れるまでゆっくり進んでいきます。

近くの相模田名高校辺りから上流の水源を目指してスタートいたします。

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広々とした横浜水道みち。右手の白い建物が相模田名高校です。
1年ぐらい前まで左手に横浜水道局の導水管敷設シールド工事の基地が
ありましたがいつの間にか取り払われて元の農地になっています。


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水道みちの上に現場事務所が建っています。
2月の末ごろから「道志川系口径110Cm導水管保全工事」が
始まりました。
各所で試し掘りが始まりました。右側は相模田名高校。


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舗装道路は久保沢道です。斜めに横断します。
道幅はここから半分くらいに狭まります。


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ここから県道54号線まで市道として使われています。大型車通行止め。


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保全工事の試験掘工(試し掘り)後復旧したところです。
管の位置と深さが示されています。


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2、3日前に通りがかった時の工事の様子です。地表から管上端まで85Cm位、
管の口径は36吋と思われます。意外に浅いところに敷設されています。
110Cm管は先ほど渡った久保沢道に敷設されています。相模田名高校付近から
分かれおよそ3km上流の水場で再び水道みちに戻ります。地元の人でもこのこと
を知っている人は少ないと思います。隠れ水道みちです。


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県道54号線を渡ります。左が水郷田名、高田橋方面、右はJR相模原駅方面。



CIMG1035.jpg
田名北小前の信号まで来ました。一輪車の向こうのコンクリート製の
構築物は横浜水道のエアバルブ弁室です。鉄製のふたで75mm Y.W.W.
とあります。エアバルブは水道みちを歩くと一番よく見かけます。
先ほどここまで書いたところで記事が飛んでなくなりました。それでは困りますので
ひとまず初回の投稿をします。





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