横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の203 相模原畑地かんがい用水路の遺構・相模原市麻溝台

 1月25日(日)晴れ、相模原市南区麻溝台に残る相模原畑地かんがい用水路(以下畑かん用水路)の探訪に行ってきました。久しぶりに横浜水道みちを自転車で走り、戦車道の連続する陸軍用地境界杭を見た後、相武台歴史同好会Yさんに教わった畑かん用水路の遺構がある小松会病院の方へ向かいました。
たまに水道みちを通るのも良いことで、前回発表の通り水無月園(菖蒲田)前で「道志川系統活性炭注入設備新設工事」が始まったことを知りました。

相模原畑地かんがい用水路の遺構・麻溝台
小松会病院前の道路から見た農地の中の畑かん用水路の遺構です。北の方向(用水路上流)を見たところです。南清掃工場の煙突が見えます。ここは相模原市南区麻溝台です。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
上記水路管の南端はこのように歩道際(小松会病院前の東西に通じる道路)で切断されています。昔は道路をサイフォンで横断し南側の新磯野の農地へ向かっていたと思われます。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
これは逆方向、北側の道路から南方(用水路下流)を見たところです。コンクリート製の水路管(セグメントパイプ)は南へ向かい東、南へと向きを変えクランク状に敷設してあります。右奥の建物が小松会病院。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
セグメントパイプと塀の間を通り中の様子を観察しました。
直径1m位の円柱形の桝で南向きから東向きへ方向転換。そばに神奈川県のマーク入り境界杭が見えます。畑かん用水路の幹支線は神奈川県が工事を行いました。敷設用地は神奈川県所有のようです。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
桝から東へ向かうセグメントパイプ。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
桝から見た北方向のセグメントパイプ。セグメントパイプは長さが3m、外径は45cm、上部に長さ1mの長円形の開口が2か所あります。開口部は下の写真のようにサイフォン管で畑に給水するための開口です。

相模原畑地かんがい用水路・小支線
末端の小支線用水路から畑へ給水の様子。サイフォン管で給水しています。(相模原市史現代通史編 p289より)

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
ここにも神奈川県の境界杭が。桝と北側道路間。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
北側道路際の円柱形の桝。これは道路下を横断したサイフォンの吐口桝(はけくちます)です。直径は約1m。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
道路北側の呑口桝(のみくちます)。吐口桝と同じ形状です。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
道路西側から見た呑口桝と吐口桝。道路下約1.2mに二つの桝をつなぐヒューム管が敷設されています。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
呑口桝北側(上流)の様子。セグメントパイプは半ば土で埋まっています。右奥竹藪の方へ続いています。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
その上流です。竹藪の北側を東西に通じる道路際に円柱形サイフォン吐口桝が残っていました。ごみ捨て場になっています。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
吐口桝を背に北を見るときれいに整地された広場になっています。呑口桝は撤去されたようで見当たりません。これより上流は???です。「相模原開発畑地かんがい地区一般平面図」によると東西分水工の東で分水した麻溝三号線が麻溝台、新磯野まで伸びているので、これが該当する支線用水路線ではないかと思います。

麻溝台・新磯野土地区画整理事業予定地の看板
小松会病院付近で見た麻溝台・新磯野土地区画整理事業予定地の看板。今日見た畑かんの遺構はこの事業の影響を受けるのでしょうか。

私は畑かん用水路水源池の津久井分水池から藤沢市円行2丁目の終点まで歩き、多数の遺構を見せてもらいましたが、今回のような原形をとどめた規模の大きい支線用水路の遺構は初めて目にしました。探せばまだまだ残っていることをあらためて認識しました。
今回も相武台歴史同好会のYさんのご支援により実現しました。ありがとうございました。

今回の参考資料です。
「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術史」
「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編一般平面図」
1965年3月神奈川県農政部耕地課 (相模原市立博物館蔵)

今回見たセグメントパイプの南端の位置です。
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其の141 畑かん用水路専用隧道・上溝サイフォン


今回はJR相模線・上溝駅近くの相模原畑地かんがい用水路専用隧道・上溝サイフォンの近況です。下の写真は上溝サイフォンです。あれっ、いつもと様子が違う! たまたま通りがかった3月16日(日)に撮りました。

畑かん用水路専用隧道・上溝サイフォン
普段はコンクリートで塞がれている階段の上に穴が開けられ、日曜日で休工中なのか柵で塞がれています。何か工事が始まったようです。しかし現場付近には工事案内看板もなく工事名や工事期間も不明です。近所の人の話では4ヶ月位前に穴が開けられたそうです。まったく気が付きませんでした。知ったからにはその目的や内容が気になります。

畑かん用水路専用隧道・上溝サイフォン
こんな分厚いコンクリートで塞がれていました。厚さは30cm位ありそうです。中は奥行き5m位、コンクリートが打ちっぱなしのがらんどうです。左奥角に鉄板のフタがしてあります。左側の壁面にはコの字型の昇降手すりが付いていて鉄板フタを開ければ下の隧道内へ下りるようになっています。あとで側面図で確認すると下りたところはちょうど隧道からサイフォン管が降下するところです。

畑かん用水路専用隧道・上溝サイフォン
これは平時の上溝サイフォンです。この施設は上溝サイフォンの呑口(流入側)で建設当時はここから工事用の資機材の搬出入、人の出入り、掘削土の搬出口として、また工事完成後は隧道、サイフォンの維持管理点検口として利用されてきました。何年か前に侵入防止のため開口部(コンクリートが白い部分)は塞ぎ工事がされました。
この施設は周りの景色にそぐわない違和感がある存在です。戦争中の防空壕と思っている人もいるようで本当のことを知っている人は少ないと思います。現に私がそうでした。詳しくは 「其の78 相模原畑地かんがい用水路4」 で発表しました。

畑かん用水路専用隧道・上溝サイフォン
これは平日の3月26日(水)に撮りました。16日以来4回目ですがいつもこんな感じで10日前と変わっていません。昨年の3月末に小倉橋の畑かん水路橋の撤去工事が完成しました。水路橋を撤去したら久保澤隧道が出現しました。その開口部はコンクリートで塞がれ出入りのためドアが設置されました。じつはそれと同様のことを想像しました。いつかドアがはめ込まれると見ていました。

気になるので専用隧道の管理者である県企業庁へ照会しました。「導水路維持管理の一環として内部調査を実施中」とのことでした。大掛かりな工事ではなく単なる調査ということでややがっかりです。なお「点検口は再度閉塞する」そうです。私の推測は見事に外れましたが、それにしても再閉塞するとは・・・。閉塞にこだわる訳はよく理解できます。入り込んだ人の命に関わるからです。昔、隧道に入り込んだ中学生がいました。その話は過去記事 「其の80」 のお終いの方で触れていますのでご覧ください。

参考図書「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編」
1965年3月 神奈川県農政部耕地課(相模原市立博物館蔵)

上溝サイフォンの位置です。

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其の113 畑かん西幹線用水路を歩く6・御所見支線から円行へ

 今回が畑かん西幹線用水路探索の最終回です。
前回は落合南まで進みました。地図ではその先は500mほど南へ行ったところで横須賀水道みちへ入って行きます。
参考資料は「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編一般平面図」(以下一般平面図)を用いましたが現代の市販の1万分の1の地図には該当する道がなくその上をたどることが出来ません。
そこで前回通った県道42号線の嫁ヶ久保バス停から始まる御所見支線から探索することにしました。御所見支線は横須賀水道みち付近が終点です。横須賀水道みちをたどれば円行の終点まで行くことが出来ます。
神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編一般平面図
上記「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編一般平面図」(1965年3月神奈川県農政部耕地課)の部分図です。
縮尺は5万分の1です。

10月27日(月)晴れ、小田急相鉄海老名駅南口からバスで綾瀬市役所行に乗車し、嫁ヶ久保バス停下車。

畑かん西幹線御所見支線分岐点
嫁ヶ久保バス停から見た西幹線用水路御所見支線。
真っすぐ南西へ向かっています。

畑かん水路遺構・綾瀬市早川
歩き始めてすぐ御所見支線の右手50m位、農地の中を通る水路跡を発見しました。御所見支線と並行して南西へ向かっています。下流へたどってみました。
栽培している作物はゴボウ、ブロッコリー、ネギなどが見えます。畑かんは米の増産のため陸稲(おかぼ)栽培が当初の目的でした。

畑かん用水路遺構・綾瀬市早川
道路を横断する畑かん支線用水路。伏越(ふせこし)・サイフォンで右から左へ渡っています。

畑かん支線用水路遺構・綾瀬市早川
上記写真右側電柱下の呑口桝。ゴミ捨て場になっています。

畑かん支線用水路遺構・綾瀬市早川
吐口桝です。

畑かん支線用水路遺構・綾瀬市早川
その下流です。水路支持台が残っていました。

畑かん御所見支線水路遺構・綾瀬市早川
これは御所見支線道路沿い右側にあった水路跡です。
上流の嫁ヶ久保バス停方向を望む。土で埋まっています。
断面形状は台形でコンクリートブロック製、水路幅は外径が130cm、内径は90cmでした。この水路は左右に広がる農地向けではなくもっと下流の農地向けと思われます。

畑かん御所見支線水路遺構・綾瀬市早川
上記の下流で見た用水路の遺構です。こちらはコンクリート製現場打ちの用水路です。道路横断直前で伏越呑口桝と思われます。水路幅は外径が71cm、内径は61cmでした。

畑かん御所見支線
その先です。ガードレールに突き当たりました。ガードレールの向こう側は綾瀬市役所方面から来た市道です。ここは切り通し道の崖上になります。御所見支線は目の前の草むら辺りで地下に潜り道路を横断したと思われます。

畑かん御所見支線・伏越で市道を横断
切通しの市道です。海老名方面を望む。畑かん御所見支線は伏越(ふせこし)・サイフォンで道路を横断しています。画面右(上流)から左(下流)へ。

畑かん御所見支線遺構・綾瀬市早川
対岸の切通し崖上道路際まで行き吐口桝を探しましたが雑草が繁茂していて見つからず。その下流で見つけた御所見支線の遺構です。U字フリームというヒューム管の支持台です。内径は67cmありました。

一般平面図を見るとこれから先はほぼ真南に進み吉岡工業団地へ入って行きます。団地内で左折し団地を縦断し中原街道を過ぎた辺りの横須賀水道みちで終わっています。そこから横須賀水道みちに入り一路南東へ歩きました。
上記U字フリームを見てからその先藤沢市葛原まで用水路の遺構を見つけることは出来ませんでした。すべて撤去されたと思われます。

畑かん支線用水路・藤沢市葛原
綾瀬市吉岡から藤沢市葛原に入りました。横須賀水道みちから西の畑へ向かうヒューム管。支持台とセットで残っています。

畑かん用水路の遺構・藤沢市葛原
新幹線ガードを南に潜りました。水道みち沿いに放置されたヒューム管。

横須賀水道・海の杭(帝国海軍境界杭・波入り)
近くにあった海の杭(帝国海軍境界杭・波入り)です。
横須賀水道は元々帝国海軍横須賀鎮守府が作りました。
愛川町半原から横須賀逸見浄水場まで延長約53km。

畑かん用水路遺構・藤沢市市葛原
横須賀水道みち沿いの畑かん施設跡。右が上流側で左が下流側です。落差を付けています。
中はこんな風になっています。左が上流側、右が下流側。
畑かん用水路の遺構・藤沢市葛原 畑かん用水路の遺構・藤沢市葛原


以下は横須賀水道みち沿いに敷かれた支線から畑へ向かう小支線用水路です。
畑かん用水路の遺構・藤沢市葛原

畑かん用水路の遺構・藤沢市葛原
真っすぐ東へ伸びるヒューム管の水路。外径265mm、
内径は215mmでした。

畑かん用水路の遺構・藤沢市葛原

畑かん用水路の遺構・藤沢市葛原
こうして見ると水道みち沿いの水路は吉岡工業団地からの西幹線用水路御所見支線の延長のようです。地図上では中原街道の先の横須賀水道みちで終わっていますが実際には葛原まで延びていたと思われます。

畑かん用水路の残骸・藤沢市葛原久保地
水道みち沿いで見た用水路の残骸。これが今日の探索行で見た最後の遺構となりました。ここは藤沢市葛原久保地です。

横須賀水道みち・藤沢市葛原
その先です。県道42号線西山田信号近くです。この辺りで落合南から西幹線用水路がここ横須賀水道みちに入って来たと思われます。

横須賀水道みち・県道22号線交差
その先県道22号線を横断したところで横須賀水道みちはいすゞ自動車の工場敷地内へ入って行きます。
一般平面図によると西幹線用水路は近くの北門辺りから水道みちに並行して工場内を南東へ向かっています。そしてその終点は現在の工場南門付近(土棚と円行の境)となっています。

ところで、調べたらこの工場の操業開始は昭和37年です。
畑かん上流部の専用導水路(津久井分水池、虹吹分水池間)の完成が昭和39年3月です。それまでは横浜水道虹吹分水池から分水を受け昭和24年から通水を開始し、その後畑かんの幹線、支線、その先の小支線が完成したのが昭和34年度でした。
畑かんがまだ盛りのころにこの工場は操業を始めています。
この辺りでは工場や住宅用地需要が急増する都市化の波が早かったと言うことでしょうね。
一般平面図に明確に路線が表示してあるので実際にこの通り施工されたものの、超短命に終わったと思われます。

横須賀水道みち・いすず藤沢工場南門付近
これはいすゞ工場内を通過して出て来た横須賀水道みちです。
下流の鎌倉方面を望む。ここはいすゞ藤沢工場南門付近です。

さて、一般平面図を見ると西幹線用水路終点までの途中、「藤沢排水」が枝分かれしています。これが本当の西幹線用水路の終点です。5万分の1の地図を現代の1万分の1の地図にあてはめたらぴったり同じところが見つかりました。

畑かん西幹線用水路藤沢排水終点
藤沢排水は藤沢北警察署前の信号から約200m南へ進み、円行2-7を東へ入った突き当りのT字路で止まっています。このT字路交差点が藤沢排水の終点です。正面は幼稚園ですがその東側には引地川が流れています。ここは藤沢市円行2丁目です。

柳橋より引地川下流を望む
付近の引地川に架かる柳橋から見た下流の景色です。
おそらく藤沢排水はこの川に放流されていたと思います。
橋の下流へ歩いて見ましたがその後の護岸改修のせいか放流口は確認できませんでした。

畑かん西幹線用水路の探索行はここまでです。
この後柳橋から坂を上り近くの小田急湘南台駅へ向かいました。

畑かんの水源は相模原市緑区にある津久井分水池です。
そこから相模原市南区陽光台の虹吹分水池までの専用導水路約10kmを歩き、さがみの仲よし小道の起点(相模原ゴルフC南側)からここまで歩いてきました。御所見支線経由で延長約21.5kmです。津久井分水池から約31.5km歩いたことになります。

虹吹分水池に「畑地かんがい事業の碑」が立っています。
その碑文には
神奈川県央相模原横山大地は、北は相模原市より南は藤沢
市に至る「八里橋なし九里の土手」ともいわれた丘陵で古くから水なき台地と呼ばれた。作物は天水に頼るのみで、ひとたび日照りが続けば年々旱魃の被害を受けること多く・・・

とあります。今回延べ5日間かけ西幹線用水路を歩き「八里橋なし九里の土手」に少しだけ触れた気がいたします。

先の大戦の敗戦で国力の落ちた中、食糧増産のためにこれだけの大事業をよくやったな~~・・・。急速な都市化の波で畑かん事業は短命に終わったとはいえ日本という国、ご先祖さまは大したもんだというのが率直な感想です。
それから水源地から末端の小支線まで自然流下で送水されました。素人では考えが及ばない発想の大胆さとそれに応えた技術力に敬意を表します。

今回の参考資料は本文に記載の通りです。
他には「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術史」
1965年3月神奈川県農政部耕地課(相模原市立博物館蔵)
を参考にしました。

今回のスタート地点嫁ヶ久保バス停付近の地図です。

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其の112 畑かん西幹線用水路を歩く5・さがみ野駅から落合南へ

 前回の続きです。前回は相鉄線さがみ野駅西、西幹線用水路が相鉄線と駅前通りを伏越(ふせこし)・サイフォンで潜った吐口桝付近で探訪を終えました。
10月21日(月)晴れ、そこから用水路沿いを綾瀬市落合南まで歩きました。どのような施設跡が残っているか楽しみです。
いつものように末尾に地図を付けましたので参照願います。

西幹線用水路・さがみの仲よし小道、海老名市東柏ケ谷
東柏ケ谷2丁目のさがみの仲よし小道・西幹線用水路。
この辺りは海老名市が現在歩行者専用路の整備工事中です。

西幹線用水路伏越吐口跡・東柏ケ谷2
道路を伏越で横断する西幹線用水路の呑口桝跡。
相模原市、座間市、海老名市と歩いてきましたが伏越の呑口桝、吐口桝のデザインはいずれもこのようなレンガ巻で共通しています。例外もありますが・・・。
東柏ケ谷2丁目1丁目境界付近にて。

西幹線用水路・東柏ケ谷1丁目
東柏ケ谷1丁目でさがみの仲よし小道は途絶えています。
西幹線用水路は前方の小高い丘を隧道(トンネル)で潜り抜けたようです。こちらは丘を越えて追いかけました。

西幹線用水路隧道出口・綾瀬市寺尾台4丁目
綾瀬市寺尾台4丁目で隧道の出口を見つけました。
隧道跡は見れませんが奥の石垣下に出口があったと思われます。ピラカンサスの実が色づき始めました。
ピラカンサス・綾瀬市寺尾台4

綾瀬市寺尾台4丁目・さがみの仲よし小道
上記地点より下流方向を望む。さがみの仲よし小道です。

西幹線用水路伏越・寺尾台2丁目
道路を伏越・サイフォンで横断する西幹線用水路。
奥が呑口桝です。道路横断部に補修跡が見えます。

さがみの仲よし小道・寺尾台2丁目
さがみの仲よし小道・綾瀬市寺尾台2丁目。

さがみの仲よし小道
さがみの仲よし小道道標・綾瀬市寺尾台2丁目。

さがみの仲よし小道・西幹線用水路暗渠、寺尾台2
同じく寺尾台2丁目です。暗渠フタの水路が残っていました。
通気口が付いています。フタの幅を測りました。180cmでした。

さがみの仲よし小道・コンクリート管、寺尾台2丁目
その傍に展示中のコンクリート管です。
寸法は長さ240cm、内径は100cmちょうどでした。
ここに置いてあるのは畑かん用水路ゆかりのモニュメントということでしょう。私の想像では伏越の道路横断(推進工)部分と見たのですが、如何でしょう・・・。
コンクリート管の後ろに珍しい(私にとっては)蝶が休んでいたので撮影しました。末尾に載せました。

西幹線用水路・天台小西
整備されたさがみの仲よし小道が終わり、天台小西で見つけた西幹線用水路跡。地図では水色の水路表示がありますが実際はこんな風です。

西幹線用水路・天台小西
その先もこのようになっていて水路は寸断されています。

西幹線用水路・天台小西
その先で見つけた水路跡と橋。

西幹線用水路より下流を望む・天台小西
上記より下流を望む。事業所の構内になっています。
その先は東西に走る県道40号線です。切通し道です。
西幹線用水路は切り通しを伏越(ふせこし)・サイフォンで横断していたと思われます。
40号線を横断後は県道42号線沿いの事業所敷地の西側を一路南下します。県道から西へ入る道が3カ所あり、水路跡を探索するも残念ながら見つからず。

そのさき寺小橋北側信号付近で42号線を横断し県道東側に沿って一路南へ流下しています。
寺小橋北側交差点では伏越で県道を横断したはずです。
呑口吐口施設などの遺構を探索するも手がかりはありませんでした。

その先で東名高速と立体交差します。(していたはずです)。
というのは畑かんの幹線、支線、その先の小支線が完成したのが昭和34年度で、東名高速東京IC厚木IC間開通が昭和43年です。横浜水道虹吹分水池が完成したのが昭和24年です。畑かんは当初横浜水道虹吹分水池から分水を受けていたので工事が先行していた支線、小支線には昭和34年以前からその恩恵を受けていたと思います。

従って西幹線用水路の下に堀のような東名高速が通ったからには何か付け替え工事で対応したはずです。
多分水路橋に付け替えて東名高速を渡ったと想像するのですが・・・。これらのことは非常に興味深いのですが何分にも年月が経ち過ぎています。観察するもそれらしき跡は見つかりませんでした。真相は?です。

ちなみに海老名SA付近を通る横須賀水道半原系統の導水管(大正10年完成)は水管橋(吉久保橋)で東名高速を渡っています。

県道42号線嫁ケ久保バス停
東名高速に架かる寺小橋を過ぎ県道42号線嫁ケ久保バス停まで来ました。県道東側歩道を歩きましたがただ黙々と歩くのみで畑かんゆかりの遺構は皆無です。県道は今は片側2車線ですが昔は1車線だったと思います。拡幅工事の際に畑かん施設の遺構は整理されたと思われます。

畑かん西幹線御所見支線分岐点
これは嫁ケ久保バス停前の畑かん西幹線用水路御所見支線です。ここで分水し真っすぐ南西へ向かっています。

県道42号線・綾瀬市役所南
県道42号線。綾瀬市役所南付近。

綾瀬市役所南から見た田園風景
綾瀬市役所南、県道42号線から見た西側の田園風景。
地図を見ると碁盤の目のように区画整理された農地です。
歩けば畑かんの小支線用水路の遺構が見られると思います。

この後中原街道交差点を過ぎ落合の信号を左折しました。
この先42号線沿いを歩いても遺構の発見は期待薄と見たので地図にある短い支線を探索することにしました。

畑かんセグメントパイプ・綾瀬市落合南
セグメントパイプを発見しました。道路南で忽然と姿を表しました。

畑かんセグメントパイプ・綾瀬市落合南
南側から見たところです。道路南端の桝に繋がっています。
この桝が始まりのようです。落合の信号からたどって来たのですが、それらしき遺構は何もなく諦めかけていたところで発見しました。今日の探索の良いお土産になりました。ここは落合南6丁目と7丁目の境です。下流へたどってみました。

畑かん支線用水路・綾瀬市落合南
流下する畑かん小支線用水路。田んぼの用水路と並行して敷設されています。

畑かん小支線用水路・綾瀬市落合南
その先です。まるで道路側溝のようです。

畑かん小支線用水路・綾瀬市落合南
終点の桝近くのセグメントパイプ。

畑かん遺構・綾瀬市落合南
その先で見た小支線用パイプの遺構。裏向きにして畑と道路の仕切として利用しています。

落合南バス停
その後県道42号線へ戻り、再び西幹線用水路をたどりました。ここは神奈中落合南バス停です。地図によるとこの辺りで向きを変え藤沢市葛原で横須賀水道みちに入り南東へ向かっています。西幹線用水路の終点はまもなくです。
今日の探索行はここで終え14時22分発小田急長後駅西口行のバスに乗りました。

アサギマダラ アサギマダラ
寺尾台2丁目のコンクリート管に止まっていた蝶です。
図鑑を見たらアサギマダラでした。

今回の参考資料です。
・「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編
  一般平面図」1965年3月 神奈川県農政部耕地課
・国土地理院地図閲覧サービス
及び市販の一万分の一の地図を併用しました。国土地理院の地図には青色破線で西幹線用水路が示されています。

今回のスタート地点付近の地図です。

大きな地図で見る

其の111 畑かん西幹線用水路を歩く4・行幸道路からさがみ野駅

 10月13日(日)快晴、この5月以来5ヵ月ぶりに畑かん西幹線用水路(さがみの仲よし小道)を歩きました。前回は5月21日に新磯野から行幸道路の先小田急線手前まで進み探訪を終えました。6月にその先を探索予定でしたが現役の用水路(通水中の用水路)を優先したため遅れてしまいました。

畑かん西幹線用水路小田急線伏越
さて前回は小田急線手前の伏越(ふせこし・サイフォン)呑口桝まで進みました。写真中央の白杭の向こう側、レンガが吐口桝です。この写真は前回投稿の最後に掲載した写真です。

小田急線踏切座間市相模が丘2
西幹線用水路の南西100mの小田急線の踏切です。
西幹線用水路はこの地下を推進工で横断しています。

西幹線用水路小田急伏越吐口
踏み切りを渡り伏越の吐口桝へ来ました。左側レンガ造りの施設がそれです。向こう側(呑口桝)に桜の大木が茂っています。

畑かん西幹線用水路相模が丘2
その先で道路を伏越(サイフォン)で横断する西幹線用水路。
右が呑口桝で上流側です。座間市相模が丘2丁目。

相模野基線中間基点説明看板
用水路沿いでこんな看板を見つけました。相模野基線中間基点の説明看板です。
相模野基線中間基点
明治15年(1882)3月15日、測量の基線を置くことになり、当時の下溝村八の芝野(現在の相模原市麻溝台2099番地)に相模野基線の北端点が置かれた。南端点はひばりが丘一丁目にある。この南北両端の基点の間を測量して正確な距離を算出した。
この場所はその基線の中間点である。
北緯35度30分27秒034
東経139度25分24秒666

説明看板より抜粋

相模の基線中間点
付近道路上の相模野基線中間点。緯度経度は上記。
サイズは普通のマンホールフタより小さめです。
ウォーキングすると色々勉強になります。

さがみの仲よし小道桜伐採工事区間
さがみの仲よし小道で桜の大木の伐採工事をやっていました。
相模が丘3丁目にて。

西幹線用水路・さがみの仲よし小道
工事区間が終ったさがみの仲よし小道・西幹線用水路。
道は変化をつけて蛇行しています。上流を望む。

さがみの仲よし小道・西幹線用水路
その先相模が丘4丁目です。フェンスに突き当たりました。
この辺りでまた桜の大木が多くなりました。名札を見ると染井吉野や大島桜とありました。

西幹線用水路伏越で道路横断
フェンスの向こうは道路でした。道路を横断しました。
西幹線用水路は伏越(サイフォン)で道路を横断しています。
奥が呑口側で手前が吐口側です。

西幹線用水路呑口桝・小松原信号
そのすぐ先で県道50号線と立体交差します。
小松原交差点手前の伏越呑口桝の遺構です。当時の状態のままで残っています。

西幹線用水路・小松原信号
呑口桝を背に県道50号線小松原交差点より下流を望む。
吐口側の施設は解体されたようで痕跡がありません。
これより先は両側が工場や事業所の建物が続きます。

西幹線用水路・西大和支線分水地点
西大和支線分水地点。左斜めに分かれます。西幹線は直進。
小松原交差点から南はずうっと道路東側の歩道を歩きました。
ここはひばりが丘1丁目です。

西幹線用水路・東原桜並木
東原に入ると道路西側に大木の桜並木が続いています。
並木の西側が西幹線用水路です。暗渠でフタがしてあります。

畑かん西幹線用水路暗渠フタ・座間市東原
暗渠フタです。鉄筋コンクリート製、幅は2.5m位。
通気口もあります。

東原桜並木案内看板
東原桜並木案内看板です。
この桜は、昭和28年栗原地域の芹沢、下葉原、大下地区の農家155戸が私財を出し合って畑かん水路の完成を記念して植えたとされています。現存する桜の本数は約130本、並木の延長は約1.3km。  昭和63年1月  座間市
看板より抜粋

以下桜並木で見た碑や案内・説明看板などです。
桜花の碑 畑かん櫻の碑 なかよしこみちの歌詞
左から櫻花の碑、畑かん櫻の碑、なかよしこみちの歌詞。

座間八景 高座海軍工廠
座間八景と高座海軍工廠説明パネル。

さがみの仲よし小道・さがみ野駅入口付近
さがみ野駅入口付近のさがみの仲よし小道。左から歩道、仲よし小道、車道。上流方向を見る。ここは座間市さがみ野2。

西幹線用水路右へカーブ・さがみ野駅付近
さがみ野駅直前で右へ急カーブする水路跡を見つけました。

畑かん西幹線用水路呑口桝・さがみ野駅付近
その先へ回り込みました。手前の四角いコンクリートへ繋がっているようです。これは相鉄線線路下を潜る伏越(ふせこし・サイフォン)の呑口桝と思われます。伏越の発進立坑でここで地下深く潜り、推進工で線路下を横断していると推測します。ここは海老名市東柏ケ谷3丁目です。

相鉄線さがみ野駅
相鉄線さがみ野駅北口です。駅を越えて南側の伏越吐口を探しに行きました。

畑かん西幹線用水路吐口桝跡・さがみ野駅西
さがみ野駅西で工事中のさがみの仲よし小道・西幹線用水路を見つけました。駅前通り沿いです。

畑かん西幹線用水路吐口桝跡・さがみ野駅西
一見花壇のように見えますが、このレンガ造りが相鉄線と市道を伏越で潜った伏越吐口桝跡と推測します。現役の頃ここに立つと吹き上がる水流が見れたと思います。

畑かん西幹線用水路・さがみの仲よし小道
その先南東へ向かうさがみの仲よし小道・西幹線用水路。
今日の探訪はここで切り上げ、さがみ野駅へ向かいました。
今日は意外に伏越(サイフォン)遺構が多く見れました。東原の暗渠水路も遺されていました。この先どんな道を通り何が見つかるか次回の探訪が楽しみです。

金木犀
今日の花です。座間市小松原、さがみの仲よし小道にて。

今日の参考資料です。
「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編一般平面図」1965年3月 神奈川県農政部耕地課
一般平面図は5万分の1の地図です。市販の1万分の1の地図と併用しました。

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其の86 畑かん西幹線用水路を歩く3・新磯野から行幸道路
(2013/5投稿の前回記事です)
畑かん用水路探索探訪は津久井分水池がスタート地点です。
津久井分水池からここまで歩いて来ました。過去記事は右欄のカテゴリ「相模原畑かん用水路」から入れます。

今日のスタート小田急線との交差地点の地図です。

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