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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の610 大山寺に参拝しました・神奈川県伊勢原市大山

 10月28日(月)は8の日です。日取りとお天気に恵まれたので大山参道を歩き大山寺に参拝してきました。

伊勢原駅前大山阿夫利神社鳥居
大山詣での表玄関、小田急線伊勢原駅前の大鳥居です。柱に金文字で「大山阿夫利神社 関東総鎮護」。

昨年から今年にかけて相模原市立博物館のFWに参加し、柏尾通り大山道を歩きました。戸塚の大山不動堂から大山阿夫利神社下社まで完歩したのですが、時間の関係で大山寺は通過となりました。今一達成感がなく気になっていたので「大山不動さん」を一人で参拝してきました。


大山のこま参道
伊勢原駅から大山ケーブル行きバスに乗り終点下車。終点からほど近いこま参道入口です。


大山のこま参道

大山のこま参道
こま参道です。階段と踊り場の繰り返しで都合362段の階段を上ります。路面に書かれたこまの絵で踊り場の数を示しています。下の写真は20か所目の踊り場。


大山のこま参道
こま参道制覇!!362段を上りきると右側が大山ケーブル駅です。


大山参道
大山ケーブルは利用しないので直進します。大山寺の大看板が迎えてくれました。
関東三十六不動札所 第一番霊場 雨降山大山寺
惹句は家内安全、商売繁盛、交通安全、癌封じ。ほかにもいっぱいありますよ!


大山参道
階段を上るとまたまた階段です。階段を上り右手へ進むと男坂で大山阿夫利神社下社まで30分。直進は女坂で下社まで40分、大山寺まで20分の道程です。


大山の女坂参道
女坂参道に入りました。また上り階段です。女坂と侮るなかれ。山登りですからね。


大山の女坂の七不思議・弘法の水
これは女坂の七不思議その一「弘法の水」。弘法大師が岩に杖を突いたらその跡から清水がこんこんと湧き出たと言う。
ただもくもくと歩くだけの一人旅、七不思議を探しながら登っていきます。


大山の女坂の七不思議・子育て地蔵

大山の女坂の七不思議・子育て地蔵
女坂の七不思議その二「子育て地蔵」と案内板。


大山参道女坂の砂防堰堤

大山参道・女坂の階段
砂防堰堤と沢沿いの階段。女坂は沢沿いの参道です。一方の男坂は尾根道です。私は以前無謀にも大山阿夫利神社下社から男坂を下り、膝に痛みが来てエライ目に遭いました。


大山参道女坂の七不思議その三「爪切り地蔵」

大山参道女坂の七不思議その三「爪切り地蔵」
女坂の七不思議その三「爪切り地蔵」。


大山参道女坂の七不思議その四「逆さ菩提樹」。
女坂の七不思議その四「逆さ菩提樹」。上が太くて下が細く、逆さに生えたように見えることから。現在は二代目。


大山寺の龍神堂(八大堂)

大山寺の龍神堂(八大堂)
女坂沿いの龍神堂(八大堂)と案内板。ここは大山寺境内に入っています。しかしまだこれから階段が続きます。


大山寺前の急階段
大山寺の真下に到着。階段を上ったところが大山寺本堂です。


大山寺

大山寺
大山寺に到着です。金文字で大山寺。日の丸を掲げ、本日御開帳日の看板が目立ちます。毎月8、18、28日が御開帳日です。ちょうど本堂で御護摩祈祷が行われていて祈祷の声がスピーカーから流れていました。
本堂に昇殿し、参拝しましたが本堂内が暗くてお不動さんのお姿をよく拝観できなかったのが心残り。カメラを向けることは禁止されています。


大山寺ご浄財金の案内
ご浄財金の案内。大山寺は昔から檀家のまったくないお寺だそうです。


大山寺・鉄造不動明王及二童子像
これがご本尊です。(大山ケーブル駅前の案内板より)
大山道を旅すると要所に石造りの不動明王坐像を載せた大山道道標が立っています。その大元がこのご本尊です。

雨降山大山寺HPには
不動明王は心をこめて参拝する人々に、わけ隔てなく現世の悩み、苦難を助けてくださる仏様なので、本堂にて一心に願い事を祈ってください。
とあり誠に心強く有難い仏様ですね・・・。
大山寺は真言宗大覚寺派の寺院です。お寺の歴史、ご本尊など詳細はHPをご覧ください。


国指定重要文化財 鉄造不動明王及二童子像案内板
本堂前の伊勢原市教育委員会案内板です。要点を記します。

国指定重要文化財 鉄造不動明王及二童子像
昭和三年八月一七日指定
・大山寺の本尊 不動明王像を中心に両脇侍像の三尊像。
・不動明王像は右手に宝剣、左手に羂索をもって座る。
・像高は97.7cm 鎌倉時代中期の作、鉄で鋳られた鉄仏。
・本殿奥の奉安殿に安置されている。

(伊勢原市教育委員会案内板より抜粋)


大山寺前の赤い橋
帰りは赤い橋を渡りケーブル大山寺駅へ向かいました。歩いて3分ほどです。


大山ケーブルカー
大山ケーブルに乗車。女坂を徒歩で下るとたぶん膝に来るので予定の行動です。


金文字の雨降山大山寺御朱印
おしまいに金文字の雨降山大山寺御朱印です。


大山寺の位置です。

情報ボタンから陰影起伏図に切り替えできます。

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其の602 柏尾通り大山道・長後市民センターの石仏群

 前回、下土棚遊水地を見学したあと、柏尾通り大山道に入り小田急線長後駅へ向かいました。長後市民センターの石仏群に詳しい案内板が新設されたので短くお伝えします。

下土棚遊水地D池周囲堤沿いの道を長後街道の方へ歩いて行くと、老人福祉センターこぶし荘を過ぎた辺りに右から下って来た坂道との交差点があります。この坂道が柏尾通り大山道です。
柏尾通り大山道
柏尾通り大山道に入りました。大昔に引地川が削って出来た河岸段丘崖でしょうかね。ずっと上り坂です。そのまま進むと長後街道に入ります。大山参拝の人たちが利用したので長後街道は大山道でもありました。


長後市民センター・石仏群案内板
長後街道沿いの長後市民センターを表敬訪問しました。センターの庭には近隣から集めた石仏が多数並べてあるので通りがかった時はいつも寄るようにしております。

これが新設の案内板です。いままではなんの案内もなかったのが、石仏個々に番号が付けられ、下記のように詳細な記述があり、より詳しく学べるようになりました。

長後市民センター石仏群
種類、型・刻銘、造立年・造立者、元の所在地等
平成31年3月吉日 長後地区郷土づくり推進会議歴史散策の会



石仏群は道標、句碑を含め30体ほどあります。以下は案内板未設置の石仏、道標です。

長後市民センターの庚申塔  長後市民センター・庚申塔
庚申塔です。左側面に天明二壬寅十一月吉日(1782年)造立。相州高座郡下土棚。右側面は道標を兼ねています。


長後市民センター・大山道道標
庚申塔の左となり(柏尾通り)大山道道標です。

来年、下土棚遊水地を見学する予定なのでまた来ます。案内板にどのように記述されるか楽しみです。

長後市民センター石仏群の直近の探訪記録です。
「其の542 柏尾通り大山道④」(2019/2投稿)


こぶし荘先の大山道(中央十字線)です。


其の559 柏尾通り大山道を歩く⑩・とうふ坂~大山阿夫利神社

 前回の続きです。とうふ坂を上り千代見橋を渡りました。いよいよ大山阿夫利神社下社は目前です。今回が柏尾通り大山道の最終回です。

大山こま参道
千代見橋を渡ると土産物店やとうふ料理店が軒を連ねるこま参道に入ります。右側石垣に大山講参拝記念碑が嵌め込んであります。上り階段が延々と続きます。私は膝に難があるので帰り道が心配でした。


茶湯寺入口
途中、こま参道を左折し茶湯寺を訪ねました。鈴川に架かる橋を渡ります。百一日目にお参りすると故人と似た人に出会えるそうです。


茶湯寺入口の唯念六字名号塔
茶湯寺入口の唯念六字名号塔。書体が徳本念仏塔と似ています。


茶湯寺の本尊釈迦涅槃像
茶湯寺の本尊は釈迦涅槃像で窓ガラス越しに拝観できます(撮影は禁止)。案内板の木造釈迦涅槃像です。


茶湯寺の徳本念仏塔とお地蔵様と六地蔵
茶湯寺境内の徳本念仏塔とお地蔵様と六地蔵。


茶湯寺のわらべ地蔵
境内のユーモラスなわらべ地蔵。「頭をなでたり体にさわりたいと思い一時的にいやなことを忘れて無心になることもひとつの信心」だそうです。


雨降山大山寺参道
こま参道階段を抜け、大山川(鈴川)を渡るとまた急階段です。
「関東三十六不動札所 第一番霊場雨降山大山寺」の看板。


大山参道・男坂女坂分岐点
急階段を上るとまた階段が。左が大山寺参道の女坂。右は男坂で尾根道の急階段が大山阿夫利神社下社へ通じています。私は以前無謀にも男坂を一人で下り完全に膝に来てしまい往生した苦い経験があります。「横歩きで一段下りては両脚で立ち」の繰り返しで千段(あるように感じました)を下りました。


大山参道・シャガの花  大山参道・ミミガタテンナンショウ
階段わきで見た季節の花。左がシャガの花、右は図鑑で見るとミミガタテンナンショウでした。平地では見かけない花です。


大山ケーブルカー

大山ケーブルカー
男坂女坂分岐点から大山ケーブル駅に戻り全員が大山ケーブルカーに乗りました。大山寺は途中駅大山寺駅からすぐの所です。時間の関係で大山寺はパスし二つ目の終点阿夫利神社駅まで行きました。


大山のハイキング道
大山阿夫利神社下社は阿夫利神社駅のすぐ近くですが、先に二重の滝を見に行きました。大山阿夫利神社下社前を通過し日向薬師方面へ通じるハイキング道を進む一行。


南沢コンクリート谷止工
左手に神奈川県が築造した南沢谷止工を見ながら進みます。


ヤマルリソウ
道沿いに咲くヤマルリソウ。葉っぱが毛深いです。


二重の滝
鈴川の源流二重の滝です。今日は水が枯れています。
昔、雨乞いの参拝者は二重の滝で採水して持ち帰り、田んぼに撒いたそうです。

大山川の源流をなし、大自然の巨岩が二段にわかれ・・・。神聖にして清浄なるところから浄めの滝とも呼ばれ、修験者の禊の行場でありました。 (案内板より抜粋)


二重社
二重の滝傍らの二重社です。
阿夫利神社の摂社で殖産、灌漑、雨乞いの守護神。萬物の生命の根源である水をつかさどり俗に龍神ともたとえられる。 
(案内板より抜粋)


大山阿夫利神社下社
二重の滝から大山阿夫利神社下社階段下へ戻りました。


大山阿夫利神社下社
大鳥居に「国土安泰・天下泰平」。そういえば田村通り大山道二の鳥居にも同じ文字が刻まれていましたね。


大山阿夫利神社下社
大山阿夫利神社下社です。江戸時代はこの地に大山寺がありましたが、明治維新政府の神仏分離令により不動堂は取り払われ、大山阿夫利神社下社となりました。大山寺はその後明治18年に現在地に再建されました。


神泉霊水「大山名水」
お参りしたあと本殿地下を見学。神泉霊水「大山名水」です。
二重の滝へ行かなくてもここで汲むことが出来ますね。


大山阿夫利神社下社の双体道祖神
道端で見かける双体道祖神がこんなところに。ぼけ封じの守護神だそうです。それにしてもお互いが相手の肩に手を回し仲睦まじいこと。ボケが心配な方は和合を見習い参拝してくださいね。


大山阿夫利神社下社本社登山口
下社の西側、山頂の大山阿夫利神社本社登山口です。関所のような門と鳥居を潜り急階段を上ると登山道になります。今日は見上げるだけです。

江戸時代、夏山の7月21日~8月16日に限り、関所の門を開け山頂の石尊社(現在の本社)へ男性に限りお参りすることが可能でした。それ以外の日は門が閉まり大山寺(現在の下社)までの参拝でした。その時代、山頂へは男性のみとされ江戸川柳で「大山は、上は金玉ばかりなり」と詠まれたそうです。女性は夏でも関所から上は登れなかったのです。


大山阿夫利神社下社からの眺望
下社大鳥居からの眺めです。あいにく視界が悪いですが、快晴であれば相模湾、江の島、三浦半島、房総半島、川のように細い東京湾などの絶景を一望できます。


大山阿夫利神社参道の無事かえる
大鳥居下の「無事かえる」。帰り道、こま参道下り階段では幸い膝に来ることなく無事帰ることが出来ました。(^σ^)


江戸の人々にとって大山参拝は手ごろな距離にあることから信仰と行楽を兼ね大人気だったそうです。当時の成人年齢は15~17才で、その齢になると一人前と認められました。大山講には新成人も加わり大人の仲間入りをしました。
大山参拝後は田村通り大山道から藤沢に入り江の島に遊ぶのが一般的だったそうです。なぜでしょう?江の島は男性に人気があったからですね。私は、大人は大山参拝後の解放感に浸り、旅の恥はかき捨て、新成人は筆下ろしにより心身ともに成人式をすませたのではないか・・・、と勝手にあらぬ想像をしております。昔の人は現代人と比較できないくらい健脚でタフだったんですね・・・。(驚)

延べ五日かけて柏尾通り大山道を歩きました。今までに歩いたことがある境川、引地川、目久尻川、相模川左岸用水路などを縦糸とすれば此度の大山道歩きは、横糸の関係になります。各所で懐かしい再会が出来、楽しく意義ある旅となりました。五日間欠席しないで完歩出来たのが最大の収穫です。まだまだ水辺歩きできそうですね・・・。(^σ^)/ 自信がつきました。
水辺歩きブログに反するかもしれませんが、いつか別ルートの大山道歩きに挑戦したいと思っています。

こま参道入口の位置(中央十字線)です。


其の558 柏尾通り大山道を歩く⑨・比々多神社~とうふ坂

 柏尾通り大山道歩きの五日目です。予定通り3月30日(土)に行ってきました。柏尾通り大山道ほか各地からの大山道が比々多神社に集まりました。参拝者は神社前の茶店で一服したあと大山を目指したそうです。相模原市立博物館FWの一行も大山阿夫利神社下社を目指します。

伊勢原市の大山道(県道611号線)
比々多神社をスタートし、県道611号線を上って行きます。直進すると旧道で、新道は左折します。大山道歩きなので旧道を進みます。


這子坂バス停近くの易往寺
大山道沿い東側、這子坂バス停近くの易往寺(いおうじ)です。元慶3年(879年)の大地震で大山寺が潰滅。復興に時間がかかると見た当時の大山寺別当四世弁真上人が元慶5年(881年)この地に一道山地蔵院易往寺を建立し移りました。


易往寺北側の唯念六字名号塔
易往寺北側の唯念六字名号塔です。見上げるほどの立派な塔です。四面に六字が大きく陰刻されていますが光線の加減で南無阿弥陀仏がはっきり読み取れません。


這子坂
旧道から少し西側に入った這子坂です。這って上るほどの急坂で昭和初期に県道が整備されるまで這子坂が大山道でした。


大山阿夫利神社三ノ鳥居
県道611号線旧道に戻り、大山阿夫利神社三の鳥居を潜ります。久々に神明形式の鳥居を見ました。ここまで明神式ばかりでした・・・。大山の懐に入ったせいでしょうか大山の頂が見えなくなりました。


大山道沿い先導師旅館
大山道沿いの先導師旅館です。これから進むにつれ先導師旅館が増えていきます。先導師は御師(おし)とも呼ばれ各地へ出かけお札を配りながら大山参拝を勧めました。合せて旅館業を営んでいます。神社の玉垣のような垣には参拝者名が刻まれています。


鈴川の新玉橋
鈴川に架かる新玉橋までやって来ました。


新玉橋より鈴川を望む
新玉橋より鈴川上流を望む。平成27年に鈴川源流を探訪した時にこの橋を渡りました。懐かしいです~。(^σ^)


「大山こま」製造元金子屋
大山道沿いの「大山こま」製造元金子屋。江戸時代からの伝統工芸品で、御師が講に大山参拝を進めるさいお札と共に配り、参拝者からはお金がこまのようにくるくる回るので土産物として人気があったそうです。


大山道の歓迎アーチ
大山道の歓迎アーチ。「ようこそ大山へ」「日本遺産大山詣り」。


先導師旅館の参拝者名
先導師旅館には参拝者の名前が刻んであります。たまたま見つけた塀に「藤栄会 名古屋松坂屋」と刻んであります。今はどうか知りませんが、子供の頃「まっさかや」と呼んでいた名古屋の老舗デパートです。銀座、上野、大阪、静岡など支店名も刻んであるので講を組み参拝したのでしょう。「藤栄会」の藤とは前身の「いとう呉服店」伊藤次郎左衞門さんからですね。


鈴川のかすみ橋
鈴川に架かるかすみ橋を渡り鈴川左岸沿いの大山道旧道に入りました。


鈴川沿いの旧大山道
鈴川沿い大山道旧道の町並み。


大山道(県道611号線)
県道611号線大山道に戻りました。急坂です。


鈴川の開亀橋
鈴川に架かる開亀橋です。桜花爛漫です~。(^σ^)


開山堂(良弁堂)

開山堂(良弁堂)案内板
開亀橋下流、鈴川左岸の開山堂(良弁堂)と案内板です。


良弁滝

良弁滝
大山寺開山時に良弁僧正が最初に水行を行ったとされる良弁滝。江戸時代たびたび錦絵や版画に取り上げられたそうです。


大山道とうふ坂

大山道とうふ坂   大山道とうふ坂
県道左側を並行する大山道旧道「とうふ坂」。江戸時代大山参拝者が手のひらに豆腐をのせ、すすりながらこの坂を登ったそうです。


千代見橋より鈴川上流を望む
かなりきつくて長い「とうふ坂」を上りきると千代見橋に出ます。千代見橋から鈴川上流を望む。崖上の石像は道祖神です。橋を渡ると有名な「こま参道」が始まります。こま参道沿い大山とうふ料理店で昼食をとりました。次回(最終回)に続きます。


今回のスタート比々多神社の位置(中央十字線)です。



其の552 柏尾通り大山道を歩く⑧・東名高速~比々多神社

 咳止地蔵尊で矢倉沢往還と別れ、大山道(柏尾通り・青山通り)を大山阿夫利神社目指して歩いています。前回は上粕屋の東名高速まで進みました。

双体道祖神・大山道
東名高速を潜ると大山道沿いに双体道祖神が祀ってありました。

大山道・伊勢原市上粕屋
大山道はいよいよ上り勾配になりました。右側の水路は大山を源流とする大山川(鈴川)から引いた千石堰用水と(千石用水・千石堀・道灌堀とも)呼ばれる用水路です。この先石倉橋まで千石堰用水路沿いに坂道を上って行きます。


三所石橋造立供養塔
大山道沿いの「三所石橋造立供養塔」です。千石堰用水路に架かる三か所の石橋を供養するために洞昌院住職と村人によって建てられました。享和2年(1802年)造立。


大山阿夫利神社二ノ鳥居
三所石橋造立供養塔近くに立つ大山阿夫利神社二の鳥居に寄り道をしました。
田村通り大山道と県道611号線が交わる△地点に立つ二の鳥居です。柱に嘉永四年(1851年)再建と刻まれています。典型的な明神形式の鳥居ですね。一の鳥居は田村通りが東海道から分岐する地点(検索は、藤沢市城南1-1-31 大山阿夫利神社一の鳥居)に立っています。


千石堰用水路と大山道
大山道に戻り千石堰用水路沿いに坂道を上って行きます。


大山・伊勢原市上粕屋大山道より
右手に大山を望む。だんだんと大きくなっています。


太田道灌墓所・伊勢原市上粕屋
途中右折し、洞昌院本堂北西に在る太田道灌墓所を訪ねました。前回下糟屋の墓所で述べたように洞昌院のお墓は胴塚とも呼ばれています。墓前の二株の枯れ木は「手向けの松」と伝えられています。


洞昌院・伊勢原市上粕屋
蟠龍山洞昌院本堂です。開基は太田道灌です。


洞昌院の観音順礼塔
境内に立つ観音順礼塔です。もと高根の辻にあったものをこちらに移設したそうです。道標を兼ねています。道標は庚申塔とばっかり思っていましたが順礼塔にも刻まれていました。


七人塚・伊勢原市上粕屋大久保
七人塚前を通りました。
江戸城の築城で有名な太田道灌が、主君上杉定正に「道灌、謀叛心あり」と疑われ、定正の糟屋館に招かれ、刺客によって暗殺されました。そのとき上杉方の攻撃を一手に引き受けて討ち死にした道灌の家臣七人の墓で「七人塚」と伝えられています・・・。  環境省・神奈川県   (案内板より抜粋)


上粕屋神社・伊勢原市上粕屋

上粕屋神社
次に上粕屋神社を訪ねました。こちらも明神鳥居で鐘楼がありますね。由緒書きによるとおよそ1200年の歴史ある神社です。
大同、弘仁(806~824年)の頃、近江の国の日吉神を当所に移し勧請したと伝える。又、風土記によれば天平年中に僧良弁の勧請なりと言う・・・。 (上粕屋神社由緒書きより抜粋)


大山道道標  大山道道標
大山道に戻りました。千石堰用水路沿いの大山道道標です。
正面に「上り 大山道」、右側面に「下り 戸田道 厚木道」、左側面に「寛政十一年未年六月 当村念仏講中」、裏面に「右は田村道 左は村道」と刻まれています。 (案内板より)
他に道標を兼ねた庚申塔、道祖神が並んでいました。


大山道の庚申塔
その先大山道沿いの庚申塔。右端は道標を兼ねています。


千石堰用水路と大山道
大山に向って千石堰用水路沿い坂道を上る。


大山道と暗渠の千石堰用水路
左折し、田村通り大山道(県道611号線)手前で暗渠になった千石堰用水路。


大山道・石倉橋交差点
田村通り大山道に合流しました。目の前の交差点は石倉橋。
大山は真正面です。左の方から交差点に入るのは金目道(かない道・県道612号線)。


大山道・県道611号線
石倉の信号を過ぎ大山道(県道611号線)を行くFW一行。
只今第2東名高速の工事が真っ盛り、大型ダンプがひっきりなしに通るので要注意です。


大山道沿いの道祖神
県道脇の道祖神です。両脇に五輪塔らしきものが立っています。


もと石倉橋交差点にあった大山道道標です。
(2015年1月撮影)
大山道道標・石倉橋交差点より移設

大山道道標・石倉橋交差点から移設
これは鈴川沿いの道標です。平成27年(2015年)1月に鈴川源流を探訪した時に見つけた大山道の道標です。場所は石倉橋の西、鈴川左岸崖上の道です。案内板によると、もとは石倉橋交差点にあったそうです。当時も第2東名高速の工事を行っていたのでこちらへ避難させたものと思われます。FW当日はコース外で行かなかったのですが、現在もそのままと思います。

「左 戸田 あつぎ 青山道」「右 いせ原 田むら 江の島道」と読み取れます。大山参拝後、それぞれの方面へ向かう帰り道の道標です。旅人の道中の安全を祈って不動明王を戴いています。


日々田神社

子易明神・日々田神社
大山道沿いの子易明神・比々多神社に到着しました。古の昔から安産守護の神として崇められてきました。


日々田神社・向拝の柱
比々多神社向拝の柱です。子宝安産を願う参詣者が少しずつ削り取り持ち帰ったので細くなっています。煎じて飲むとご利益があると信じられてきたそうです。今は禁止されています。


日々田神社境内の庚申塔
境内の庚申塔です。「奉納 庚申供養」と刻まれています。
3匹のお猿さんも彫ってあります。

柏尾通り、青山通り、田村通り大山道はここ子易明神・比々多神社に集まっています。資料によると、各地からの登拝者は子易明神前広場の茶店で一服したあと、いよいよ大山へ向けて出発したそうです。

柏尾通り大山道歩き四日目はここまでです。五日目(最終回)は3月30日に歩く予定です。

今回のスタート東名高速北側、双体道祖神の位置です。


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