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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の527 相模川ナベトロ線軌道跡を歩く・座間市四ツ谷

 今年10月に座間市の相模川旧堤防を歩き「其の521」で発表しました。私は気付かなかったのですが、ナベトロ線跡(砂利運搬トロッコ線軌道跡)を歩いていたらしいのです。チャコさんのブログでヒントをもらい初めて知りました。
今昔マップを開くと確かに軌道が描かれています。トロッコはどのようなところを走っていたのか地図を片手に見に行きました。

JR相模線入谷駅
11月21日(水)JR相模線入谷駅ホームの南端です。今日はここから探訪スタートです。
昭和10年、相模川で採取した砂利はナベトロ線で貨物(砂利用)駅として新設された入谷駅西側(写真左側)まで運び、ナベトロから相模線の貨車に積み替え京浜地区へ運んでいました。

トロッコ線軌道が描かれた今昔マップです。2画面に切替えできます。(今昔マップon the webより)



JR相模線入谷駅南の踏切
入谷駅から300mほど南側の踏切です。脇道が相模線手前で左へ曲がっています。これが西の相模川河原から来たナベトロ線の跡です。入谷駅が開設される昭和10年以前、ナベトロ線は前方の丘(座間丘陵)にある小田急線座間駅まで砂利を運んでいました。崖が急なためウインチを利用したそうです。

ナベトロ線跡・JR相模線南
相模線土手沿いを北方の入谷駅へ向かう小道。今に残るナベトロ線跡です。ナベトロとはトロッコを架台とし砂利を積載する容器がナベに似ていたので合せて「ナベトロ」と称したそうです。
鉄製で積載量約1トン。

鳩川の白鷺橋
踏切西側鳩川に架かる白鷺橋です。ナベトロ線は橋の北側を渡っていました。

鳩川に架かる白鷺橋
鳩川右岸から見た白鷺橋です。現在の白鷺橋は1983年(昭和58年)架橋です。ナベトロ線は1955年(昭和30年)にダンプトラックの普及により廃線となり、さらに鳩川の護岸改修などもあり当時の痕跡は残っていなかったですね・・・。

座間市四ッ谷・ナベトロ線跡
白鷺橋から西へ進みます。今昔マップによるとこの道路右(北)側をナベトロ線は走っていました。前方左側に日枝大神の森が見えてきました。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
日枝大神角で用水路に突き当たります。ナベトロ線は用水路を越え西に向かっています。左側は座間市消防団の建物です。

トロッコのレール・座間市四ッ谷
ここで面白いものを見つけました。用水路内にトロッコのレールが二本立っていました。

トロッコのレール・座間市四ッ谷
間違いなくトロッコレールです。寸法を測ると上部(車輪が接する面)幅が30mm、下部幅は53mm。高さ(上下間)は60mmでした。かつてナベトロ線に使われていたレールと思われます。
横浜水道みちを歩くとトロッコのレールが注意看板の支柱や横浜市水道局用地の境界柵として利用されているのを見かけますが、それと全く同じレールですね。
何のためにレールが用水路の中に立っているのでしょうかね。水路壁が倒れないようにありあわせのレールを打ち込み、支えにしたような気がします。錆びないので丈夫で長持ちしています。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
用水路を渡り県道51号線を横断します。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
そのまま直進すると柵でガードされ通行止めです。徒歩なので構わず進入します。道は正面の大山に向っています。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
広い道の中は草茫々ですが踏み固めた小道が続いています。犬の散歩者とすれ違いました。いかにもナベトロ線跡らしい道です。かつてこの道を牽引車(蒸気機関車をごく小さくしたような形のガソリンエンジン車)に引かれた12両編成のナベトロ列車が走っていました。今では信じられないような光景ですが・・・。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
草茫々の道を抜けました。今昔マップをよく見るとこの辺りで北方の新田宿河原で採取した砂利を運ぶ小田急ナベトロ線が合流(分岐)していました。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
前方を横切る砂利道は私が10月に歩いた相模川旧堤防です。ナベトロ線は旧堤防を跨ぎ大山の方へ向かっています。

相模川旧堤防・座間市四ッ谷
交差点より相模川旧堤防北方向を見ました。小田急ナベトロ線はこの先旧堤防沿いを北上し新田宿河原から採取した砂利を運んでいました。私は知らなかったのですがトロッコ軌道に沿って歩いたことになります。陸閘を見つけたあの道です。(軌道跡は今昔マップ参照)

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
旧堤防交差点の先です。大山に向って直進します。

用排水路・座間市四ッ谷
南流する用排水路を渡ります。この用排水路は鳩川に合流しています。

相模川堤防・座間市四ッ谷
丸太の柵左側は現在築堤養生中の相模川堤防です。大山に向って直進するとこの堤防に突き当たります。
今昔マップによると、用排水路を渡ったところでナベトロ線は南西へ向きを変え相模川堤防を越え河原へ下りていました。この辺り一帯の農地を斜めに横断していたのですが軌道の痕跡を見つけることはできませんでした。

相模川・座間市四ッ谷~海老名市上郷
相模川・座間市四ッ谷~海老名市上郷
築堤中の堤防に沿って下流へ歩き相模川河原へ下りる道を見つけました。砂利がいっぱいありますね・・・。砂利採取当時、砂利船を浮かべ木製桟橋をかけナベトロを通していました。ここは座間市と海老名市の境界付近です。


参考文献 
座間市立図書館蔵 座間むかしむかし28集「ナベトロ線のこと」

相模原市のナベトロ線について相模原市立博物館による詳細な報告書が公開されています。内容は座間市より上流新磯・相武台前駅間でナベトロ、牽引車、桟橋等の写真も載っています。
相模川新磯鉱区から相武台地区に至るナベトロ軌道

今回の投稿で廃線記事は4件目となりました。「廃線軌道跡」カテゴリをあらたに設けました。

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其の426 旧国鉄蛇松線跡を歩いてきました・静岡県沼津市

 9月29日(金)晴れ、拙ブログ読者地元ティーさん推奨の旧国鉄蛇松線跡を歩いてきました。蛇松線は緑豊かな蛇松緑道として生まれ変わり、緑道を歩けば今でも昔の面影をしのぶことができます。

蛇松線・2120型タンク機関車
旧国鉄蛇松線にはかつてこんなSLが走っていました。
「2120型 タンク機関車 沼津港・沼津駅間」
(千本港町旧蛇松線沿線の案内板より)

蛇松緑道案内板
沼津市が立てた蛇松緑道の案内板です。蛇松線とは?そのあらましが書いてあります。クリックで拡大します。
明治20年、東海道本線建設の資材運搬のため貨物線として敷設。区間は狩野川河口右岸蛇松と沼津停車場設置場所。
明治21年から昭和49年までおもに石油、木材、魚を運ぶ貨物線として活躍。車社会の台頭により昭和49年廃止。
その歴史を伝えるため昭和57年、蛇松緑道として生まれ変わった。
(案内板より要約)

観音川を渡る蛇松線橋台跡?
JR沼津駅南口からスタートしました。引込線を見たかったのでなるべく東海道線の線路沿いを歩きました。駐輪場を過ぎその先の観音川子持川で橋台?とおぼしき跡を見つけました。蛇松線の引込線は観音川子持川を鉄橋で渡っていたと思われます。右手が沼津駅方向です。

城内橋より観音川上流を望む
城内橋から観音川子持川上流を見ました。突き当りは東海道本線です。左側の建物は沼津通運倉庫。

旧国鉄蛇松線跡・沼津通運倉庫
沼津駅南口から西へ通じている大通りから沼津通運倉庫を見ました。カーブした構内通路があり乗用車が駐車しています。右側の段差はプラットホームのように見えます。よく見ると奥に線路が見えます。

旧国鉄蛇松線跡・沼津通運倉庫
ズームアップしました。レールが残っています。蛇松線の明確な遺構を見つけました! 先ほど見た橋台の延長線上と思われます。

蛇松緑道起点(終点)
上記から大通り南側の蛇松緑道の起点(終点)が見えます。
木製の立派な蛇松緑道の看板が掲げてあります。

蛇松緑道
蛇松緑道内は雑多な木が植えてあります。ここは桜並木です。緑道は全般に大きく左カーブしています。

観音川
今日冒頭で見た観音川子持川下流です。幸橋を渡りました。観音川(子持川の下流部)河口は沼津港内港です。次回の沼津港の治水施設でも登場します。

蛇松緑道
緑道のど真ん中に植えられた大木。楠でしょうか?

蛇松緑道内「幸いの池」
蛇松緑道「幸いの池」です。細長い川のような池です。

蛇松緑道
温暖な地らしい南国の木が植えてあります。案内板によると緑道に植えられた樹種は120種類に上るそうです。

蛇松緑道・千本東町分岐点付近
緑道左手が芝生の広場まで来ました。この先で沼津港へ直進する道と分岐し、緑道は左カーブして狩野川の方へ向かいます。

蛇松緑道・千本東町分岐点
分岐点です。左へ歩を進めます。あとからまたここへ戻ります。

蛇松緑道(終点)起点のモニュメント
分岐点から250m位先の蛇松広場に到着しました。
蛇松線の車輪、信号機がモニュメントとして展示してあります。
この奥は狩野川右岸堤防です。ここが蛇松線の終点(起点)蛇松駅で当時はこの辺りにプラットホームがあったのでしょう。
ここは沼津市蛇松町です。蛇松広場の案内板に蛇松の由来が書いてありました。
その昔この地に蛇のようにくねった松がありその松を蛇松と呼ぶようになった。貨物線の起点がこの近くに建設されたのでこの線を蛇松線と称した。戦後住宅が増えたので町名も蛇松町と呼称するようになった。 (案内板より)

蛇松
蛇松です。(千本港町の旧国鉄蛇松線案内板写真より)

狩野川・蛇松線終点付近
狩野川右岸堤防に上りました。港大橋が見えます。海上輸送された資材をこの辺りの港から陸に揚げ蛇松線で沼津駅まで運んだのでしょう。それらしい雰囲気は残っていないですね。

蛇松緑道・千本東町分岐点
分岐点まで戻りました。沼津港へ向かう蛇松線跡です。なんとレールがそのまま残っています。

沼津港へ向かう蛇松線
沼津港へ向かう蛇松線
そのままたどって行きます。前方で県道159号線と交差しています。レール間隔はいわゆる狭軌です。

沼津港へ向かう蛇松線
県道を渡り佐政水産前で復活しました。前方は千本港町交差点です。
なお佐政水産前に冒頭の写真「2120型 タンク機関車」や「蛇松」の写真入り案内板があります。

沼津港へ向かう蛇松線
千本港町交差点前です。蛇松線のレールを見たのはこれが最後です。

沼津港へ向かう蛇松線・沼津みなと新鮮館前
信号を渡りレールの延長線上です。建物は沼津みなと新鮮館です。通路幅はちょうど蛇松線のような感じですね・・・。

蛇松線・沼津港沼津魚市場前
その先はプラットホーム状の沼津魚市場です。分岐した蛇松線はここまで入って来たのでしょう。直進すると狩野川右岸の巨大堤防に突き当たるのでここが終点です。現在ここでは魚のセリは行われず奥の沼津魚市場INO(イーノ)で取引をしているそうです。

沼津港内港・沼津魚市場前
沼津魚市場の西側は沼津港内港です。漁船が停泊しています。

沼津港内港・沼津魚市場INO(イーノ)と「びゅうお」
上記から西を見ると左側に沼津魚市場INO(イーノ)があり、その奥に巨大水門「びゅうお」が見えます。

旧国鉄蛇松線探訪記はここまでです。地元ティーさんには蛇松線の紹介ありがとうございました。次回は「びゅうお」ほか沼津港の治水施設について投稿いたします。

観音川子持川の鉄橋跡と思われる位置です。

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其の372 旧国鉄西寒川駅跡を訪ねる・神奈川県寒川町

 前回で終えた目久尻川源流を訪ねるシリーズの一回目は相模川合流点(目久尻川河口)からスタートしました。JR相模線寒川駅から河口へ向かう途中、西寒川駅跡を見つけました。かつて相模線に支線があり今は廃線になっていることを初めて知り興味を持ちました。3月16日(木)晴れ、改めて探訪しました。

「旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡」の碑
八角広場に建てられた「旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡」の碑です。初めて碑を見た時は「えっ、こんなところに駅が?!」とびっくり。碑にはこんなことが刻まれています。

旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡の碑
ここ旧国鉄西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転ずるとその視界に工場群が迫る。そこは、かつて多くの仲間が営々と働いた相模海軍工廠(昭和20年 敷地704,000㎡)の跡地である。往時を偲べば、先人や友の姿が彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。第二次大戦後、工場立地に恵まれ、跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。いま台地に深く根差した縁に世界の平和を願い国土の安穏を祈る。
建立 相廠会及び協力企業  昭和63年春
  (碑文より)

碑文から戦時中は西寒川駅が海軍工廠で働く人たちの足として、また寒川町HPによると戦後は跡地が工業団地となり昭和35年工業団地で働く人たちのため旅客輸送を再開し(一日4往復)、昭和59年3月 西寒川支線廃止まで通勤客を運んでいたことが分かります。

八角広場の西寒川支線跡
碑の北側に線路が遺されています。広場内の案内板によると八角広場は旧国鉄西寒川駅跡地で西寒川支線跡地を利用して昭和60年から整備した一之宮緑道の南端になります。北東の端は寒川神社表参道一の鳥居付近まで、延長約900mの緑道です。

寒川町一之宮の工業団地
八角広場から見た東南方向の工業団地。

1927~1939(昭和2~14)年にセットした今昔マップです。(今昔マップon the webより)
西寒川支線は貨物線とあり、海軍工廠はまだなく桑畑でした。大きな地図は右欄サイドバーからリンクできます。検索窓に「寒川駅」と入力すると開きます。1944~1954(昭和19~29)年に切り替えると工場が見えます。

寒川町の一之宮緑道
西寒川支線をたどってみることにしました。

寒川町の一之宮緑道
沿道に早やくもコブシの白い花が咲いていました。

一之宮緑道・車輪のモニュメント
モニュメントとして車輪が置かれていました。一之宮公園丸太の広場付近。

寒川町の一之宮緑道
一之宮公園付近で線路が復活。桜が多いので花期が楽しみです。

一之宮緑道・車輪のモニュメント
線路が終わったところでまたモニュメント車輪です。

寒川町の一之宮緑道
両側がカツラ並木の緑道。カツラは高さ25mにもなる落葉高木で秋になると形の良いハート形の葉っぱが美しく紅葉します。低木はドウダンツツジ。四季折々色彩の変化を楽しめそうです。

寒川町の一之宮緑道ゲート広場
一之宮緑道北東の終点(起点)県道47号線沿いゲート広場の道標。

西寒川支線跡
県道47号線を渡ると線路跡敷地が残っています。

西寒川支線跡
線路敷地右側の小道を進むとJR相模線へ出てきます。相模線のこの辺りにポイントがあったのでしょうか? 寒川駅は500mほど先にあります。
今回の廃線路探訪は短いうえに整備された緑道だったので楽な歩きでした。あっという間に終了です。

寒川神社表参道一の鳥居
県道47号線沿いゲート広場から北方を見ました。寒川神社の表参道一の鳥居です。ここから続く寒川神社の森は神奈川の美林50選に選定されています。表参道から別の目的地へ向かったので次回発表します。

八角広場の位置です。


其の348 玉電砧線を歩く・東京都世田谷区

 12月12日(月)晴れ、「其の346渋谷町水道みちを歩く②」で知った玉電砧線を歩いてきました。玉電砧線は昭和44年に廃線になった路面電車ですが、どのようなルートを走っていたのか興味を持ちました。幸い今昔マップと言う重宝な地図があるので廃線になった軌道跡をたどることができます。


(1965~1968)(昭和40年~43年)にセットした今昔マップです。今昔マップon the webより。
中心は現在の田園都市線・大井町線二子玉川駅です。二子玉ライズドックプラザから西方に伸びているのが玉電砧線です。当時玉電と大井町線の駅は少し離れていました。

二子玉川駅前玉川通り
二子玉川駅前、玉川通りに面した右側のビルが二子玉ライズドックプラザです。

玉電砧線跡
二子玉ライズドックプラザの北側から田園都市線を見ました。駐輪場の辺りを砧線は走っていたと思われます。今昔マップによるとここから左カーブして西方へ向かっていました。

玉電砧線跡
左カーブの軌道跡は見当たりませんがR246・玉川通りに出ると、世田谷信金北側一方通行入り口の細い道が玉電砧線に一致しています。

玉電砧線跡
そのまま進むと左側に並行してレンガ敷き遊歩道が出現します。これが砧線軌道跡です。

砧線中耕地駅跡
遊歩道にこんなタイル絵が埋め込まれています。
「砧線中耕地駅跡」。

玉電砧線中耕地駅跡
中耕地駅跡です。確かに駅停車場分だけ遊歩道幅が広くなっています。

玉電砧線中耕地駅跡
遊歩道に埋め込まれた中耕地駅のタイル絵。砧線は単線だったんですね。

玉電砧線中耕地駅跡の碑
世田谷区・世田谷地団協が立てた砧線中耕地駅跡の碑。
吉澤駅←砧線中耕地駅→二子玉川駅。

玉電砧線軌道跡
西へ向かう砧線軌道跡遊歩道。

マンホールフタに描かれた玉電
遊歩道マンホールフタに描かれた玉電。

砧線軌道跡オブジェ
こんな記念碑オブジェもありました。「砧線軌道跡」。

玉電砧線軌道跡
ドウダンつつじの砧線軌道跡遊歩道。

玉電砧線軌道跡
車道との境界にも砧線の玉電の電車が。レールも使われています。玉電を偲ばせるものが至るところにあります。地域の人々に愛される玉電砧線。駒沢給水塔と相通ずるものがあります。

玉電砧線軌道跡
左へ急カーブして多摩堤通りへ出てきました。

玉電砧線軌道跡・吉澤橋
多摩堤通りを横断し野川に架かる吉澤橋までやって来ました。橋の手前に吉澤駅がありました。

野川の吉澤橋
野川左岸下流から見た吉澤橋です。昔、玉電砧線の電車はここを鉄橋で渡っていました。

吉澤橋の「玉電と吉澤記念碑」と電車のレリーフ
吉澤橋の「玉電と吉澤記念碑」と電車のレリーフ。
この橋は関東大震災直後1924年(大正13年)玉電砧線開通に合わせて架けられた鉄道橋でした。砧線は現在の二子玉川駅と砧本村を結ぶ約2.2kmの路面電車で、人々の通勤通学手段としてだけでなく、関東大震災復興のため多摩川の砂利を都心方面へ運搬するため大きな貢献を果たしました。しかし、その後車社会の到来とともに路面電車は姿を消すこととなり、1969年(昭和44年)玉電は世田谷線を除き全線廃止となりました。廃止後は道路橋として世田谷区に移管され今日に至っています。この度、野川の河川改修に合わせて上流の吉澤橋と新吉澤橋を統合し、新しい吉澤橋に架け替えました。平成19年3月 (記念碑碑文より)

吉澤橋・玉電のレリーフ
玉電のレリーフです。

野川を渡る吉澤の鉄橋風景
野川を渡る吉澤の鉄橋風景 昭和36年 (玉電・砧線)。
(玉電と吉澤記念碑写真より)画像をクリックすると拡大します。

玉電砧線軌道跡
吉澤橋を渡り西へ向かう玉電砧線軌道跡。

玉電砧線軌道跡
その先、三角公園付近の玉電砧線軌道跡。

玉電砧線軌道跡
その先で二股に分かれます。左は砧下浄水所外周道、右が砧線です。

玉電砧線軌道跡・鎌田二丁目南公園付近
右側の道に入り直進すると鎌田二丁目南公園に突き当たりました。昔の玉電砧線終点、砧本村駅(きぬたほんむらえき)はこの辺りです。駅跡を思わせるものは何も残っていないです。

砧本村バス停
公園の西側は東急バス砧本村バス停広場になっていました。

砧本村バス停広場境界柵
これは砧本村バス停広場の鉄筋コンクリートの境界柵です。中耕地駅のタイル絵に描かれた柵にそっくりです。もしかしてこれが砧本村駅の遺構かも知れないですね・・・。

玉電砧線中耕地駅跡
参考に中耕地駅のタイル絵です。形状、間隔、横木の数など、本当によく似ています。

帰りはちょうど来た東急バスで二子玉川駅へ向かいました。
今回はいつもの水辺歩きではなく廃線路歩きとなりました。
「横浜水道みちを行く」が廃線路を歩きましたが、なかなか面白かったですね。拙ブログの性格は芋づる式探訪記なのでどこへ飛ぶか私自身もわかりません。これに味をしめどこかまた廃線路を探訪するかも知れません。次回は水辺歩きに戻ります。

今日のスタート二子玉川駅です。