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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の396 「軍都さがみはら探訪」・神奈川県相模原市

 6月4日(日)晴れ、相模原市立博物館主催の「軍都さがみはら探訪」に参加しJR横浜線矢部駅から淵野辺駅までその痕跡を巡りました。私の狙いはあわせて陸軍敷地境界杭を見つけることでした。幸い一本のみですが実現し、私的には収穫ありの探訪会でした。

軍都相模原の軍関連施設位置図
かつて相模原は軍都相模原と言われたように数多くの陸軍関連施設がありました。
相模原の軍関連施設の分布です。緑色は旧相模原町域、ピンク色が軍関連施設(相模原市史文化遺産編より)。
主な施設は相模陸軍造兵廠、陸軍兵器学校、相模原陸軍病院、陸軍通信学校、陸軍機甲整備学校、陸軍士官学校、臨時東京第三陸軍病院など。画像をクリックすると拡大します。

相模陸軍造兵廠跡の碑
JR横浜線矢部駅に集合し博物館学芸員さんの案内で探訪スタートです。駅近くの公園に設置の相模陸軍造兵廠跡の碑です。碑の裏面に詳細な沿革が刻まれています。

相模陸軍造兵廠への引込線跡
横浜線から相模陸軍造兵廠への引込線跡(柵の中)が残っていました。レールは見えなかったのですが当時相模陸軍造兵廠で生産した砲弾や火砲牽引車、時には戦車(97式戦車中戦車・チハ車)などを鉄道輸送したと思われます。相模陸軍造兵廠には2万人がその製造に従事していました。


今昔マップに表示されています。(今昔マップon the webより)
1944~1954年にセットしました。左側の昔マップを動かしてください。引込線の様子が分かります。

旧相模陸軍造兵廠・現米陸軍補給廠
旧相模陸軍造兵廠は、現在米陸軍補給廠として使われています。ブロック塀にU.S.Army Japanの警告看板が見えます。

陸軍兵器学校の敷地境界杭
旧相模陸軍造兵廠の道を挟んだ南隣は陸軍兵器学校でした。お目当ての陸軍敷地境界杭です。「陸軍用地」と刻んであります。陸軍兵器学校は昭和13年に東京小石川から移転しました。この杭は今から80年ほど前に陸軍敷地境界に打たれた杭です。

陸軍敷地境界杭・相模原市立博物館蔵
陸軍兵器学校の敷地境界杭は相模市立博物館に常設展示されています。こちらの杭は「陸軍」と刻まれています。
「其の192 陸軍の境界杭・旧陸軍士官学校周辺」より。

陸軍兵器学校弾薬庫跡
これは兵器学校北端の旧弾薬庫です。希少な陸軍施設跡です。現レンジフードメーカー富士工業の一画に残っています。

陸軍兵器学校正門跡付近
いちょう並木通り淵野辺一丁目交差点付近です。この辺りに陸軍兵器学校正門がありました。

陸軍工科兵器学校跡の碑
陸軍工科兵器学校跡の碑
上記付近、ヒマラヤスギ下の陸軍工科兵器学校跡の碑。当初は陸軍工科学校で昭和15年に陸軍兵器学校と改称されました。

探訪資料によると陸軍兵器学校には学生、軍属あわせ戦争末期には5,000人もの人がいたそうです。歩いてみても、当時の建物等はほとんど残っていません。跡地は麻布大学、防衛省装備研究所、民間企業の工場等に変わり、石碑等により当時の痕跡を窺い知るのみです。

陸軍敷地境界杭については2、3年前に相武台の陸軍士官学校周辺を探し回り「其の192」以下で発表しました。横須賀水道みち半原系統で見られる海軍の境界杭4種類は「其の188」にまとめました。

JR横浜線矢部駅の位置です。


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其の205 陸軍の境界杭⑤ 旧陸軍士官学校周辺

 前回、其の204で座間谷戸山公園(ざまやとやまこうえん)内の旧陸軍が造った配水池(現米軍キャンプ座間配水池)を探訪しその周りで陸軍境界杭を見つけました。今回はさかのぼって配水池の水源を探訪しました。陸軍境界杭を見るのが目的ですが、三つの水源地がどのようなところにあるのか興味があります。2月13日(金)晴れの日に探訪しました。

陸軍士官学校・第1水源地
目久尻川に架かる上栗原橋から見た第1水源地です。目久尻川右岸(河口に向って右側)沿いにあり地下水をくみ上げ、第2・第3水源地から送られてきた地下水と合せて北西方向にある座間谷戸山公園内の配水池へ送水しています。近年米軍キャンプ座間へは神奈川県営水道が給水を開始し比率が低下したとはいえ未だに使用を続ける現役の水道施設です。
推定昭和10年頃に施設を造った旧陸軍は80年後の世に、まさか米軍に使われ続けるとは夢にも思わなかったでしょうね。

目久尻川・オナガガモ
第1水源地前の目久尻川でオナガガモのつがいが採餌中でした。これはオスです。

陸軍士官学校・第1水源地
上栗原橋を渡ったところにもこんな施設があります。八角形の施設です。旧陸軍が造った施設と思われますが、どのような働きをしているのでしょう。
どちらの施設も英語と日本語の立ち入り禁止看板が掲げてあります。この二つの施設の周りを一巡しましたが、陸軍用地境界杭は見つからず。

陸軍士官学校・第2・第3水源地
これは栗原中学東の第2・第3水源地です。東西の丘に挟まれた谷戸に設けてあります。谷戸なら地下水は豊富と思われます。地図を開くとここは芹沢川の最上流部の北になります。育愛橋には西老場沢と表示されていました。

陸軍士官学校・第2・第3水源地
栗原中学北東の第2・第3水源地入り口。例の英語と日本語の立ち入り禁止の看板あり表通りへ引き返します。
この後北進し座間総合高校前の育愛橋を渡り東側の丘陵にある芹沢公園から中丸の坂を下り栗原中学へ戻りました。第2・第3水源地を遠回りに一周したことになります。

栗原中央2丁目の坂
帰り道、栗原中学西の坂上から見た北西方向の景色です。坂下に第1水源地があり、中央の座間市役所庁舎の方向に配水池があります。
座間市発行の「座間市と基地」に基地返還の成果という地図が載っています。その中に緑ヶ丘土地区画整理用地という細長い用地(第1水源地から現市庁舎の方へ向かう細長い用地)があります。この用地は昭和63年12月に日本に返還されました。返還後は再開発され現在の地図に元の道の面影は残っていませんが、私は配水池へ送水するための水道管が敷設されたかつての水道みちと想像しています。

座間図書館北の水道みち
座間市庁舎の北西に水道みちが残っています。
これは市立座間図書館北の北西の配水池へ向かう小道です。座間市庁舎を背に撮影しました。ちょうど第1水源地から配水池へ向かう線上にあります。今日は小屋にかくれて見当たりませんでしたが、右側電柱の手前に陸軍用地境界杭が打ってあります。かつてはこの道の両側に境界杭が打ってあり水道管が敷設されていたはずです。今でも水を送り続ける現役の水道施設なので、この道は水道みちですね。このことは「まめこぞうの旅」さんの「第38話 陸軍の水道」で「陸」文字入りの陸軍境界杭の写真と共に紹介されています。

座間谷戸山公園内の水道みち
その先、座間谷戸山公園内の水道みちです。まっすぐ進むと旧府中街道に突き当たります。そこが配水池です。

陸軍士官学校・座間谷戸山公園内配水池
水道みち沿いのふれあい広場から見た配水池です。

陸軍用地境界杭・座間谷戸山公園
今日の水源地巡りで陸軍境界杭を発見できなかったので、配水池の金網フェンス沿いにちょっと奥まで入ってみました。北西の角で見つけた陸軍用地境界杭です。背が高いのは防衛施設庁の杭。

陸軍用地境界杭・座間谷戸山公園
竹藪から見ると「陸」と一文字。今まで見た杭と同じ15cm角、御影石製です。

陸軍用地境界杭・座間谷戸山公園
上面には矢印が刻まれています。矢印は陸軍境界杭の特徴です。敷地線と方向を示しています。

配水池付近から見た陸軍士官学校方向
配水池付近から見たマンションの影になりますが陸軍士官学校の方向です。右側クレーンは工事中のチャペル・ヒル住宅地区返還予定地。
私は陸軍士官学校が市ヶ谷から今の相武台へ移転したのは東京に近く、演習に適した広い台地があるなどと単純に思っていました。今回の探訪で飲料水、生活用水の確保が決め手になったと思うようになりました。生徒職員用はむろんのこと、地元民の間では士官学校といえば馬を連想するくらい軍馬が多く(数百頭)飼育されていたので軍馬用の水の確保も必須条件であったと思われます。座間市は県内では珍しく水道需要の85%を地下水でまかなうほど地下水資源が豊富なところです。

陸軍士官学校配水池付近より大山を望む
配水池付近から大山を望む。ここから見ると周りの景色のせいかぐっと迫って見えます。

座間谷戸山公園散策路
おしまいに座間谷戸山公園内の散策路です。園内には石仏が多く残っていると案内板にありました。いつかまた訪ねるつもりです。

今回は「座間市と基地」平成26年座間市発行を参考にしました。三つの水源地の所在地、働きなどについて別途照会しました。歴史的経緯については水道施設が軍の機密事項に該当するため、詳細な資料が残されていないのが現状だそうです。

海軍にも似たような話があります。
横須賀の旧海軍が施工中に敗戦を迎え、後を引き継いだ横須賀市水道局が戦後に完成させた有馬系統(海老名・横須賀間の軍港水道)がそれです。軍の機密に属する施設だったため連合国軍の進駐を控え、旧軍当局の命令により関係文書や図面が焼却され今なお不明な点が多くあるそうです。

海軍の境界杭(4種類)はこちらです。「海」の文字が入っています。「陸」の境界杭と比較してください。

上栗原橋の位置です。



其の204 陸軍の境界杭④・旧陸軍士官学校周辺

 陸軍用地境界杭シリーズの第4弾です。小田急線相武台前駅から歩いて10分位のところに神奈川県立座間谷戸山(ざまやとやま)公園があります。広大な公園内に陸軍士官学校の水道施設が残っていると相武台歴史同好会のYさんから教えていただき、2月7日(土)晴れの日に探訪しました。

座間谷戸山公園・キャンプ座間配水池
県立座間谷戸山公園内の一角にあったその施設の正門です。英語と日本語で施設内立ち入り禁止の看板が掲げてあります。陸軍士官学校が相武台へ越してきたのが昭和12年でした。旧陸軍がそれに合わせて造った施設がそのまま駐留米軍キャンプ座間に引き継がれ使用されました。
右側電柱の下にコンクリート製の門柱が見えます。旧陸軍時代のものと思われます。

座間谷戸山公園・キャンプ座間配水池
角度を変えて見ました。手前に転がっているコンクリートは正門左側の門柱と思われます。
人工的な小山が築かれ頂上には八角形の施設が見えます。園内の公園案内地図を見るとこの場所は「配水池」とあります。見回したところ公園内で一番標高が高い位置にあり給水圧を得るには最適な場所です。別の水源池から標高の高いここへポンプ揚水したと思われます。座間市は県内では珍しく水道需要の85%を地下水でまかなうほど地下水資源が豊富なところです。

座間谷戸山公園・キャンプ座間配水池
配水池前を通る旧府中街道です。左側が配水池で今日のお目当て陸軍用地境界杭が見えます。公園内の一角に施設があるなら用地境界杭が残っているはず、という推測が当たりました。

陸軍用地境界杭
「陸」と一文字。今まで見た杭と同じタイプです。並んだ杭は防衛施設庁の杭です。

陸軍用地境界杭
正門北で見たもう1本の杭。手前の防衛施設庁杭と並んでいます。

陸軍用地境界杭・座間谷戸山公園
黄色のペンキが塗ってありますが「陸」と読めます。

陸軍用地境界杭・座間谷戸山公園
上から見たところです。矢印が刻んであります。サイズは15cm角、御影石製。今まで見たものと同じです。
今日の収穫はこの2本だけでしたが、まだ探せばあるはずです。帰りに座間市立図書館に寄り道しました。平成26年版座間市発行の「座間市と基地」に基地返還の成果という地図を見つけました。この地図は参考になると思います。


今日は公園外周道をほぼ一周しました。庚申塔を見つけ園内を通る旧府中街道、星の谷街道を歩きましたのでその様子をご覧ください。

三峰台の庚申塔
公園南入口付近の三峰台の庚申塔です。
青面金剛像。六臂、下の方に三猿(見ざる言わざる聞かざる)がうっすらと見えます。建立は明和五戊子と刻まれています。1768年十代将軍家治の時代です。

星の谷街道・座間谷戸山公園
これは三峰台の庚申塔から西へ通じる切り通し道で星の谷街道といいます。街道南側に三峰神社があり参拝しました。

星の谷庚申塔
星の谷街道の坂道を下ると旧府中街道に突き当たります。両街道交差点付近の星の谷庚申塔です。こちらは文字塔です。道標を兼ねているようで両側面に「左原町田 きそみち ふちう 右東京 横濱 あつぎ」などの文字が見えました。
建立年は明治八乙亥年と刻まれています。1875年です。
左端は馬頭観音像です。

座間谷戸山公園・長屋門
旧府中街道沿い西入口の長屋門です。門をくぐり園内へ入りました。

座間谷戸山公園・谷戸田
長屋門東、公園内の谷戸田。

座間谷戸山公園・水鳥の池
谷戸田の水源(溜め池)の水鳥の池。マガモが遊んでいます。

座間谷戸山公園・水鳥の池
マガモは人慣れしているのか逃げません。三脚に超望遠レンズカメラをセットしたカワセミ狙いの人がいました。この日、野鳥はジョウビタキのメス、キジバトのつがい、ツグミなどを観察しました。楽しいですね~。
ここは自然豊かな里山の風景が見られる場所です。四季折々変化があり楽しめそうです。陸軍境界杭探訪がてらぜひ再訪したいところです。
今回も相武台歴史同好会のYさんにいろいろ教えていただきました。ありがとうございました。

おしまいに管理人から拍手ボタンのお願いです。
ここ半年のことですが、嬉しいことに今までボタンのみだった拍手ボタンに数値が入り、なおかつそれが漸増しています。ご来訪される皆様の応援の賜物と感謝申し上げます。
ブログを始めてこんなことをお願いするのは初めてですが、この記事が面白かったと思われる方は↓のグーグルマップ左下のピンク色の拍手ボタンのクリックをよろしくお願いします。管理人宛て非公開コメントの書き込みも可能です。


座間谷戸山公園・配水池正門の位置です。


其の202 陸軍の境界杭③・旧陸軍士官学校周辺

 陸軍用地境界杭シリーズの第3弾です。1月20(火)、25日(日)に探訪しました。

陸軍用地境界杭・陸軍士官学校周辺
やって来たのは峰山霊園の西、県立相模原公園から真っ直ぐ南へ伸びている道の南端です。道路東側、目の前の杭が陸軍用地境界杭です。サイズは15cm角、御影石製です。4面共「陸」の文字は刻まれていません。杭の上面には矢印が刻まれ、道路西側を指しています。シュロの木の根元に杭が見えます。奥の建物は相模はやぶさ学園。

陸軍用地境界杭・陸軍士官学校周辺
上記境界杭を西から見ました。東側はこんな風景です。上面の矢印は東から西を指しています。

陸軍用地境界杭・陸軍士官学校周辺
道路西側シュロの根元の境界杭。15cm角、御影石製です。

陸軍用地境界杭・陸軍士官学校周辺
杭の上面を南側から見ました。中央に丸、南南東から来て北を指しています。大坂台公園東北のはずれで見た陸軍境界杭と同じ表示の仕方です。

陸軍用地境界杭・相模はやぶさ学園付近
北へ向かう一本道。約1.3km進むと県立相模原公園(相模女子大グランド前信号)に突き当たります。ここから連続する境界杭は道路を含む東側の麻溝台が陸軍用地(陸軍士官学校練兵場)、道路西側の下溝地区が民有地であったことを示しています。左側の建物は相模はやぶさ学園。

陸軍用地境界杭・相模はやぶさ学園付近
相模はやぶさ学園付近、道路西側に無造作に放置された陸軍境界杭。15cm角、長さは120cm、御影石製です。「陸」の文字はなし。

陸軍用地境界杭・相模はやぶさ学園付近
その先、道路西側の陸軍境界杭。
この道は20日に同行していただいた相武台歴史同好会のYさんによると、戦車道(せんしゃみち)と地元では呼ばれているそうです。暮れの12月7日開催「旧陸軍士官学校の周辺巡り」の講師を務めた涌田先生の著書に、陸軍士官学校には数台の戦車が配属され演習に使用していたことが記されています。相模原市の陸軍相模造兵廠(現在の米軍相模総合補給廠)で製造されたチハ式と言う戦車で貴重な演習中の写真も掲載されています。戦車道は相武台高校(現相模原青陵高校)前を東進する道と、それに交わる相武台小学校西側の小起伏の連続する道で、戦車は繰り返し走行していたといいます。
そういえば、上記の講演会資料をよく読むと「掘割の道のトンネル部分は昭和20年頃には、陸軍士官学校の修理工場、戦車等の格納倉庫として使用され民間人の通行は禁止された」と書いてあります。
陸軍の士官学校なので地上戦に欠かせない兵器である戦車訓練はあって当然ですが、かつてここに戦車が走り回っていたとは、この田園風景からは想像もできないですね。

陸軍用地境界杭・相模はやぶさ学園付近
上記杭の上面アップ。北(右)に向って矢印が刻まれています。

陸軍用地境界杭・陸軍士官学校周辺
その先の陸軍境界杭。杭は歩測ですが約50m間隔に打ってあるようです。

陸軍用地境界杭・陸軍士官学校周辺
矢印はやはり北(右)へ向かっています。

陸軍用地境界杭・麻溝公園競技場付近
さて、この杭は南(左)から来て西(奥)を指しています。

陸軍用地境界杭・麻溝公園競技場付近
杭の後方(道路)から見た西の景色です。これより西にあると思われる杭は発見出来ず。探訪はここまでです。おそらくこの先で北へ向きを変えていると思われます。

陸軍用地境界杭・相模原ギオンスタジアム付近
今たどってきた進行方向です。相模原ギオンスタジアムや女子美術大学の手前の交差点近くです。

横浜水道みち・道志川系統工事現場
おしまいに横浜水道みち関連情報です。
女子美術大学前を横浜水道みちが通っています。横浜水道みちの上、フェンスで囲った工事現場です。なにやら工事が始まったようです。

横浜水道みち・工事現場 横浜水道みち・工事現場
「道志川系統活性炭注入設備新設工事」の現場でした。ここは昔、下溝減圧水槽があったところです。
右側は水無月園(菖蒲田)側へ迂回案内の看板。
工事期間は平成27年1月9日~9月30日まで。

今回の参考資料です。
「郷土史としての相武台陸軍士官学校」 涌田 祐
(市立相模原図書館蔵)
今回も相武台歴史同好会のYさんのご支援により見つけることが出来ました。ありがとうございました。

次回は相模原畑かん用水路の遺構を投稿する予定です。

今回のスタート地点の位置です。


其の201 陸軍の境界杭②・旧陸軍士官学校周辺

 旧陸軍用地境界杭について「其の192 陸軍の境界杭・旧陸軍士官学校周辺」で第1回目を発表しました。今回はその第2弾です。
1月20日(火)晴れの日に探訪しました。今日はいつもとは違って、暮れの12月7日開催「旧陸軍士官学校の周辺巡り」でお世話になった相武台歴史同好会のYさんと連れ立って二人旅です。

陸軍用地境界杭・相模原市相武台
最初にやってきたのは「旧陸軍士官学校の周辺巡り」で通った掘割の道に架かる中原陸橋近くの陸軍境界杭です。左手前にさり気無く立っています。
道路左側のフェンスは米軍キャンプ座間の境界です。電柱の住居表示ではここは相模原市相武台2丁目25です。

陸軍用地境界杭・相模原市相武台
陸と一文字。通りがかりの地元のお年寄りの話では元の場所から右へ2、3m移動したそうです。サイズは15cm角、御影石製で今まで見たものと同じです。黒い英数字はペンキ。

陸軍用地境界杭・大坂台公園付近
その近くの2本目の境界杭です。やはり陸と一文字。サイズも材質も同じです。

陸軍用地境界杭・大坂台公園付近
真上から見たところです。矢印が刻まれています。左斜め下から右方向へ。境界線と方向を表していると思います。

大坂台公園付近
境界杭から見た景色です。ここは大坂台公園の北東のはずれです。フェンスの左が大坂台公園、右が米軍キャンプ座間。この辺は相模原市と座間市の境界が入り組んでいます。ここは座間市に入っています。

大坂台公園
大坂台公園に入りました。フェンスは日米の境界線です。

大坂台公園・玉石の石垣
公園とキャンプ座間の境、旧陸軍が造ったと思われる玉石の石垣。掘割道の擁壁にも玉石が使われていました。Yさんのお話では玉石の石垣は年々少なくなっているそうです。

陸軍用地境界杭・大坂台公園
大坂台公園内の今日3本目の陸軍境界杭です。無造作に放置されています。

陸軍用地境界杭・大坂台公園
上部のアップです。陸と一文字、サイズは15cm角。全長は117cmの御影石製です。

県道51号線・行幸道路
大坂台公園前の県道51号線(行幸道路)。坂を下って行くと右側が陸軍士官学校表門(現米軍キャンプ座間正門)です。
行幸道路
昭和12年、陸軍士官学校がこの地に移転してきました。そして、12月20日、第50期生の卒業式が行われ、天皇が行幸し、陸軍士官学校の所在地を「相武台」と命名しました。この時、横浜線原町田駅から陸軍士官学校まで、元の府中街道を改修して道路が造られました。これが「行幸道路」(県道51号町田厚木線)です。
「旧陸軍士官学校の周辺巡り」配布資料より。
相武台の地名は昭和天皇から下賜されました。昔の国名、相模の国と武蔵の国を合わせた相武ではなく士官学校にちなんだ武を相(みる)が由来です。

Yさんにはこの後連続する陸軍境界杭、相模原畑かん用水路の支線用水路跡の道幅のヘンな道路や、未だに残る畑かん支線用水路の遺構などに案内していただきました。また陸軍士官学校の上水道給水源などの話も伺い、テーマが増えこの先の探訪が楽しみです。日を改めて探訪し発表したいと思います。

軍都時代の相模原
これは「旧陸軍士官学校の周辺巡り」講演会で涌田先生が使用した資料「軍都時代の相模原」です。図にあるように相模原はまさに軍都相模原で4学校、2病院、1工場、1実戦部隊の計8つの施設・部隊が置かれていました。士官学校は面積が787町歩(練兵場含む)もあり最大です。相模川を西へ渡ったお隣の愛川町には「相模陸軍飛行場」(中津飛行場)があり、この辺一帯にかつて陸軍の施設が集中して置かれていたことがよく分かります。

今回ご覧のように今日見た陸軍用地境界杭はふらっと歩いただけでは見つけるのは困難です。対象エリアが広く年月の経過もあり用地境界線も定かではありません。そんな中、地元の研究家Yさんのご厚意で労することなく見つけることが出来ました。ご支援ありがとうございました。

関連記事です。
「其の192 陸軍の境界杭・旧陸軍士官学校周辺」
(2014/12投稿)

海軍の境界杭(4種類)はこちらです。比較してください。
「其の188 横須賀水道半原水源地・半原取水口を訪ねる」
(2014/11投稿)

掘割の道、東の起点近くの中原陸橋の位置です。




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