横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の427 沼津港大型展望水門「びゅうお」を訪ねる

 前回「其の426」で発表した旧国鉄蛇松線跡を探訪後、沼津港大型展望水門「びゅうお」を見学しました。偶然ですが近くで排水路や陸閘などの治水施設を見つけたので合せて取り上げます。

沼津港内港・沼津魚市場INO(イーノ)と「びゅうお」
沼津港内港から見た沼津港大形展望水門「びゅうお」の遠景です。左側の建物は沼津魚市場INO(イーノ)です。「びゅうお」は沼津港外港と内港の境に設置され津波や高潮から後背市街地を守っています。

沼津港大型展望水門「びゅうお」
沼津魚市場INO(イーノ)西側から見た「びゅうお」。左右堤体外側の非常階段付きエレベーター塔からエレベーターで展望台に上れます。

沼津港大型展望水門「びゅうお」
南側から見ました。まるでビルディングのようです。

沼津港外港
高さ30mの南側展望台回路から見た沼津港外港。沼津港の出入り口です。

沼津港外港
同北方向の沼津港外港を望む。富士山は右の方に見えるはずですがあいにくの雲です。

沼津港大型展望水門「びゅうお」の門扉
展望台回路から見た巨大な門扉です。
門扉は現在平常時なので上にありますが、津波や高潮の恐れがある時は下へ降ろし堤防の役目を果たします。門扉の幅40m、 高さ9.3m、重量は406tと日本最大級だそうです。

沼津港大型展望水門「びゅうお」
門扉を上げ下げするワイヤ施設も見られるようになっています。

沼津港大型展望水門「びゅうお」連絡橋
南北の展望台回路をつなぐ幅4m、長さ約30mの連絡橋です。

沼津港内港
連絡橋からの沼津港内港の眺望。

沼津港内港の排水路
「びゅうお」の次は偶然見つけた興味深い治水施設です。これは沼津魚市場INO(イーノ)西側に沿って流れる水路の南端です。水流がなくどちらへ流れているのか、何のための水路かまったく分かりません。トンネル入り口両側に縦溝が切ってありなんかの時に角落しゲートで水路を遮断するものと思われます。
この左手は狩野川河口右岸の堤防です。左手にコンクリート堤防が写っています。防潮堤でしょうか背が高いです。

沼津港内港・観音川河口
水路を北へたどると沼津港内港南側岸壁開口部で内港に通じています。
南側岸壁から北を見ました。対岸の岸壁開口部は観音川の河口です。地図を参照すると分るのですが、あたかも観音川がこの水路と一本で繋がっているように見えます。

沼津港内港の排水路・排水樋管ゲート
水路トンネルの出口?入口?を探しに行きました。背の高いコンクリート防潮堤の端から狩野川上流を見ました。テトラポットにカワウが集まり休憩をしています。カラフルな建物の下にゲートがありました。

沼津港内港の排水路・排水樋管ゲート
ズームアップしたゲートです。上部の横向き円柱状のものは重りでしょうか。ゲートが波に揺られて開閉しています。重りが動くのでそれと分かります。こちらにも外側のコンクリートに縦溝が切ってあります。いざという時の角落しゲート用と思います。
ここまで観察したところで水路の水流の向きと役割が分かりました。

狩野川右岸堤防をトンネルで抜ける水路なので一言でいうと「排水樋管フラップゲート」だと思います。沼津港内港の水を排水するための一方通行の水路です。現在は平常時、フラップゲートの内側外側はバランスが取れているのでゆらゆらと開閉しています。狩野川が洪水で増水するとフラップゲートは水圧の差で閉じ沼津港内港への逆流を防ぎます。フラップゲートは逆流防止弁とみればいいわけです。

では排水時はどのような状況か考えてみました。今日のようなお天気の日は港内外の水面バランスが取れているので問題ないのですが、高潮や津波の時は「びゅうお」の巨大門扉が降ろされ沼津港内港は大きな池になります。内港に流れ込む観音川は悪天候なのでいつにも増して大量の水を送り込みます。そうすると徐々に池の水位が上がります。放置すると池の周りの市街地へ溢れ出るかもしれません。その対策が「排水樋管フラップゲート」だと思うのですが・・・。非常時この水路は沼津港内港の唯一の出口になります。池の水位が上がった際に狩野川も洪水で水位が上がり、逆流防止弁が機能したらどうなるのでしょう?排水樋管ゲートは閉じ排水不能になると思います。ポンプ車の出動か恒久的には排水機場が要りますね・・・。

もうひとつ、いざという時の角落しゲートですがフラップゲートが破損した時とかゲートと護岸の間に異物が挟まり機能を発揮できない時にやむを得ず使用すると思います。

以上私なりの愚考を記しました。素人のたわごとで間違っているかも知れません。その可能性は大? 当たらずとも遠からずなら良いのですが、本当のことを知りたいですね・・・。

沼津港内港の排水路
元へ戻りもう一度水路の写真です。

沼津港陸閘1号
これは上の写真の左上部の写真です。左側は背の高い防潮堤で、右側にはその高さのコンクリート製の防潮堤が「びゅうお」の方へ続いています。その間の通路を人が通行し車も出入りしています。初めは気付かなかったのですがこれは陸閘という治水施設です。

沼津港陸閘1号
陸閘を外港側(ここは沼津港内港と外港の境です)から見ました。正面は狩野川右岸の背の高い防潮堤です。地面にレールが敷設してあります。

沼津港陸閘1号
陸閘全景です。左側の白いパネルがいざという時の引戸式ゲートです。高潮や津波の恐れがある時はゲートを右に移動させ防潮堤にします。今まで角落し式の陸閘しか見たことがなかったのですがこんなタイプの陸閘もあるんですね・・・。勉強になりました。

沼津港陸閘1号
これは私の思い込みではありません。ちゃんと白色のパネルに「沼津港陸閘1号」と書いてあります。開閉の表示があり、電動式と思われます。このほか港内に陸閘2号3号があるかも知れません。

蛇松線・沼津港沼津魚市場前
これは前回掲載した蛇松線沼津魚市場終点プラットホームです。

沼津魚市場プラットホームの陸閘
プラットホームにも陸閘がありました。通路左右に角落しゲート用縦溝が切ってあります。「おやこんなところに陸閘が」と思わぬ発見でした。嬉しいですね・・・。おそらく「びゅうお」が完成する以前に設置されたと思います。普段はこの通路からトラックが出入りしていますが、沼津港内港海面水位が上昇した時の備えと思われます。

沼津魚市場INO(イーノ)2階食堂街
今日の昼食です。時刻は13時過ぎ、沼津魚市場INO(イーノ)二階の食堂街です。あとは帰るだけ、南面の席から狩野川を眺めながらいただきました。生ビールが600円、しめて2080円也(税込)でした。

沼津港大型展望水門「びゅうお」
おしまいに帰り道に撮った「びゅうお」です。右側に観音川河口が写っています。今は平常時、「びゅうお」の巨大門扉は上にあります。沼津港外港から駿河湾に通じているので観音川からの水の受け入れは無制限です。

今日はおまけで思わぬ治水施設を見られ有意義な探訪になりました。次回は狩野川放水路を発表する予定です。

「びゅうお」のデータについては「沼津市観光WEB」を参考にしました。

沼津港大展望水門「びゅうお」の位置です。

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其の425 御勅使川の堤防遺跡「将棋頭」・南アルプス市、韮崎市

 前回「其の424」の続きです。南アルプス市有野の「石積出し」を見学したあと3kmほど下流にある「将棋頭」(しょうぎがしら)を見に行きました。

将棋頭・南アルプス市有野
南アルプス市有野の砂防公園から見た将棋頭です。将棋の駒のような形をした石積み堤防を築き御勅使川の激流を二分しました。下流方向を見た写真ですがどの部分が将棋の頭かよく分かりません。下図によると現在遺されているのは将棋頭の北側堤防です。

将棋頭・南アルプス市有野
将棋頭の説明図。流れを分けるとともに六科(むじな)の田畑や集落を守りました。
(南アルプス市が立てた石積出し二番堤前「御勅使川堤防遺跡」案内板より)

将棋頭・南アルプス市有野
お城の石垣のような将棋頭石積み堤防。

将棋頭・南アルプス市有野
下流側から見ました。砂防公園内に将棋頭について詳しい案内板が立っています。参考になります。

将棋頭・南アルプス市有野
将棋頭に上りました。天端から見た東方の景色。東にある甲府中心地を水害から守るために信玄堤や石積出しを始めとする一連の治水事業が行われたんですね。

将棋頭の位置です。



続いて御勅使川左岸韮崎市にある将棋頭を見に行きました。
韮崎市・竜岡将棋頭
将棋頭の頭付近にfujikawa museumが立てた竜岡将棋頭の案内板です。右側の柱に「国指定史跡 御勅使川旧堤防 将棋頭 平成15年3月25日指定」とあります。
ここは山梨県韮崎市龍岡町下條南割です。

韮崎市・竜岡将棋頭
案内板付近からみた将棋頭の下流方向です。

韮崎市・竜岡将棋頭
どこまでも下流へ続いています。地図で確認すると現在の御勅使川左岸堤防に至ります。

韮崎市・竜岡将棋頭
堤防下に近づくと見上げるほどの高さがあります。

韮崎市・竜岡将棋頭
堤防の内側は田んぼです。

韮崎市・竜岡将棋頭航空写真
竜岡将棋頭の航空写真です。
(fujikawa museumの竜岡将棋頭案内板より)
将棋の駒の形をしているのがよく分かります。向かって右側の堤防が今日見た堤防です。

案内板から引用します。
明治になって山間部が荒れ洪水時に川が出す土砂が増えたため、この将棋頭を含めこの付近一帯は土砂に埋没し将棋頭は機能しなくなりました。ここに見える将棋頭は昭和62年に発掘調査されたものです。

今回で甲州流治水工法(河防法とも)の見学探訪を終えます。信玄堤・霞堤・水防林・聖牛・高岩・石積出し・将棋頭などを見て回りました。十六石が残っていますが砂礫で埋もれているそうです。

竜岡将棋頭の位置です。

其の424 御勅使川の堤防遺跡「石積出し」を訪ねる・南アルプス市

 釜無川に架かる信玄橋から西方向の山に向かって真っ直ぐな道が伸びています。通称、南アルプス街道(県道20号線・甲斐芦安線)です。信玄時代に御勅使川はこの南アルプス街道を流れていました。この流れを前御勅使川と言います。
前回までに述べたように昔の人たちは前御勅使川の流れを北に振り高岩に洪水を当てるようにさまざまな治水工事(石積出し・将棋頭・十六石など)を行いました。今回はその一つ「石積出し」(いしつみだし)探訪記です。9月21日(木)晴れの日に行ってきました。

御勅使川・白根西橋上流
南アルプス市を流れる御勅使川です。白根西橋より御勅使川上流を望む。ここは山梨県南アルプス市有野です。

御勅使川・白根西橋下流
同下流を望む。上流から運ばれた土砂が堆積しています。穏やかな流れです。前日の雨のせいか白濁しています。

石積出し二番堤
御勅使川右岸、白根西橋付近の石積出し二番堤です。前方の建物は西区公民館。白根西橋が見えます。

石積出し二番堤・南アルプス市有野
西側駐車場から見ました。石積出しは北東を向いています。
東向きの前御勅使川の流れを北方向へ向け高岩へ導くために築かれました。大規模な筋替え(流路変更)です。

石積出し二番堤・南アルプス市有野
先端から見ました。土砂が堆積しているので低く見えますが実際にはもっと高いそうです。

「石積出し二番堤」案内板
南アルプス市が立てた「石積出し二番堤」案内板。国指定史跡です。

御勅使川の堤防遺跡案内板
南アルプス市が立てた「御勅使川の堤防遺跡」案内板。

石積出し三番堤・南アルプス市有野
これは二番堤の200mほど下流にある「石積出し三番堤」です。やはり北東を向いています。

石積出し三番堤・南アルプス市有野
三番堤先端から南西方向を見ました。

石積出し三番堤・南アルプス市有野
先端部は地下深く掘り下げてあります。結構高い堤防だったことが分かります。

石積出し三番堤銘板・南アルプス市有野
南アルプス市が立てた石積出し三番堤の銘板。

石積出し一番堤・南アルプス市有野
こちらは二番堤の200mほど上流の「石積出し一番堤」です。
ここも北東を向いています。

石積出し一番堤・南アルプス市有野
三段の石積み。一段目最下部は三番堤のように地下深くにあると思います。

石積出し一番堤と御勅使川
一番堤から見た御勅使川。

石積出し一番堤から見た御勅使川
一番堤から見た御勅使川。白く濁った流れと床固工。

信玄橋からここまで南アルプス街道を走りましたがずうっと上り一辺倒の道でした。地理院地図で標高を調べてみました。
信玄橋西詰め301.0m、 西区公民館前駐車場485.5m、二点間の距離は約8kmで約185mの高低差です。御勅使川は急流河川です。このことから戦国時代以来、暴れ川の前御勅使川に向き合う昔の人たちの苦労が覗えます。
富士川(御勅使川が合流する釜無川下流部)は日本三大急流河川の一つだそうです。

参考までに国交省HPより引用します。
富士川の平均河床勾配は1/250であり、最上川、球磨川と並んで「日本三大急流河川」の一つに挙げられています。
富士川流域の中で、南アルプスを水源にもつ釜無川の平均河床勾配は、1/21であり、本川の河床勾配をはるかに上回る急流河川です。


次回は御勅使川の堤防遺跡「将棋頭」を訪ねます。

石積出し二番堤(西区公民館)の位置です。

其の423 釜無川の高岩頭首工を訪ねる・山梨県甲斐市

 信玄堤の霞堤を訪ねた同じ日に高岩頭首工も訪ねました。

釜無川の聖牛
釜無川信玄橋上流に設置の聖牛(せいぎゅう)です。戦国時代の甲州が発祥の地と言われる伝統治水工法です。

信玄堤公園の聖牛
信玄堤公園に展示の丸太製の聖牛。

聖牛の解説案内板
聖牛の案内板です。画像をクリックすると拡大します。
(fujikawa museum案内板より)

釜無川の聖牛
こちらはコンクリート製の聖牛です。信玄堤公園から上流へ道が続いています。この上流に高岩頭首工があります。

釜無川の高岩
右手の崖が高岩です。天然の強固な堤防です。信玄の時代、御勅使川は信玄橋付近で釜無川に合流していたので洪水になると甲府中心部まで水害が及びました。それを防ぐため信玄堤や霞堤が築かれ、御勅使川を北寄りに筋替えをするための石積出し、将棋頭などの治水工事が行われました。

釜無川の高岩頭首工
御勅使川合流点下流につくられた高岩頭首工です。昔の人は御勅使川の洪水を高岩に当てるようにしました。水が集まる高岩の合流点は、農業用水の取水地として都合の良いところでした。

釜無川の高岩頭首工
護岸が一部不安定なため立入禁止のロープが張ってあります。見学はここまでが限界です。肝心の取水口周りが見られなく残念です。

釜無川の高岩頭首工
高岩の崖上にR20が走っています。崖上から一望可能と思い見に行きました。結果はこのように立入禁止です。展望台でもあれば嬉しいのですが・・・。

釜無川の高岩頭首工
隙間からゲートを巻き上げるワイヤドラムが見えました。

釜無川の高岩頭首工
信玄橋から左岸の様子が見えます。クリックすると拡大します。
信玄橋からみた農業用取水施設・高岩頭首工です。左から固定堰、魚道、洪水吐ゲート、土砂吐ゲートが見えます。取水した用水はトンネルで高岩を抜け堤防内に取り入れています。

高岩頭首工は昭和59年(1984)に全面改修して完成。それ以前は聖牛などを並べて堰を造り水を引き入れていた。
(fujikawa museum案内板より)

竜王用水・山梨県甲斐市
信玄堤公園駐車場付近の水路トンネル出口です。

竜王用水の銘板
水路トンネル出口に埋め込まれた龍王用水の銘板。
昭和4年3月竣功 龍王用水 山梨県知事 天野久

竜王用水・山梨県甲斐市
沈砂池を兼ねているのでしょうか、広い池のような水路です。
水路下流側にゲートが2門あります。

竜王用水・山梨県甲斐市
分水用のゲートでした。用水路は竜王地区へ向かいます。
fujikawa museum案内板によると
「信玄堤と竜王用水絵図 貞享5年(1688)」に高岩を掘り抜いたトンネルが描かれています。信玄堤の築造と同時に竜王用水も造られ、長さおよそ32mのトンネル(現在は使われていない)が掘られたそうです。
およそ330年前から農業用水として利用されていたことが分かります。

次回は御勅使川の「石積出し」について発表します。

高岩頭首工の位置です。

其の422 信玄堤の霞堤を見てきました・山梨県甲斐市

 9月13日(水)晴れ、小石和用水路を訪ねたあと信玄堤の霞堤を見に行きました。ここは二年前にも来たことがありますが、その時は霞堤と認識できず素通りしてしまいました。21日(木)にも寄ったので再々訪です。

釜無川の信玄堤
釜無川に架かる信玄橋下流の現在の堤防です。いわゆる現代のスーパー堤防です。堤防上を県道116号線が走っています。「信玄堤」の標識が立っています。左側に橋が見えます。

釜無川の信玄堤
信玄堤の標識。

釜無川・上堰頭首工
橋は上堰頭首工の管理橋です。竜王土地改良区が管理する農業用取水堰です。取水した用水は取水樋管ゲートから堤防内側の水路に取り入れています。

上堰頭首工の碑
管理橋付近の竜王町が昭和52年10月に建てた「上堰頭首工之碑」です。
碑文によると享保年間に築造の西八幡村の上堰用水取水施設、玉川村の下堰頭首工、両施設が昭和49年7月の台風、梅雨前線豪雨で取水不能となり昭和52年3月にこの頭首工を築造したそうです。それにしても享保年間(およそ240年前)からとは暴れ川の釜無川でよく使い続けたものです。

釜無川・第一集水暗渠ゲート
上堰頭首工の200m位上流にもうひとつ取水樋管ゲートがあります。銘板によると「第一集水暗渠ゲート」と言い平成5年に築造されました。管理者は竜王土地改良区です。

釜無川の信玄堤
今日のテーマは信玄堤の霞堤です。少し上流の現在の堤防から内側に入り堤防周り及び用水路を観察しながら下流へ歩きます。

釜無川の信玄堤
堤防内側に入り上流を見ました。左側が現在の堤防、右側にも並行して堤防(信玄の時代に築かれた堤防・信玄堤)が走っています。つまり二重堤防になっています。堤防内は二つの堤防に挟まれた窪地で整備された巨木の林です。案内板によると「信玄堤の水防林」と言い甲府の中心地を釜無川の洪水から守る治水施設の一つだそうです。樹種は主にケヤキです。
現在の堤防も信玄堤を元に築かれたので信玄堤ですがここでは「現在の堤防」として区別します。

玉幡用水
先ほど見た第一集水暗渠ゲートから堤内に取り入れた農業用水路。水の流はなく取水は終わったようです。後ろの堤防が信玄堤です。

玉幡用水
近くで見ると「玉幡用水第一集水暗渠 昭和十三年三月完成」の銘板が嵌めこんであります。この用水路名は玉幡用水です。「上堰頭首工之碑」にあるように旧玉川村と旧西八幡村から取った名前ですね。

玉幡用水
その下流にゲートがあります。上堰頭首工から取り入れた用水が合流しています。

釜無川の信玄堤
信玄堤に上り下流方向を見ました。散歩する人がたえず通ります。信玄堤は下流のかすみ橋が架かる現在の左岸堤防まで途切れることなく一本で繋がっています。右下を玉幡用水が流れています。

玉幡用水
信玄堤沿いを流れる玉幡用水。前方(正面と右岸側)にゲートがあります。

玉幡用水
上記写真のゲートから玉幡用水上流を見ました。樋管ゲートから信玄堤を潜り田んぼへ向かっています。右岸のゲートは河川維持水を送るための分水ゲートです。

信玄堤東側の風景・富士山と田んぼ
信玄堤水防林の間から見た東側の風景。

信玄堤沿いを流れる小川
信玄堤沿いを流れる小川。先ほど玉幡用水右岸ゲートから河川維持水として分水されました。地図によるとこの先で釜無川に合流しています。合流点付近に第二集水暗渠ゲートがあるのでそこに繋ぎ堤防内の用水路に取り入れているかも知れません。これは私の想像です。せっかく頭首工を築いて取り入れた用水を河川維持水とは気前が良すぎですからね・・・。

信玄堤水防林の桜と猫
どきっ!桜の大木に黒豹?がいました。信玄堤から見た水防林の桜の巨木です。

信玄堤
信玄堤から見た水防林と並木沿いには玉幡用水が流れています。その東側は田んぼです。

信玄堤・かすみ橋
信玄堤天端を下流へ歩いてきました。信玄堤から右へ逸れスロープを下っています。左側の土手は信玄堤です。前方の橋は現在の堤防に架かるかすみ橋です。信玄堤は現在の堤防(釜無川左岸堤防)にそのまま続いています。スロープ道右側には小川が流れていてこの先で釜無川に合流します。
つまり釜無川左岸堤防はここで途切れています。堤防の不連続です。

信玄堤・かすみ橋
かすみ橋を潜り堤防外側から見ました。堤防の不連続・霞堤と明確に分かる現場です。
実際に釜無川が洪水で現在の堤防天端すれすれまで増水したらどうなるでしょう。かすみ橋から逆流し今日歩いた両堤防に挟まれた窪地は洪水で満たされるでしょう。洪水が収まればかすみ橋から自然に排水されるので巧みな治水工法です。両堤防に挟まれた窪地は普段おだやかな水防林の公園ですが今で言う遊水地ですね。越流堤、排水ゲートなどが要らないのは良いですね・・・。
私は二年前この堤防外側に沿って上流へ歩きました。しかしこれが霞堤と気づかず通過してしまいました。アホですね。今回再訪し納得した次第です。

2年前(2015/4投稿)の探訪記です。
「其の216 甲府盆地の天井川を訪ねる・中央市の釜無川」 


話は飛びますが、私がかつて歩いたことがある相模川に合流する目久尻川河口、多摩川に合流する平瀬川や野川河口は河川合流なので堤防は当然不連続になります。
実際、目久尻川河口付近の相模川左岸堤防上を上流へ歩くと自然に目久尻川左岸堤防になります。堤防が一本に繋がっているわけです。合流点上流の相模川左岸堤防から見れば目久尻川左岸堤防は相模川左岸堤防の二重堤防のように見えるはずです。信玄堤の霞堤とよく似ています。目久尻川河口の堤防は霞堤かも知れませんね。平瀬川や野川河口も同じ状況です。

信玄堤の霞堤の図
信玄堤の霞堤(昔は三カ所あった)の図を見つけました。信玄堤は龍王川除けとも言うそうです。画像クリックで拡大。
(南アルプス市教育委員会文化財課 遺跡で散歩 案内看板より)

甲府駅前・武田信玄公之像
おしまいに甲府駅前、戦国武将・武田信玄公之像です。優れた政治家で治水でも偉才を発揮しました。
信玄の時代、御勅使川は信玄堤付近で釜無川に合流していました。暴れ川の御勅使川が洪水のたび釜無川左岸堤防を壊し東方の甲府中心部まで災害を及ぼしたので、信玄堤はそれを防ぐために築かれました。
その後、信玄堤直撃を避けるため御勅使川の川筋を北方向に変更する工事も行われました。「十六石」「石積出」「将棋頭」といった施設です。その一部は現在も史跡として遺されています。それらの見学を終えたので引き続き投稿の予定です。

第一集水暗渠ゲートの位置です。

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