
「其の727」に載せた霞堤の写真です。相模川左岸堤防が途切れています。

上記写真を逆方向の南側から見ました。

霞堤から見た望地河原の広大な田畑。

霞堤に立つ城山ダム放流による増水警告看板。約10km上流に洪水調節を含む多目的ダム・城山ダムがあります。

陽原段丘崖沿いに流れる相模原幹線用水路(大堀)の余水排水が霞堤から相模川に合流しています。

堤防上に散歩する人がいます。堤防の高さは5m位ありそうですね。

私も上ってみました。堤防上から見た望地河原・塩田地区の田んぼや畑。東側は陽原段丘崖です。西側堤防は望地弁財天前から始まっています。その延長は約1,500m。

下を見ればハイカーが間隔をとって歩いています。新型コロナ感染予防のためでしょうね。世相を表しています。家にとじこもってばかりでは体に毒。この辺も散歩する人が増えてきました。
今昔マップです。(今昔マップon the webより)
さて、今昔マップで確認すると望地田んぼと堤防が出現するのは(1965~1968年・昭和40~43年)からで(1944~1954年・昭和19年~39年)まではただの河原でした。戦後の食糧難解消のため田んぼを開いたと読み取れます。望地弁財天社境内の「望地河原開田記念碑」は昭和29年に建立されました。その頃に完成したと思われます。
望地河原の田んぼ南端の相模川堤防を何故霞堤にしたか。私なりに考えてみました。
(1) 相模原幹線用水路(大堀)の余水排水を相模川に排水するため。堤防を左岸の崖まで繋げると排水樋管ゲートが必要になる。
(2) 万が一、望地河原の田んぼ上流部の堤防が決壊した時、堤内へ流れ込む氾濫水の排水用として。
(3) 望地河原の田畑を調節池(遊水地)として利用するため。霞堤から相模川の洪水を堤内へ逆流させ下流域の流量を低減させる。
(4) (3)については2019年に城山ダムの緊急放流が行われ相模川は洪水状態になりました。霞堤から堤内に逆流した可能性があります。霞堤付近の樹木を確認したところ引っかかった流芥は少なく大きな逆流はなかった模様。ここでは河床勾配から推測すると大きな逆流は無理な感じがします。各地点の標高は今昔マップ、地理院地図で簡単に確認できます。

これは霞堤付近の大堀・余水排水路の様子です。城山ダム緊急放流時のものか定かではありませんが、わずかに流芥が残っています。
以下は、霞堤から望地弁天キャンプ場まで歩いたのでその様子です。

河川敷に下りました。

相模川堤防はかなり高いです。陽原段丘崖の森が見えません。

河川敷からさらに川端まで下りると根固ブロックが敷きつめてあります。こうしてみると堤内の望地河原の田んぼに洪水が入ることはあるのだろうか?と思いますね。

堤防天端を上流へ歩いています。右側のコンクリ製球体は「相模川散策路」の道標です。

道標の対岸は愛甲郡愛川町六倉です。その昔、望地・六倉を結ぶ渡しがありました。


望地河原の田んぼを横断する農道。東側崖上は望地地区です。突き当りの坂を上ると望地バス停に出ます。坂道の下、大堀沿いに立つ「望地の渡し」の地名標柱。

望地弁天キャンプ場近くまで遡りました。堤防下にキャンプ場の管理事務所が見えます。左前方上流の橋は高田橋です。

望地弁天キャンプ場です。右側土手が相模川の堤防です。赤い屋根は望地弁財天。この堤防は望地弁財天前から始まっています。南は霞堤まで延長約1,500mの堤防です。

キャンプ場駐車場の早咲き桜がまだ頑張って咲いていました。今日が見納めです。2月20日に来た時より葉っぱの新芽が伸びています。
城山ダム緊急放流直後の関連記事です。
其の605 城山ダムのゲート放流(2019.10投稿)
其の607 小沢頭首工を訪ねる(2019.10投稿)
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