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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の731 望地河原相模川左岸の霞堤・相模原市中央区田名

 其の727で相模原幹線用水路(大堀)を歩いたときに霞堤に気づいたので2月28日(日)にあらためて探訪しました。

望地・塩田田んぼの南端
「其の727」に載せた霞堤の写真です。相模川左岸堤防が途切れています。


相模川左岸望地河原の霞堤
上記写真を逆方向の南側から見ました。


望地河原の田畑
霞堤から見た望地河原の広大な田畑。


城山ダム放流警告看板
霞堤に立つ城山ダム放流による増水警告看板。約10km上流に洪水調節を含む多目的ダム・城山ダムがあります。


相模川に合流する大堀の余水排水路
陽原段丘崖沿いに流れる相模原幹線用水路(大堀)の余水排水が霞堤から相模川に合流しています。


相模川左岸望地河原の霞堤
堤防上に散歩する人がいます。堤防の高さは5m位ありそうですね。


望地河原の田畑
私も上ってみました。堤防上から見た望地河原・塩田地区の田んぼや畑。東側は陽原段丘崖です。西側堤防は望地弁財天前から始まっています。その延長は約1,500m。


相模川左岸望地河原の霞堤
下を見ればハイカーが間隔をとって歩いています。新型コロナ感染予防のためでしょうね。世相を表しています。家にとじこもってばかりでは体に毒。この辺も散歩する人が増えてきました。

今昔マップです。(今昔マップon the webより)

さて、今昔マップで確認すると望地田んぼと堤防が出現するのは(1965~1968年・昭和40~43年)からで(1944~1954年・昭和19年~39年)まではただの河原でした。戦後の食糧難解消のため田んぼを開いたと読み取れます。望地弁財天社境内の「望地河原開田記念碑」は昭和29年に建立されました。その頃に完成したと思われます。


望地河原の田んぼ南端の相模川堤防を何故霞堤にしたか。私なりに考えてみました。
(1) 相模原幹線用水路(大堀)の余水排水を相模川に排水するため。堤防を左岸の崖まで繋げると排水樋管ゲートが必要になる。
(2) 万が一、望地河原の田んぼ上流部の堤防が決壊した時、堤内へ流れ込む氾濫水の排水用として。
(3) 望地河原の田畑を調節池(遊水地)として利用するため。霞堤から相模川の洪水を堤内へ逆流させ下流域の流量を低減させる。
(4) (3)については2019年に城山ダムの緊急放流が行われ相模川は洪水状態になりました。霞堤から堤内に逆流した可能性があります。霞堤付近の樹木を確認したところ引っかかった流芥は少なく大きな逆流はなかった模様。ここでは河床勾配から推測すると大きな逆流は無理な感じがします。各地点の標高は今昔マップ、地理院地図で簡単に確認できます。

大堀の余水排水路
これは霞堤付近の大堀・余水排水路の様子です。城山ダム緊急放流時のものか定かではありませんが、わずかに流芥が残っています。

以下は、霞堤から望地弁天キャンプ場まで歩いたのでその様子です。
相模川河川敷・望地河原
河川敷に下りました。


相模川左岸堤防・望地河原前
相模川堤防はかなり高いです。陽原段丘崖の森が見えません。


相模川・望地河原前
河川敷からさらに川端まで下りると根固ブロックが敷きつめてあります。こうしてみると堤内の望地河原の田んぼに洪水が入ることはあるのだろうか?と思いますね。


相模川左岸堤防・相模川散策路
堤防天端を上流へ歩いています。右側のコンクリ製球体は「相模川散策路」の道標です。


相模川・愛甲郡相川町六倉
道標の対岸は愛甲郡愛川町六倉です。その昔、望地・六倉を結ぶ渡しがありました。

望地河原の田んぼ
「望地の渡し」地名標柱
望地河原の田んぼを横断する農道。東側崖上は望地地区です。突き当りの坂を上ると望地バス停に出ます。坂道の下、大堀沿いに立つ「望地の渡し」の地名標柱。


相模川左岸堤防・望地キャンプ場付近
望地弁天キャンプ場近くまで遡りました。堤防下にキャンプ場の管理事務所が見えます。左前方上流の橋は高田橋です。


望地弁天キャンプ場
望地弁天キャンプ場です。右側土手が相模川の堤防です。赤い屋根は望地弁財天。この堤防は望地弁財天前から始まっています。南は霞堤まで延長約1,500mの堤防です。


望地キャンプ場の早咲き桜
キャンプ場駐車場の早咲き桜がまだ頑張って咲いていました。今日が見納めです。2月20日に来た時より葉っぱの新芽が伸びています。

城山ダム緊急放流直後の関連記事です。

其の605 城山ダムのゲート放流(2019.10投稿)
其の607 小沢頭首工を訪ねる(2019.10投稿)

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其の705 笛吹川の治水施設/万力林と霞堤・山梨県山梨市

 10月26日(月)、笛吹川の治水施設・万力林(万力公園)の中を歩いてきました。

万力林(万力公園)霞堤
笛吹川右岸、万力林南端の霞堤です。下流の橋は根津橋。
万力林は万力公園「万葉の森」として整備され、園内には駐車場もありゆっくり散策できます。


万力林(万力公園)霞堤
根津橋に立つと霞堤はこのように見えます。右岸堤防の不連続が良く分かります。


根津橋です。
笛吹川の根津橋
笛吹川に架かる根津橋
初代の根津橋に代わり平成6年に架けられた新橋です。


初代根津橋のモニュメント
根津橋たもと、初代根津橋のモニュメントです。案内板によると山梨市出身の実業家、根津嘉一郎翁が私財を投じて大正12年に架橋。翁の偉業をたたえ根津橋と命名。


万力林(万力公園)案内板
万力林(万力公園)案内板
霞堤付近に立つ万力林についての案内板です。万力林は図のように笛吹川右岸にあります。(南北が逆になっています)。詳しく書かれていますが、その要旨を記します。画像をクリックすると拡大します。

万力林について
もし洪水時に笛吹川が氾濫した場合は、密生している松の大木の中を流れることにより、水の勢いを弱め、流木や土砂を防除するとともに下流部の開口部(霞堤)から笛吹川に戻す治水施設です。

霞堤とは
堤防と堤防の間にすきまを作り不連続とすることにより洪水時には開口部から河川からの洪水が逆流し河川の水位を下げることや、支川の排水や内水排除を行うなどの機能がありますが、万力林の霞堤は、主に急流河川である笛吹川の洪水があふれた時、氾濫水が拡大しないように開口部から河川へ戻る役目をしています。  国土交通省 甲府河川国道事務所
 
(現地案内板より抜粋)


万力林(万力公園)霞堤
霞堤の間を流れる小河川です。上の案内図にあるようにちどり湖を発し万力林の中を流れ、私の背後で笛吹川に合流しています。今日はここからスタートして万力林を一周します。


万力林(万力公園)霞堤
上流側霞堤の端っこです。小河川は画像左側を流れています。階段があるので堤防の上に上ります。


万力林(万力公園)
笛吹川右岸堤防天端の道です。左側は万力林。


万力林(万力公園)と万力大橋
万力大橋の手前まで遡りました。近くの案内板にこんなことが記されていました。
万力林は武田信玄の頃、防水林として松を植えたと伝えられ、雁行堤防(甲州流防河法)の一部が残っている。
雁行堤防(がんこうていぼう)はうっかり見逃しました。失敗。


古今和歌集歌碑  古今和歌集歌碑
堤防上に古今和歌集で歌われた歌碑が建っていました。
しほの山 さしでの磯に住む千鳥 君が御代をば 八千代とぞ鳴く  (古今和歌集 第一六三二番歌)


万力林(万力公園)付近差出堰
さらに上流へ。堤防天端の道は藪に変わりました。上流から見て笛吹川が左カーブした地点に堰があります。案内図にある差出堰です。


万力林の越流堤
堤防天端から堤内に下りると、上記藪の堤防はこのように見えます。私には笛吹川が左カーブしていることから洪水時に洪水が流入しやすい越流堤のように見えました。藪の部分は堤防が一段低くなっていると思います。


万力林の取水樋管ゲート
越流堤の上流側に農業用水と思われる取水樋管ゲートがありました。笛吹川が左カーブする直前にあるので取水しやすい位置です。上流の橋は亀甲橋。


差出堰改修記念碑
越流堤付近の差出堰改修記念碑と右側は何かの記念碑と思われますが判読できませんでした。


万力林のちどり湖
取水樋管ゲートから取り入れた用水は(画像奥から)ちどり湖に入ります。笛吹川が洪水になると右側の藪の越流堤を乗り越えた濁流が一気にここへ流れ込むと思います。


万力林ちどり湖
万力林ちどり湖
ちどり湖と水の流れ。溢れた水は万力林へ向かいます。


万力林へ向かうちどり湖の水
ちどり湖から万力林へ向かう二本の流れ。


万力林を流れる小河川

万力林(万力公園)  万力林を流れる小河川
万力林を流れる小河川。


万力林の水神様
水神様が祀ってありました。


万力林の吊り橋  万力林の分水ゲート
吊り橋や分水ゲートがありました。


万力林を流れるみどり湖の水
万力林(万力公園)のホタルの看板
豊かな流れとホタルの幼虫保護願いの看板。夏にはホタルが飛び交うみたいです。


万力林(万力公園)鹿園
鹿園がありました。


万力林(万力公園)
万力林を抜け開けた霞堤付近に戻ってきました。


万力林(万力公園)霞堤を流れる小河川
根津橋上流で笛吹川へ戻っていく小河川です。


根津橋たもと笛吹川堤防の馬頭観音像
今日の探訪記念は根津橋たもとに祀られた馬頭観音像です。
お馬さんは昔から農耕用、荷役用として大事にされてきました。


万力公園「万葉の森」では約50種類の万葉植物を見ることが出来、森の中には春夏秋それぞれの道が設定され、四季折々の花が楽しめるそうです。見逃した施設もありもう一度訪ねたいですね。

万力公園霞堤の位置です。(地理院地図より)


其の693 平林桜池を訪ねる・山梨県富士川町

 平林の棚田の帰りに近くのため池・平林桜池を訪ねました。

平林桜池・山梨県富士川町
池の南端から見た平林桜池です。曇り空が残念です。画像右端にフェンスに囲われた排水施設(池の水の出口)があります。


平林桜池・山梨県富士川町
平林桜池・山梨県富士川町
対岸から見た排水施設入口です。遊水池や調節池でよく見かける越流提のように護岸が一段低くなっています。越流した水は排水施設に流れ込みます。背景は山なので南側の護岸は人工的な堰堤ではありません。


平林桜池の排水施設・コンクリ桝
橋の上から見た排水施設。大きく深いコンクリート製桝でフェンスで囲っています。奥に水路トンネル入口があります。ゲートもなく流入した水がそのまま流出する構造です。ゲリラ豪雨で流入量が一気に増えた時は、たぶんオリフィスの働きにより水量を制御するものと思われます。流れていく先は先ほど見学した平林棚田の方向で、最終的に利根川に合流すると思います。
驚いたことに、桝の中にオタマジャクシが泳いでいました。成長してカエルになったら井の中の蛙になっちゃいます。心配ですね。でも安心、越流提からコンクリ桝まで緩い下りのスロープです。ぴょんぴょん跳ねてスロープを上れば桜池なので平穏に暮らせます。


平林桜池の散策路
池の畔の散策路を北の端まで歩いてみました。池の流出口を見たので反対側に流入口があるはずです。


平林桜池の沈砂池
池の北側にコンクリ製の池がありました。西から来た水路が一旦北側のコンクリ製の池に入り南側の池に流れ込むようになっています。現在はなぜか流れがありません。四方が山なので湧き水があるはずですが、今の時期湧水はないのでしょうか?


平林桜池の沈砂池
コンクリ池の中央に水の出口があります。中央の塩ビパイプを越流した水が桜池へ入ります。水路から直接桜池に入れないでワンクッション小さな池を置く意味は?それに池の底に排水口を設けないで水面近くに排水口を立ち上げています。ふむふむなるほど、この池は沈砂池ですね。水路上流から運ばれてくる砂が桜池に入らないようにするため沈砂池としての働きを持たせていると思います。


平林桜池流入渠
塩ビパイプの先の水路。桜池北側に注いでいます。


平林桜池のアキアカネ
アキアカネが一休みしていました。秋を感じさせますね・・・。


平林桜池の案内板
桜池の案内板を見つけました。
この池の周囲は山ばかり。桜池は窪地にできた水溜まりの池です。一方が開けていれば自然な川となって流れ出るはずです。ここは人工的なトンネル水路から流れが始まっています。南へ向かう水路トンネルは放水路と書いてあります。
富士川町HPため池マップによると平林桜池は「農業用ため池」に区分されています。
所在地:富士川町平林3337  池の貯水量:20,360㎥

このあと南アルプス市の「中野の棚田」に向かいました。


平林桜池の位置です。(地理院地図より)


其の673 多摩川水系南浅川を歩く②・東京都八王子市

 南浅川の治水施設などを見ながら下流へ歩いています。

京王電鉄御稜線(廃線)橋脚跡

京王電鉄御稜線(廃線)橋脚跡  京王電鉄御稜線(廃線)橋脚跡
左岸遊歩道から京王電鉄御稜線(廃線)橋脚跡が見えたので寄り道です。現在の京王高尾線山田駅から終点の多摩御陵前駅へ至る御稜線廃線跡に現存する遺構です。ブラタモリで放映されたので知っていましたが、まさか南浅川探訪で出合うとは嬉しい誤算です。(^σ^) いつか廃線跡をたどってみたいですね。


南浅川・横山橋
横山橋に到着。


横山橋より南浅川下流を望む
横山橋より下流の眺め。南浅川は北東方向へ流れています。


南浅川右岸・横山橋下流
横山橋下流右岸高水敷に設けた遊歩道とサイクリングロード。その内側には高さ2m位の土手が築かれ桜並木となっています。


南浅川の床固工
2段式の床固工。左岸は高水敷の桜並木のみ。その内側に右岸のような土手はありません。


南浅川に合流する小河川
左岸に小河川が合流しています。河川の合流なので護岸は不連続となります。近年、西日本豪雨(2018年)、19号豪雨(2019年)などでバックウォーター現象による氾濫が起きています。T字型合流はバックウォーター現象が起こりやすく、Y字型が望ましいと思うのですが、ここはY字型です。小河川流域で降雨が少なく、南浅川上流部が大雨で洪水になると霞堤から小河川へ逆流し、調節池のような働きをすると思います。


南浅川の床固工
その下流、複雑な構造をした床固工。中央は魚道を兼ねていると思います。


南浅川のアオサギとダイサギ
床固工下流のアオサギとダイサギ。


南浅川・水無瀬橋上流
水無瀬橋上流左岸から南浅川上流を見たところです。サイクリングロード沿いに柵があります。


南浅川・水無瀬橋上流の水路
柵の前に立つと水路跡のようなものがありました。これは何でしょうかね。


南浅川・水無瀬橋上流の水路
逆方向から見ると柵の下で行き止まりです。前方の橋は水無瀬橋です。


グーグルマップを開くと上記水路跡の上流30mほどのところ(地図中心)にもっと広い謎の水路が描かれています。しかし現地にその水路も跡地らしきものもなく狐につまされたような話です。(地図を航空写真に切り替えると何もないことが確認できます)グーグルマップに示されているからにはその根拠があるはず。

私はこの水路はかつての「霞堤」ではないかと想像しています。南浅川が洪水になった時に霞堤から水路に逆流させ、今で言う調節池の働きをさせたのではないかと。参考にした論文「江戸時代の浅川治水と八王子のまちづくり」に水無瀬橋上流に霞堤が残っているとの記述があります。たぶんこの水路を指しているのではないでしょうか。
今昔マップも開いたのですが残念ながら該当する水路はなかったです。ほんと謎の水路ですね。


南浅川・水無瀬橋
南浅川に架かる陣馬街道・水無瀬橋です。


曹洞禅宗宗格院
おしまいに石見土手を見るために千人町の曹洞禅宗宗格院を訪ねました。ここは八王子市千人町2丁目14番18号


宗格院の石見土手の遺構
境内の一角に現存する八王子市指定史跡「石見土手」です。石見土手の所在場所が分からず寺院の方に案内していただきカメラに収めました。


石見土手案内板
石見土手の案内板です。八王子宿を築いた大久保石見守長安が慶長年間に築いた堤で「石見土手」と呼ばれる。


宗格院の河西祐助知節顕彰之碑
これは石見土手案内板の隣「河西祐助知節顕彰之碑」です。寺院の方のお話によると、河西祐助知節は八王子千人同心の隊長。千人同心は江戸時代後期、北辺警備と苫小牧の開拓に当たる。それが縁で現在、八王子市と苫小牧市は姉妹都市の関係にある。

今回はここまでです。この後、JR中央本線西八王子駅へ向かいました。水無瀬橋下流から浅川合流点まではいつか歩きたいと思います。


其の672 多摩川水系南浅川を歩く①・東京都八王子市

 梅雨の晴れ間、八王子市西部を流れる南浅川を歩きました。

JR中央本線高尾駅
今日は、JR中央本線高尾駅からスタートです。


南浅川
高尾駅から北へ向かってすぐ、甲州街道(R20)を渡ったところに南浅川が流れています。敷島橋から南浅川上流を望む。
小仏峠付近に源を発し東に流れ、八王子市元本郷町付近で浅川に合流する多摩川水系の一級河川です。


南浅川
敷島橋より南浅川下流の眺め。今日は、下流の陣馬街道水無瀬橋まで治水施設を見ながら歩く予定です。左側の森は武蔵陵墓地(多摩御陵)の森です。


武蔵陵・多摩御陵付近案内図
武蔵陵墓地前の案内板です。初めに御陵にお参りしそれから川辺歩きをすることにしました。敷島橋から緑色ルートで御陵前に到着。車での参拝は御陵入口前の駐車場を利用できます。


武蔵陵墓地(多摩御陵)表参道
武蔵陵墓地(多摩御陵)表参道
御陵入口から入りました。表参道と参道脇の森です。


昭和天皇武蔵野陵
昭和天皇武蔵野陵
右折し新参道に入ると奥は昭和天皇武蔵野陵(むさしののみささぎ)です。その東側は寄り添うように香淳皇后の武蔵野東陵(むさしののひがしのみささぎ)です。陵の形式はどちらも上円下方。


大正天皇多摩御陵(たまのみささぎ)

大正天皇多摩御陵(たまのみささぎ)  大正天皇多摩御陵(たまのみささぎ)
表参道奥の大正天皇多摩御陵(たまのみささぎ)です。東側に貞明皇后の多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)があります。陵の形式はどちらも上円下方。


南浅川・古道橋付近
御陵近くの南浅川古道橋にやってきました。今日は7月19日(日)、何日ぶりだろう、久し振りの太陽光の下、子供たちは夏休みモードですね。新コロはどこへ行った?


南浅川の床固工・古道橋付近
南浅川の床固工・古道橋付近
古道橋上流の床固工。冷涼感たっぷりです。近くでセミの初鳴きを聞きました。アブラゼミよりいち早くちーちーと鳴く小型のセミです。子供の頃、名古屋ではチーチーゼミと言っていましたね。翅は桜の木肌に溶け込むような保護色でした。


南浅川の床固工・古道橋下流
古道橋下流でまた床固工です。下流の水無瀬橋まで歩いたのですが、床固工は10か所以上ありました。河床が削られるのを防ぎ河床勾配安定のために設置されるので、南浅川は急流河川であることが分かります。


南浅川橋
南浅川橋
南浅川橋まで下ってきました。見映えのする立派な橋です。
構造形式は関東大震災後の東京復興時に開発されたコンクリートラーメン橋台のコンクリートアーチ橋で、御陵参道の橋として、威厳のある形式と周辺の自然との調和を考慮した意匠が施されている。
昭和11年12月竣工 全長53.3m 幅員21.4m

(南浅川橋案内板より抜粋)
  

南浅川
南浅川橋下流の床固工と左岸高水敷遊歩道から見た対岸の様子。右岸の高水敷も遊歩道やサイクリングロードとして利用されています。その内側に一段と高い堤防が築かれ南浅川東側に開けた八王子の町を守っています。


南浅川の床固工・南浅川橋下流
その下流の床固工。堤防は総じて右岸の方が高く江戸時代に千人町、日吉町、元本郷町に築かれた石見土手の伝統が生きているような感じがします。


京王御陵線橋脚の遺構
おや!?左岸の住宅街になんか見えますよ。京王電鉄御陵線橋脚の遺構です。

途中ですが今回はここまでです。次回に続きます。


敷島橋の位置です。(地理院地図より)


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