横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の167 横浜・横須賀水道馬入川系統を訪ねる③ 小雀浄水場

今回は「横浜・横須賀水道馬入川系統を訪ねる」の3回目でその最終回です。
小雀浄水場の着水井を見学しました。小学校が夏休みに入り小学生の浄水場見学が一段落したころを見計らって申し込み、幸いにも見学の機会を得ました。7月22日(火)晴れ、梅雨明けの日に見学しました。

小雀浄水場正門
13時ちょうどの小雀浄水場正門です。

小雀浄水場管理棟
正門脇から見た小雀浄水場管理棟。芝生の下は給水池です。

小雀浄水場給水池
正門から管理棟へ行く途中で見た巨大な給水池。広大な浄水場構内で一番標高の高いところにあり良く目立ちます。

管理棟でまず小学生向けの浄水場紹介ビデオを見せてもらい、概要をつかみます。小学生向けはわかり易くて一番いいです。県営寒川浄水場を6月に見学したばかりです。浄水工程は同じで砂に浸み込むようによく理解できました。

小雀浄水場揚水井
さて馬入川系統を寒川取水施設からたどって来たわけですが、なんといっても着水井が一番気になります。場内上流側から見学開始です。
これは揚水井といいます。浄水場の西のはずれにあります。直径25m位の円柱形でこの真下に寒川取水施設から来た導水隧道が繋がっています。ポンプで汲みあげた水は左側の青色の水路を通って着水井に送られます。

小雀浄水場着水井
青色の水路から階段上左側の着水井に送られます。見学コースは階段下までですが、特別に階段上の着水井の水の流れを見せてもらいました。感激の対面です。濁流が渦を巻いていました。水の色はまさに寒川沈砂池で見た相模川の原水そのものでした。活性炭その他薬品の注入を行っていました。

小雀浄水場揚水井・着水井説明パネル
揚水井の傍らに説明パネルが立っていました。写真は揚水井・着水井部分です。
寒川取水堰で取水した相模川の水は、ポンプを使って約22mの高さまで運ばれ、トンネル(隧道)の中を流れて小雀浄水場の地下に約3時間かけて到着します。到着した水は、地下約40mの深さから揚水ポンプによって地上に汲みあげられます。この地上の出口を揚水井といいます。水は目の前の橋の中を通り着水井に流れて各沈澱池へ振り分けられます。(説明パネルより)

小雀浄水場揚水ポンプ模型
揚水ポンプの1/10の模型です。ポンプは6台設置されています。

小雀浄水場揚水ポンプ説明パネル
揚水ポンプ説明パネルです。

小雀浄水場電動カート
広い場内を電動カートで巡回しました。梅雨明けの炎天下で助かりました。家族連れの見学に最適ですね。

以下は見学した浄水施設です。
小雀浄水場3系沈澱池
3系の沈澱池です。横流式といい着水井から来た水は右端の池から左の池へ順次流れていきます。右奥に凝集剤の攪拌機が見えます。池の中ではフロキュレータという羽根が回り水をかき混ぜ、フロック(汚れの塊り)を形成しています。

小雀浄水場3系沈澱池
上記の50m位左の沈澱池。フロックを沈殿しやすくするための傾斜板が入っています。沈澱池の始まりに比べ透明度が格段にアップしています。上部のきれいな水が越流堰を越えろ過池へ流れていきます。

小雀浄水場ろ過池
ろ過池です。太陽光パネルを兼ねたフタがしてあり中の様子を見ることはできません。砂ろ過式で2日間稼働したら逆洗洗浄をかけるそうです。丘の上の給水池はろ過池の逆洗用水槽も兼ねています。

小雀浄水場ろ過池地下通路
地下通路から見たろ過池。通路の左右にろ過池が並んでいます。テレビか映画ドラマで刑務所の独房に見立てて、撮影が行われたことがあるそうです。

ろ過池の次は給水池です。芝生の下に地下給水池があります。この浄水場は横須賀水道との共同施設です。横須賀水道向けは作った浄水を朝比奈分水池まで送りそこで分水するそうです。


小雀浄水場工業用水浄水施設
小雀浄水場は工業用水も作っています。これは工業用水を作る円形の浄水施設です。3池ありました。ギザギザの越流堰を越えてきれいな水が流出していました。上水道に比べ水質基準が低いそうです。

小雀浄水場管理棟玄関
今日の探訪記念です。管理棟玄関です。自動ドアに貼ってあるように小雀浄水場は2015年4月創設50年を迎えるそうです。東京オリンピックが昭和39年でした。その翌年に創設したことになります。月日の経つのは早いですね~。近頃つくづくそう感じます。
およそ2時間の見学を終え辞去、庚申塚バス停へ向かいました。職員の方には施設案内と丁寧な説明を頂きました。ありがとうございました。

小雀浄水場揚水井の位置です。

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其の163 横浜・横須賀水道馬入川系統を訪ねる②

前回の続きです。小出川水管橋を見た後、その先の茅ヶ崎市芹沢の山の上にあると思われる隧道入り口を探索しました。その結果見つけたのは神奈川県営水道の芹沢配水池とポンプ場のみで他に水道施設はなく次の地上施設引地川水路橋へ向かいました。

引地川水路橋
藤沢市の県道43号線石川下の根信号付近から見た引地川水路橋です。

引地川水路橋
同、真下から見上げました。ここは水路橋の西の端になります。

引地川水路橋
これは藤沢市の石川下河内信号付近から見た引地川水路橋です。昨年8月、石川堰と石川堰用水路を探訪した時にここを通りました。
引地川水路橋
延長:414m 勾配:1/1500
昭和37年10月着工 昭和39年3月末完成


引地川水路橋
これはその時に撮った引地川水路橋の遠景です。

引地川水路橋東端
引地川水路橋の東端です。ここからまた隧道になります。

茅ヶ崎市芹沢から小雀浄水場に至る導水隧道の概要
馬蹄型コンクリート造、高さ幅共:3.2m 勾配:1/1500
延長:8340.5m
昭和36年11月着工 昭和38年12月末完成


境川水路橋
次の地上施設は境川水路橋です。境川左岸から見た境川水路橋。
延長:394.5m 勾配:1/1500
昭和37年10月着工 昭和39年3月末完成


境川水路橋
左岸から見た上流方向です。

境川水路橋
境川右岸、水路橋の真下から上流方向を見ました。

境川水路橋
境川左岸より下流の小雀浄水場方向を望む。

境川水路橋余水吐け
水路橋から太いパイプが2本下りています。これはなんでしょう?左手の白い建物にこんな銘板が貼ってありました。太いパイプは余水吐施設の一部と思われます。
境川余水吐弁操作室 昭和46年4月竣工
横浜市水道局 横須賀市水道局
 (銘板より)

設置の理由が「横浜水道百年の歩み」に書いてありました。
浄水場に近い境川水路橋には、停電等の事故による逆流溢流水を境川に放流する設備が設けられている。  

境川左岸余水吐放流口
境川左岸、水路橋の真下に設置の余水吐放流口。フラップゲートの下からわずかに流れ出ています。

境川水路橋余水吐注意看板クリック拡大
境川水路橋余水吐注意看板です。

これから先は境川水路橋の東端でまた導水隧道になり、約1.5km先の小雀浄水場着水井直下の第2ポンプ場に至ります。第2ポンプ場から約40m揚水して小雀浄水場着水井(標高57m)に導水するそうです。というわけで境川水路橋より先の地上施設は表から見ることは出来ません。馬入川系統探訪の旅はここまでです。機会があれば小雀浄水場の着水井を見たいと思います。

今回の探訪記念は茅ヶ崎市芹沢配水池近くの金山神社の庚申塔です。初期の青面金剛像の庚申塔としては貴重なものだそうです。
金山神社の庚申塔
左側の像がそれです。
この塔は青面金剛像を彫った庚申塔出現期のもので、承応四年(1655)の年号が見える。四臂、二猿。神奈川県指定有形民俗文化財 (説明パネルより抜粋)
右側も庚申塔です。文政六癸未(1823)十一月吉日
青面金剛八臂、日月、三猿(見ざる言わざる聞かざる)。

金山神社の庚申塔クリック拡大
茅ヶ崎市教育委員会の説明パネルです。

今回の参考文献です。「横浜水道百年の歩み」 横浜市水道局

引地川水路橋の位置です。

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其の162 横浜・横須賀水道馬入川系統を訪ねる①

6月1日(日)神奈川県営水道・寒川浄水場の年一回の施設開放デーで浄水場を見学した後、帰りに寒川取水堰を探訪しました。
拙ブログはブログタイトルのように横浜水道みちから始めた関係で相模川水系上流部取水の道志川系統と相模湖系統の記事が中心となっています。相模川下流域寒川取水堰から取水の馬入川系統は私にとっては縁遠い存在でしたが、関心と興味は持っていました。
馬入川系統の起点寒川取水堰を見学したので、その先の終点、小雀浄水場までどのような地上設備があるか知りたくなりました。6月1日(日)、23日(月)、26日(木)の三日がかりで探訪しました。2回に分けて投稿します。

寒川取水堰
神川橋から見た寒川取水堰です。寒川取水施設は神奈川県、横浜市、横須賀市の共同施設です。「其の159 寒川浄水場を訪ねる」の記事の一部を再掲します。
堰高:6m 堰長:270m 取水口:幅20m 取水水位:標高5m
土砂吐水門:幅13m×高3.0m 1門ローラーゲート
洪水吐:幅20m×高2.5m 3門ローラーゲート
寒川取水施設(取水堰・取水口・導水路・沈砂池)は神奈川県、横浜市、横須賀市の共同施設です。管理は委託を受け神奈川県企業庁が管理。昭和39年3月30日完成。

(神奈川県企業庁HP、企業庁パンフ「城山ダム」より抜粋)

寒川取水堰・取水口
総合開発と高度利用の取水口です。取り入れた後2本の導水路トンネルでそれぞれの沈砂池へ送られます。
総合開発とは=相模川総合開発事業、
高度利用は=相模川高度利用事業のことです。

250mほど上流に寒川浄水場創設取水口(水利権1.24㎥/秒)があります。
左岸に企業庁の「寒川取水堰概要」説明パネルが掲げてありました。水利権水量の表示がありましたので記します。
神奈川県:2.595㎥/秒  横浜市:6.143㎥/秒  横須賀市:1.782㎥/秒  神奈川県内広域水道企業団:7.635㎥/秒  
合計:18.155㎥/秒(1,569,000㎥/日)

横浜市:6.143㎥/秒の内訳(上水3.293㎥/秒、工水2.85㎥/秒)

寒川取水施設・沈砂池
寒川取水施設・沈砂池です。

横浜市水道局・横須賀上下水道局寒川取水事務所
沈砂池に接する横浜市水道局・横須賀市上下水道局寒川取水事務所(第1ポンプ場)。ここから約3.1km先茅ヶ崎市芹沢の導水隧道入口までポンプで圧送されます。
なおこのポンプ場から先の導水・浄水・分水施設までは横浜水道が設計施工し、水量比に応じて横浜・横須賀両市が費用負担しています。つまり両市の共同施設です。

馬入川系統水道みち・寒川浄水場東
第1ポンプ場を後に寒川浄水場東側を北上する馬入川系統水道みち。この道に口径2000mmの鋼管が敷設されています。

馬入川系統水道みち
途中向きを変え端午橋へ向け東進する馬入川系統水道みち。手前のマンホールフタは横浜市水道局の仕切弁マンホールフタです。水道みちの両側にその証であるこんな境界杭を見つけました。

横浜市水道局境界杭 横浜市水道局境界杭クリック拡大
珍しい鋳鉄製の横浜水道境界杭。金属製の境界杭は真鍮製なら見たことがありますが鋳鉄製は初めてです。サイズは5cm角。

目久尻川水管橋
目久尻川を水管橋で渡る馬入川系統導水管路。支間長38.5m、口径2000mm。左側の橋が端午橋です。

目久尻川水管橋
水管橋に貼り付けの銘板です。
横浜市水道局 目久尻川水管橋 昭和39年1月竣工 三菱日本重工業株式会社 横浜造船所製作 (銘板より) 

寒川神社
寒川さんに参拝しました。ただ今内庭御影石敷き工事中です。

馬入川系統水道みち・寒川神社バス停付近
寒川神社バス停付近、東へ向かう馬入川系統水道みち。この歩道上でも鋳鉄製の境界杭を見つけました。

寒川調圧水槽
その先寒川小学校付近の寒川調圧水槽。小高い丘の上(標高約17m)にあります。施設前に説明パネルが立っていました。

寒川調圧水槽クリック拡大
構造:鋼板製(直径14m、高さ16.84m)
完成:昭和39年3月
この調圧水槽は、寒川取水堰から取り入れた水を小雀浄水場まで運ぶための導水路の一部で、水を送る圧力を調整する役割があります。約12kmの距離を3時間かけて水が流れています。この調圧水槽は、横浜市や横須賀市へ水道水を送るための重要な施設です。 
 (説明パネルより)

寒川調圧水槽クリック拡大
寒川取水堰~小雀浄水場経路図と導水路水位関係図です。(説明パネルより)
図では分かりにくいのですが第1ポンプ場から芹沢の隧道入口までは2条の2000mm鋼管が敷設されています。
なお水道局に照会したところ寒川調圧水槽の機能は、寒川取水ポンプが停電等により急停止した時に導水管に大きな衝撃(ウォーターハンマ)がかかるのを緩和させる役割があるそうです。相模原市南区に企業団の相模原調圧水槽が立っていますが、それと同じですね。


横浜市空気弁マンホールフタ
これは馬入川系統水道みちで見た横浜市の空気弁マンホールフタです。県道45号線(中原街道)小谷(こやと)信号付近にて。寒川町の上水道は神奈川県営水道が(芹沢配水池から)配水しています。寒川町で横浜水道のマンホールフタは目立ちます。

小出川水管橋・追出橋下流
その先、寒川町大蔵(おおぞう)へ入りました。右手に水管橋が見えます。この水管橋は馬入川系統の導水管路施設の一部で小出川水管橋といいます。「横浜水道百年の歩み」によると導水隧道は茅ヶ崎市芹沢地点(標高26m)から始まるとあります。多分前方の山の上に導水隧道の入り口があると思われます。そこから先は寒川調圧水槽説明パネルにあるように自然流下で約9.1km先の小雀浄水場まで導水されます。山の上から自然流下導水は理にかなっています。企業団の酒匂川系飯泉ポンプ場と曽我接合井の関係によく似ています。

小出川水管橋・追出橋下流
小出川に架かる小出川水管橋。小出川を渡って上流の寒川町方向を見たところです。
口径2000mm鋼管製、支間長約30m、昭和44年12月完成。「横浜水道百年の歩み」を読むと小出川は伏越で横断とあります。調べたところやはり伏越でした。つまり口径2000mm2条の導水管が通っていて1条は水管橋、1条(昭和38年3月完成)は伏越というわけです。


右手に相模川左岸幹線用水路の大蔵サイフォンがあります。ここへはここ2年の間に三度ほど来たことがあります。この水管橋はいつも気になる存在でした。今回の探訪で点であった知識が線として繋がりました。水道みちファンの私にとっては嬉しい新たな発見となりました。長くなりますのでこの先は次回投稿します。

今回の探訪記念は端午橋の石像です。
端午橋の石像
左から道祖神、石祠、その右はお猿さんが彫ってあるので庚申塔でしょうか。相当古そうです。風化が進んでいます。

今回の参考文献です。
 「横浜水道百年の歩み」横浜市水道局
 「横須賀水道100年史」横須賀市上下水道局

横浜市水道局・横須賀市上下水道局寒川取水事務所(第1ポンプ場)の位置です。


其の140 横浜水道みちの電信柱

3月21日(金)春分の日 晴れ、雨上がりの横浜水道みちを歩きました。

横浜水道みちと大山
横浜水道みち付近から大山を望む。水道みちは畑の中を左右に横切っています。ここは相模原市中央区田名です。

横浜水道みち・相模田名高校前
相模田名高校前の横浜水道みち。上流(城山ダム方向)を見る。

横浜水道空気弁マンホールフタ
横浜市水道局マーク
足元を見るとこんなマンホールフタが見られます。下は横浜市水道局のマークです。
このマンホールフタは空気弁とありますが近くにバタフライ弁マンホールフタもありました。今は水道みち地下20mの深いところにシールド工法によりΦ1500mm鋼管が敷設されています。そのマンホールと思います。昔は地表近くを18、22、36吋の鋳鉄管が敷設されていました。2年前に36吋管の撤去工事を見たことがあります。

横浜水道みち・田名北小前
さて、今日のテーマ、水道みちの電信柱です。田名北小前の横浜水道みちです。水道みち用地内に小ぶりな電信柱が立っています。ここ(田名堀之内)から田名清水にかけて17本の電信柱が連続して立っています。延長約600m、約37.5m間隔に立っています。

横浜水道みち・田名堀之内
田名清水付近。自治会の防犯灯が付いています。電線は通信用ではなく防犯灯の電源です。電信柱に白い標識が貼ってあります。「横浜市水道局専用 谷ケ原下-134」などと書いてあります。上流に行くにしたがって番号が若くなります。昭和31年、津久井分水池近くに横浜市水道局谷ケ原取水事務所が開設されました。そこを起点にした番号と思われます。

これらの電信柱を見て横浜水道創設時の水道みち沿いの風景を連想しました。
創設時の横浜水道みち・溝村、田名村
導水線路高座郡溝村付近(トロッコの看板より)

水道鉄管布設線路 其二十 相模原鶴間村
水道鉄管布設線路 其二十 相模原鶴間村(横浜水道百年の歩みより)
当時も同じように電信柱が立っています。横浜水道百年の歩みに関連記事がありましたので引用します。
専用電話線
水源から市内に至る間に、三井村、大島村、鶴間村、川井村及び野毛山の各所に出張所を設けその連絡通信のため山下町にある本庁と各出張所に専用電話を設置した。この電話施設工事は明治18年10月25日着工し、翌明治19年1月21日大島まで落成した。その後更に三井村取入所まで延長し、その延長は46.8kmに達し、工事費は3,261円67銭1厘を要した。この特設電話と軌道の施設は、前者は工事の打ち合わせ上に、後者は長大区間の重量物輸送上に便宜をもたらしたもので、当時のわが国においては斬新なものとして注目をあびた。
(横浜水道百年の歩みより)

現代に残る田名地区の電信柱は水道局に照会したところ青山沈澱池・西谷浄水場間に引かれた専用通信線用でした。今は他の通信手段に変わり使われていません。そのほとんどが撤去されましたが田名地区は田園地帯が多く残されたと思います。堀之内自治会、清水自治会、半在家自治会の防犯灯用に使われています。

粁杭と100メートル杭
過去記事と重複しますが付近の百米杭(水色)と粁杭です。
百米杭には120Y.W.W、粁杭には十二粁横濱市水道局と刻まれています。水源の三井用水取入所からの距離12kmを示しています。
この辺りには貴重な百米杭が連続して残っています。其の61 横浜水道みちの粁杭と百米杭 で投稿しました。

横浜水道みちトロッコの看板
トロッコの看板
近くのトロッコの看板NO.5 
三井用水取入所からここまで11km 現在地:田名
水道みち沿いの大澤村、田名村、溝村、麻溝村の名前が見えます。

この後古清水のヤツボを見るためその先で横浜水道みちと別れ神沢坂を下りました。
神沢坂
神沢坂です。ここは相模原市緑区大島古清水です。

古清水上組のヤツボ
崖の中腹の古清水上組(こしみずかみぐみ)のヤツボです。崖から水が湧きだし溜まるところをヤツボと言います。

古清水上組ヤツボの案内看板
相模原市が設置した古清水上組のヤツボの案内看板。

マムシ注意看板
まむし(へび)の注意看板。この辺は棲んでいそうです。夏は要注意。

神澤不動尊長徳禅寺
神沢坂下の神澤不動尊長徳禅寺。

神澤不動尊前桃の花
神澤不動尊前の桃の花?です。梅でも桜でもなく多分桃の花と思います。新芽が伸びています。

ここまで来たので相模川の流れを見て帰ることにしました。スポーツ広場を過ぎ右手崖下の大きな岩がごろごろしたオフロードバイクの練習場を過ぎ河原の灌木地帯を抜け川縁に立ちました。
相模川・相模原市緑区大島
石ころ河原ではなくこのように湖の縁のようなところです。野ばらの新芽が出始めていました。この下流約800mのところに烏山用水探訪のときに行った清水下頭首工があり、その影響で湖のようになっています。夏場はジャングルのようになるでしょう。ここに立てるのは今の季節だけです。

今日のスタート地点、相模田名高校付近の地図です。

其の139 三ヶ木発電所跡を訪ねる(続編)

昨年12月に「其の120 三ケ木発電所跡を訪ねる」を発表しました。その後、不明確であった発電用水の取水口の所在場所を調査し内容を[追記]で投稿し明らかにしました。その内容は文書や図面上のことで今回はそれらを参考にして現地を再探訪しました。取水口所在場所や導水路、隧道の位置なども合わせて考えてみました。2月から3月にかけ探訪しました。
関連記事
其の120 三ケ木発電所跡を訪ねる (2013/12投稿)

青山川河口
これは道志川左岸から見た青山川の河口です。横浜水道青山沈澱池はもう少し上流にあります。左側の建物は三太旅館です。

道志川左岸より水道橋方面を望む
青山川河口から150m位下流です。下流の水道橋方向(紅白の送電線鉄塔方向)を望む。明治44年9月に発電所建設業者が神奈川県知事に提出した「水利使用及水路新設許可願」(以下許可願い)には水路総延長290間9分8厘(529m)とあります。既設の上川原灌漑用水路堰を利用し右岸に取り入れ水路を設け木樋に引水とあります。この辺りにその堰があったと思われます。発電所は大正末年頃まで運転していました。90年近く前です。河床は当時より低下しており痕跡は何も残っていません。
許可願い添付図面によると三ヶ木村字上川原(上河原)は道志川の流れと右岸土手に挟まれた河原の畑地帯です。画像の枯草地帯がそれにあたります。

水道橋
南側から見た水道橋です。潜った正面奥下に三ヶ木発電所の貯水池(上池水槽)が現存しています。

水道橋付近の横浜水道みち
水道橋から5、60m南の横浜水道みちです。画面奥突き当りを右へ曲がったところが水道橋です。許可願いによると延長44間(80m)の隧道を掘り木樋を通すとあります。歩き回った結果この写真のガードレールが切れた辺りがその位置(隧道の入口)と思われます。

水道橋付近横浜水道みち
上記写真より水道橋寄りの崖の様子です。切り立った崖です。念のためこちら側から斜面を下り崖下の隧道跡を水道橋の下の辺りまで探索しました。許可願いによると隧道のサイズは幅が9尺(2.73m)、高さ7尺5寸(2.27m)もあり、中に木樋を通すように設計されていました。その遺構があればすぐ分かるはずです。残念ながら発見できず。手前の斜面(何らかの原因で土砂が積もった)の下に隧道跡があると思われます。実は「コンクリート会社と水道橋の間にトンネル跡があり子供の頃に中へ入って遊んだ」という地元の方の話を聞き、隧道の発見を今回の探訪の一番のテーマにしていました。図面などを参照するとここでほぼ間違いないと思われます。

道志川左岸から水道橋を望む
対岸から見ました。赤丸の辺りが隧道の入口と思われます。左端に水道橋が見えます。

三ヶ木発電所木樋導水路
これは木樋導水路と隧道のイメージです。取水口から上川原(上河原)の畑を通って来た木樋導水路が隧道に入るところです。入口で右へ30°向きを変え真っすぐ貯水池(上池水槽)へ向かっています。
木樋は幅4尺8寸(1.45m)、高さ3尺5寸(1.06m)、水深2尺5寸(0.76m)、側板底板共厚さ2寸5分(7.6cm)の松板を使用。地盤の高低により地中埋設又は掛樋とし、松丸太上に架設。木樋延長271.3間(493m)(許可願いより)。

水道橋
北側から見た水道橋。撮影地点の背後に三ヶ木発電所貯水池(上池水槽)の遺構があります。2月の大雪がまだ残っています。(3月15日撮影)

三ヶ木発電所の遺構説明看板
三ヶ木発電所の遺構と説明看板
三ヶ木発電所の遺構
横浜水道第2期拡張工事の中でも最大な難工事として城山隧道(4358.5m)が掘られました。この隧道工事でトンネル内部の送気、排水ポンプ、電燈、コンクリートミキサー、坑内自動車の動力電源として明治44年ごろに建設されたものです。工事完成後も相甲電気に受け継がれ大正末年頃まで発電が続けられたと伝えられております。
 説明看板より

遺構の様子を前回とは角度を変えて眺めてみました。以下の説明でもたびたび尺貫法の数値が出て来ますが「許可願い」からの引用です。カッコ内は管理人注。
三ヶ木発電所の遺構
ここを初めて訪ねたのは去年11月28日です。その時はまだ草が茂っていてよく見れなかったのですが、土砂吐け用の開口(黄色矢印)がはっきり見えました。ここに排砂水門が設けてありました。
写真正面の壁が一段低くなっています。余水吐け(溢流用の堰)です。
水槽出口には「ゲートヴァルブ」を取り付け送水量の調整を行っていました。
水圧鉄管取付け部の開口は見た目以上に大きく1m以上あります。外に向かってテーパー付でギザギザの跡が付いています。内径3尺(91cm)、長さ85尺(25.8m)の鉄管が取り付けられました。

三ヶ木発電所の遺構
貯水池右側の余水吐け水路。崖下の発電所放水路と合流して道志川に放流されました。

三ヶ木発電所の遺構
出口側から見た貯水池です。寸法は内法で長さが12尺(3.64m)、幅9尺(2.93m)、高さ8尺2寸(2.5m)。
上段の水路(橋の下)の奥に取水口から来た水路の出口(隧道の出口)があります。

隧道出口
水路隧道出口です。去年11月に初めて見た時は草が茂っていました。径50cm位かと思ったのですが、とんでもない! 水路幅目一杯(約1.5m)ありました。

三ヶ木発電所導水路出口
隧道内部の様子です。当初計画では木樋を通すための隧道でした。工事途中に地質都合により設計変更し、隧道の途中からコンクリート巻水路隧道に変わりました。入口側のサイズは前述のように幅が9尺(2.73m)、高さ7尺5寸(2.27m)です。

三ヶ木発電所の遺構付近
発電所遺構(右中央)付近から見た道志川(津久井湖)。3月15日撮影。その日の城山ダムの水位は-2.09m=EL121.9mでした。貯水池直下は湖です。

三ヶ木発電所跡付近より道志川を望む
これは上の写真とほぼ同じ位置から見た道志川(津久井湖)です。(2月6日撮影)
2月4日に降った雪が残っています。水位が低下していて歩けそうなので崖下を探索しました。

三ヶ木発電所跡
貯水池・上池水槽(黄色矢印)の下の様子です。落差47尺(14.2m)で発電機・水車を回していました。貯水池の下に間口6間(10.9m)、奥行き5間(9.1m)(30坪)の発電所建屋があり60吋横動フランシスタービン水車が据付けられていました。
目の前に何やら基礎らしきものがありますが、落差47尺から推測すると建屋はもっと低い位置にあったと思われます。

旧道志橋
廃橋(旧道志橋)の橋台や橋脚が姿を見せていました。去年の8月には異常渇水でこの辺りは城山ダム完成以前の元々の道志川の流れを見せていたと思います。去年の8月にこの下流の沼本ダム付近の湖底を歩きました。其の100 三井用水取入所・沼本ダムを訪ねる2 でその様子を投稿しましたので興味のある方はご覧ください。

お終いに道志川といえばこの辺りは三太物語の舞台として有名です。三太の碑を見つけました。

三太旅館
横浜水道みち沿い、青山川河口に接する三太旅館です。

三太の碑・三太旅館内
旅館玄関脇の三太の碑。
おら三太だ ここが道志川の主 仙爺さまの家だ 人玉になる術まで使い 川の見廻りに出たんだ  青木茂
NHKのラジオドラマで流れた少年の声「おらあ三太だ」を覚えています。齢が知れますね。作者の青木先生は良くこちらの旅館に泊まられたそうです。なお子供の頃トンネルに入って遊んだのはこちらのご主人です。

参考文献「津久井郡役所土地回議録 明治四十五年大正元年」
発電所建設業者が神奈川県知事宛てに提出した水利使用及水路新設許可願い(明治44年9月1日付)
(神奈川県立公文書館蔵)

発電所建設業者は許可願いには個人名になっています。東京市京橋区本八丁堀参町目壱番地 中野喜三郎とあります。同氏は中野石材工業(株)の創業者で中央線の笹子トンネル工事、国会議事堂、日本橋石工事など偉大な業績を残されています。現在は五代目社長に引き継がれています。HPに書かれていること以外にも主に電車架線工事(京王電鉄、京浜電鉄)、京浜地帯電力工事等も受注しています。三ヶ木発電所工事は同社の得意とする分野であったことがよく分かります。

今回1枚目の写真、青山川河口の位置です。

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