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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の718 「横浜水道創設水道導水路」&トロッコの歴史看板一覧

 当ブログ右欄リンクに貼り付けた「横浜水道創設水道導水路」は、昨年9月末に横浜市水道局HPの公開が終了し、現在リンク切れとなっています。
横浜水道みち歩きを始めたころ参考にしたA4紙にコピーした当該ページを探し出しました。コピーなので不鮮明ですが代役として務まることを期待して投稿します。


横浜水道創設水道導水路概要図です。(クリック拡大)
横浜水道創設水道導水路概要図
旧三井用水取入所から始まり野毛山旧配水池に至る延長44kmの横浜水道創設時の横浜水道みちです。
概要図左下にトロッコの歴史看板設置26か所の一覧が載っています。読みづらいので下に文字起こししました。

横浜水道みちトロッコの歴史看板一覧
番号当時場所設置住所設置目標場所km
1三井相模原市緑区三井ボート乗り場1
2大島(1)相模原市緑区城山町向原2丁目小倉橋付近6
3大島(2)相模原市緑区大島清流の里付近7
4大島送水井相模原市緑区大島3339渓松園内7.5
5田名相模原市緑区田名2074ジョギング道路11
6上溝相模原市中央区上溝4316
7当麻相模原市南区当麻1102あざみがや交差点17
8堂山橋相模原市南区下溝2096道保川橋際17.5
9下溝相模原市南区麻溝台女子美大付近18
10磯部村相模原市南区二葉2丁目双葉遊園地付近20
11上鶴間相模原市南区東林間5丁目7相模原水道遊園23
12下鶴間大和市下鶴間1453さくら散歩道公園内24
13鶴間(1)町田市鶴間3丁目1鶴間公園内25.5
14鶴間(2)町田市鶴間1776国道246バイパス際26
15瀬谷町田市鶴間1486鶴間三角公園27
16川井横浜市旭区川井本町83バス停福泉寺前31
17下川井横浜市旭区都岡町9都岡町内会館前32
18今宿横浜市旭区今宿南町水道みち今宿橋付近33
19川島横浜市旭区鶴ヶ峰二丁目鎧橋際35
20三反田横浜市旭区西川島町西川島公園内36
21上星川横浜市保土ヶ谷区東川島町東川島水道みち公園38
22坂本横浜市保土ヶ谷区仏向町仏向給水車両ステーション39
23下星川横浜市保土ヶ谷区川辺町水道局保土ヶ谷事務所前41
24帷子横浜市西区南浅間町社宮司公園内42
25芝生横浜市西区藤棚1丁目藤棚交番前43
26戸部横浜市西区老松町野毛山旧配水池入口44
三井用水取入所からの距離(km)を追記しました。


横浜水道みちトロッコの歴史看板
横浜水道みち・トロッコの歴史看板
横浜市水道局が近代水道創設120周年を記念し設置したトロッコの歴史看板です。写真は創設水道導水路26か所に設置された1番目の看板です。
現在地:三井 三井用水取入所からここまで1km 

看板にはこんなことが書いてあります。(26か所共通)
この水道みちは、津久井郡三井村(現:相模原市津久井町)から横浜村の野毛山浄水場(横浜市西区)まで約44kmを、1887年(明治20年)我が国最初の近代水道として創設されました。運搬手段のなかった当時、鉄管や資機材の運搬用としてレールを敷き、トロッコを使用し水道管を敷設しました。横浜市民への給水の一歩と近代消防の一歩を共に歩んだ道です。
(トロッコの歴史看板より)


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これは23番下星川の看板です。当時の地図に描かれた路線上に水道局キャラクターはまピョンが立ち案内しています。
下星川 三井用水取入所から41km
現在地:川辺町 (水道局中部第二給水維持課前)



●2番目の大島(1)、3番目の大島(2)は設置場所が分かりにくいところです。
「其の5 大島から小倉橋へ」が参考になります。
●1番目の三井は三井植物浄化施設案内板の隣に立っています。
参考記事「其の613 三井植物浄化施設」
●4番~26番は水道みち沿いに設置されているので見つけやすいと思います。


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其の697 城山隧道と第一接合井・相模原市緑区太井

 城山ダムのあと城山隧道下口と第一接合井を訪ねました。
ここは以前にも訪ね詳細にレポしましたが、城山ダムの近所なのでついつい足が向いてしまいましたよ・・・。(^σ^)

横浜水道道志川系・城山隧道
横浜水道道志川系の管路隧道・城山隧道下口(下流側の入口)です。懐かしいなあ~何年ぶりだろう。表面がレンガ張りでピラスターと呼ばれる石造りの飾り柱が特徴です。完成は大正3(1914)年4月。ピラスター付きは当時の流行りだったようで川尻隧道、太井隧道でも見られます。


城山隧道の銘板
正面の「城山隧道」銘板です。


横浜水道道志川系・第一接合井
隧道の下流側にある第一接合井です。城山ダム築造により従来の導水路線が水没するため新たにこの施設が設置されました。その働きは後述します。


横浜水道道志川系・第一接合井
第一接合井の上流側です。


横浜水道道志川系・城山隧道
その上流側にある城山隧道下口です。


横浜水道道志川系・第一接合井
城山隧道下口から見た第一接合井です。コンクリート製の大気開放された大きな水槽です(HWL130.50m)。柵に囲われ中には入れません。道志川で取り入れた水道原水2.0㎥/秒が流れているので当然ですね。


横浜水道道志川系・城山隧道
カメラが見た隧道の中の様子です。向かって左側にドイツマンネスマン社製の42吋(Φ1050)鍛接鋼管、右側にΦ900鋼管が敷設してあります。42吋鍛接鋼管は106年経った現在も水を送り続けています。凄いことですね~ドイツの技術恐るべし。当時は第一次世界大戦中でドイツは敵国でした。敵国から良く入手できましたね。鍛接鋼管の現物は西谷の水道記念館に展示してあります。

隧道の寸法形状です。
内法拱径間10尺(3.03m)、中央高さ8尺(2.42m)の馬蹄型。
厚さ46㎝のコンクリート製、内面はレンガ張り。


横浜水道道志川系・第一接合井
これは第一接合井の出口側です。扉の前に立つと流水音が聞こえるので城山水路隧道(内径1.9mの馬蹄型水路隧道)の入口と思われます。水路隧道は城山ダム右岸の第二接合井(HWL128.20m)に向かっています。


ざっと施設を見ました。以前と同じところへ来ているので探訪記は同じ内容になります。今回は当時書けなかったことを書きます。それは水道みちを歩くとよく見かける接合井(せつごうせい)についてです。接合井とは?ネットで調べても答えはどこにも書いてないので第一接合井を観察し、私なりに感じたことを書き記します。

接合井とは
読んで字の如し。接合するための井戸の意ですね。接合とは「つなぎ合わせる」の意、井戸は第一接合井を例にとるとコンクリート製の大きな水槽になります。何を接続するか?水道原水を通す管(鋼管や水路隧道)です。
第一接合井の流入側は口径の異なる二本の(Φ1050、Φ900)鋼管です。流出側は城山水路隧道(径1.9mの馬蹄型水路隧道)です。このように異なる口径の鋼管を一本の管(水路隧道)にまとめるには接合井しか方法がないですね。接合井はある意味継手のような働きをしています。

城山隧道の上口は青山沈殿池構内にあるのですが、隧道入口直前に接合井(HWL142.825m)があり(流入側Φ1500から流出側Φ1050、Φ900の鋼管)に分岐しています。ここでは大口径から小口径に分岐する継手の働きをしています。

接合井のもう一つの働きは水圧調整(減圧)です。
上記接合井のHWLを標高の高い順に並べます。
・青山沈殿池接合井(HWL142.825m)
・第一接合井(HWL130.50m)
・第二接合井(HWL128.20m)
道志川系終点の川井浄水場着水井のELは(HWL93.75m)です。青山沈殿池から約29km、高低差を利用して延々と自然流下で送っているところが凄いですね・・・。


横浜水道道志川系・太井隧道の遺構
横浜水道道志川系・太井隧道の遺構
これは第一接合井から見た太井隧道(城山ダムと同じ管路隧道)の遺構です。昭和40年城山ダム完成により水没しました。現在は第一接合井→第二接合井→城山ダム水管橋に路線変更されています。太井隧道の全貌は異常渇水期に見ることが出来ます。あるいは予備放流水位まで水位を下げたときが全体像を見るチャンスとなります。


冒頭で述べた詳細探訪記はこちらです。
「其の98 太井隧道・城山隧道を訪ねる」
異常渇水期で姿を見せた太井隧道が登場します。


第一接合井の位置です。(地理院地図より)


其の655 再び横浜水道みちを行く・相模原市中央区

 バスや電車を使わなくても行ける格好の散策路が近場にありました。昔を思い出しながら横浜水道みちを歩いてきました。

横浜水道みち
5月7日(木)、相模田名高校付近から水道みちに入り田名中前までやってきました。県道54号線から見た横浜水道みち城山ダム方向です。


横浜水道みち・田名北小前
県道63号線田名北小前です。昔は県道を挟んでコンクリート製の空気弁室がありましたが解体撤去されました。


横浜水道みち・田名北小前
田名北小校庭前です。水道みち内に電柱が立っています。
「横浜市水道局谷ケ原-***」と一連番号が打たれています。かつて使われていた青山沈澱池・西谷浄水場間に引かれた専用通信線用です。
今回の散歩は6年前に歩いた「其の140横浜水道みちの電信柱」と全く同じコースです。


横浜水道みち・100m杭・km杭
その先の水色の百米杭(100m)と粁杭(km)です。
百米杭には120Y.W.W、粁杭には十二粁横濱市水道局と刻まれています。水源の三井用水取入所からの距離12kmを示しています。この辺りには貴重な百米杭が連続して残っています。


横浜水道みちの電柱
その先の水道みちと専用通信線電柱。今は地元自治会の防犯灯用に使われています。


横浜水道みちと100m杭
まっすぐ伸びる横浜水道みちと百米(100m)杭。

横浜水道みちの100m杭
上から見た百米(100m)杭。サイズは16cm角。119Y.W.Wと刻まれています。三井用水取入所から11900m。


横浜水道みちのアカバナユウゲショウ
城山ダムの方へ向かう横浜水道みちとアカバナユウゲショウの群生。近頃その勢力を伸ばしています。その他の草花はハルジオン、すかんぽ、ギシギシ、ナガミヒナゲシなどが目立ちました。


横浜水道みち付近のアカバナユウゲショウ白花
横浜水道みち付近のアカバナユウゲショウ白花
この日は風が強く花の撮影は無理でした。前日、水道みち近くの農道で珍しいアカバナユウゲショウの白花を見つけました。
白花は茎が緑色、アカバナの茎は赤みがあります。株元を確かめると別々の株でした。


横浜水道みち・トロッコの歴史看板
横浜水道みち・トロッコの歴史看板
横浜水道みちトロッコの歴史看板です。三井用水取入所から5つ目の看板です。詳しくは横浜水道創設水道導水路を参照ください。
三井用水取入所からここまで11km 現在地:田名

上記「横浜水道創設水道導水路」はリンク切れとなりました。右サイドバーリンクにコピー版を貼り付けました。


横浜水道みち・相模原市緑区大島古清水
県道48号線を横断すると水道みちは一般道として利用されています。ここは中央区田名から緑区大島古清水に入りました。


横浜水道みち・神沢坂
その先で台地上に敷かれた水道みちと別れ神沢坂を下ります。左側が今歩いてきた水道みちです。


神沢坂の地名標柱と相模川散策路の道標
坂途中の神沢坂の地名標柱と相模川散策路の道標。
「神沢集落から上の段に通じる坂なのでこの名があります」 
(地名標柱より) 


古清水上組(こしみずかみぐみ)のヤツボ
神沢坂地名標柱近くの古清水上組(こしみずかみぐみ)のヤツボです。こんこんと湧き出した清水はヤツボから溢れ崖下から相模川へ流れていきます。

古清水上組(こしみずかみぐみ)のヤツボ
見上げるとヤツボの清水はこんな崖下から湧いています。

古清水上組(こしみずかみぐみ)のヤツボ案内板
ヤツボの案内板です。湧水を溜めた泉をヤツボと言います。


神沢坂
さらに神沢坂を下っていきます。


神沢不動尊・長徳禅寺
神沢不動尊にお参りしました。窓越しに拝観すると高さ二尺ぐらいの真っ赤な火炎を背にした不動明王立像でした。右手に剣、左手に索、牙をむいた憤怒の表情です。相模原市大沢公民館HPよりによると、不動尊は、段丘崖上の上大島長徳寺・三森五堂のなかにあり。長徳寺の創建は天文5年庚申(1536年)とのことです。


神沢不動尊近くの崖崩落
そのまま一本道を下っていくと生々しい崖崩れの現場がありましたよ。露頭となり地層がはっきり見えます。

神沢不動尊近くオフロードバイク練習所?
露頭の左側は古い崩落みたいです。オフロードバイクの練習ができそうなところです。前面広場にオフロードバイクが2台駐輪していました。

さらに進むと相模川の川縁に出ますが藪漕ぎが予想されるので散策はここで切り上げました。来た道を引き返します。太陽光の下、身体のためになる散歩ができたと思います。


今回のスタート地点の地図です。(地理院地図より)


其の470 横浜水道川尻隧道の遺構を訪ねる・相模原市緑区

3月13日(火)、好天だったので急に思い立ち6年振りに川尻隧道を見に行ってきました。

相模川左岸沿いの横浜水道みち
城山ダム下流の相模川左岸崖沿いに開かれた道です。横浜水道創設路線は相模川左岸の大雨のたびに崩落する危険極まりない崖沿いに敷設されていました。この道の下にもかつて18吋、22吋の鋳鉄管が敷設されていたのではないかと想像しています。

相模川を渡る圏央道
相模川を渡る圏央道です。6年前に探訪した時は橋脚だけでした。今は開通していますが車窓から表の景色は一切見えないので、相模川の景観を見ることはできません。

相模川左岸の圏央道
相模川左岸の圏央道と橋台です。圏央道は甲府や長野方面へ行くときにちょいちょい利用します。八ツ沢発電所を訪ねたときは相模原愛川ICから上野原ICまでが半時間ほどでした。圏央道が開通し便利になりました。

横浜水道川尻隧道
道をだらだらと下って行くと左手にひっそりと在りましたよ・・・。
胸ときめく恋人に再会で~す。(^σ^)/

横浜水道川尻隧道
6年前当時と全く変わらぬ佇まいです。初探訪時は圏央道が工事中でした。実はその後がどのようになったかずうっと気になっていたんですよね・・・。
川尻隧道は導水管を通すための管路隧道です。現役の頃(中沢接合井、久保沢隧道が完成するまで)は42吋のドイツ製鍛接鋼管が敷設されていました。

川尻隧道
津久井郡三沢村及び川尻村地内において、旧水道路線の迂回部を直線に貫通して築造したものである。
延長487.8m。第2回拡張工事で明治45年5月完成。
川尻隧道下口で既設18吋(460mm)、22吋(560mm)及び
新設の36吋(910mm)管に接続。

横浜市水道局「横浜水道百年の歩み」より抜粋

なお、隧道上部の「川尻隧道」銘板が取り外されています。横浜市保土ヶ谷区西谷の水道記念館にモニュメントとして展示してあります。

横浜水道川尻隧道
隧道内部から湧水が流れ出るのも6年前と同じです。隧道は鉄筋コンクリート製で表面はレンガ張りです。創設路線を設計監修した英国人H・S・パーマーさんの影響でしょうかレンガはイギリス積ですね。

横浜水道川尻隧道
隧道内部の様子です。隧道の上流側入り口は城山ダム左岸の津久井発電所取水塔のそばにあります。

横浜水道城山隧道上口
これは同じ管路隧道の城山隧道上口の写真です。右側が42吋ドイツ製鍛接鋼管です。いまも現役で働き続けています。凄いですね・・・。

6年前の川尻隧道探訪記です。
「其の8 谷ケ原浄水場から津久井発電所へ」


今日の所期の目的は達したので近辺を漫ろ歩きしてきました。

城山ダム・津久井湖・沼本ダムの立入禁止水域
神奈川県企業庁相模川水系ダム管理事務所が設置した城山ダム・津久井湖・沼本ダムの立入禁止水域の看板があちこちに立っていました。(画像クリックで拡大)

城山ダム
城山ダムです。堤体に添架してある一番太いパイプが横浜水道道志川系「城山ダム水管橋」です。口径はΦ1350です。

横浜水道道志川系第3接合井
ダムを渡った城山ダム水管橋は城山ダム左岸でここ「第3接合井」に接続されています。以下、久保沢隧道を通り上大島接合井から川井浄水場へ向かっています。

城山ダム水管橋銘板
第3接合井に掲示の城山ダム水管橋の銘板です。
延長:277.488m  管径:1.350m  完成:昭和39年3月

城山大橋から見た津久井湖
城山ダム堤体上のR413・城山大橋から見た津久井湖。
右側の塔は津久井発電所1号機の取水塔です。発電機水車を回した後、相模川の維持水として小倉橋上流で相模川に放流されます。
横浜水道道志川系の遺構、中沢接合井と先ほど見学した川尻隧道上口が見えるはずですが雑草のせいで見えません。

津久井発電所取水塔
6年前に撮影した写真です。正面の建物は神奈川県城山ダム管理事務所。右から津久井発電所取水塔、煉瓦色が川尻隧道上口、その左は中沢接合井です。
城山ダム完成(昭和40年)以前、この辺りの相模川河原から崖斜面にかけて数多くの桜が植えられ、横浜水道創設路線の第三工区であったことから「三工区の桜」として名を知られていたそうです。

神奈川県立公園水の苑池
中沢接合井の上流側(城山ダム管理事務所の隣)左岸一帯は現在神奈川県立公園「水の苑地」として整備されています。湖岸に三工区の桜が一部残っています。もうすぐの開花が楽しみですね。

津久井湖畔水の苑池の若山喜志子歌碑
おしまいに水の苑地内の若山喜志子(牧水の妻)歌碑の紹介です。
「今日の雪は降りつもれども明るくてとほく小鳥のさえつるきこゆ 喜志子」


其の393 山梨県道志村役場の横浜水道獅子頭共用栓

 6月2日(金)晴れ、山中湖・河口湖へ向かうため道志みち(R413)を走りました。今回は横浜水道がらみで道志村役場に設置の獅子頭共用栓の話です。

山梨県道志村役場
道志みち(R413)沿い道志村役場庁舎です。玄関脇に獅子頭共用栓が立っています。

道志村役場の獅子頭共用栓
獅子頭共用栓です。年季が入って足元は苔むしています。
横浜水道創設時イギリスから600基が輸入され、市民への給水は複数の人が共同で使用する共用栓が主体で、獅子頭共用栓は道路に設置されていました。

道志村の獅子頭共用栓の碑・碑文
傍らの石碑に碑文が刻まれています。上部には道志村村章、横浜市市章も刻まれています。
どのようなことが書かれているのでしょう。

獅子頭共用栓
この獅子頭は横浜市水道局が明治二十年に創設された頃イギリスから輸入したもので共用栓として市内随所に設置され広く市民に愛されていた貴重なものであります。当時獅子頭共用栓からほとばしる飲用水は赤道を越えても腐らないとほめ讃えられた世界一おいしい水でありその水源が我が道志川の清流であります。
このことは横浜市民と道志村民とのきずなを深めて今日に至って居ります。この度私たちはこのきずなをさらに将来に向って意義あるものとするため獅子頭の寄贈をいただきここに記念のしるしとして設置したものであります。

     昭和五十七年九月  道志村


明治20年に創設した日本初の近代水道・横浜水道は当初相模川、現在の沼本ダム付近(三井用水取入所)から取水していました。明治30年に道志川取水(現在の青山沈澱池)に変更したのでそれ以来今現在も横浜市川井浄水場へ道志川の水を送り続けています。道志村と横浜市とのゆかりは今年でちょうど120年になります。長―いお付き合いですね・・・。

このあと、相模川の源流を見るために山中湖・河口湖方面へ向かいました。次回以降に発表します。

道志村役場の位置です。

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