FC2ブログ

横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の733 大島水場のヤツボを訪ねました・相模原市緑区

 日々神社の徳本念仏塔を見たあと横浜水道みちに戻りヤツボを見てきました。以前にも訪ねたことがあり再訪です。

横浜水道みち・相模原市緑区大島水場
相模川左岸段丘崖沿いの横浜水道みちです。道志川系の水道みちで上流へたどると青山沈殿池から道志川の鮑子取水所に至ります。左側に大島水場のヤツボ案内板、相模川散策路の道標が見えます。


大島水場のヤツボ案内板
大島水場のヤツボ案内板。相模原市登録史跡です。


相模川散策路の道標
相模川散策路の道標。水道みちは相模川散策路になっています。


大島水場のヤツボ
ヤツボは崖の中腹にあり案内板のあった場所から崖を下ります。


大島水場のヤツボ案内板
階段途中の案内板です。夏場はマムちゃんに注意。


大島水場のヤツボ
玉石積みに囲われたヤツボです。奥の方、御神水の位置から泉が湧き出しています。


大島水場のヤツボの説明板
ヤツボの案内板です。

「ヤツボ」とは湧水を溜めた場所で、昔から地域の人々によって飲料の取水や洗い場として利用されてきました。相模川を臨む崖沿いには湧水地が数多くあり、大島地区から田名地区にかけては「ヤツボ」が10か所以上確認されていましたが、現在その多くは枯渇し、見ることのできる場所も限られています。 
(案内板より)


大島水場のヤツボ地名標柱
相模原市が立てたヤツボの地名標柱です。


龍蛇神(りゅうだじん)(龍蛇信仰の神)
地名標柱の脇に祠があり石造物が祀ってあります。

龍蛇神(りゅうだじん)(龍蛇信仰の神)
祠脇にあった案内板です。

龍蛇神(りゅうだじん)(龍蛇信仰の神)
勺に食いついた龍蛇石像の由来
その昔、文久年代中頃1861年2月19日から1864年2月20日 3年間
目を患う行者が、湧き水(ヤツボ)で目を洗い滝に打たれて修業し療治した。又七の長男である米吉は、滝わきで大きな水車を動力に、精米所を営んでいた。行者は米吉の家を宿に修業、感謝の意で龍蛇神の石像を置かせてほしいと、土岐の地権者米吉に依頼し、滝の脇に置かせてもらった。
 (案内板より)


大島水場のヤツボ
ヤツボから相模川へ向かうせせらぎ(右側の水路)。


↓は2012年に訪ねた時の記事です。龍蛇神の説明文が少し変わりました。

其の38 横浜水道みち短信 (2012/09投稿)


大島水場のヤツボの位置です。


スポンサーサイト



其の732 日々神社の徳本念仏塔・相模原市緑区大島

 3月14日(日)、横浜水道みちから足を延ばし日々神社の徳本念仏塔を見に行きました。

日々神社一の鳥居
横浜水道みちから県道48号線に入りました。県道に面した日々神社一の鳥居。


日々神社・相模原市緑区大島
参道を200mほど進むと日々神社に到着です。


日々神社の水舎(みずや)
鳥居をくぐり神域に入りました。右手の水舎(みずや)です。


日々神社・相模原市緑区大島
日々神社・相模原市緑区大島
拝殿は切妻造り平入の神明造りと呼ばれる形式です。左側の大木は御神木の楠です。参拝者はスーパーやコンビニレジ前のように間隔に注意せねばなりません。


日々神社・相模原市緑区大島
その奥の玉垣で囲われた本殿です。

案内板より日々神社御由緒を記します。
●御祭神 伊邪那岐命、天照皇大御神
●創建年代は不詳 保元二年、寛文五年、元禄元年、明治七年に再建。
かつては「日之宮」と称したが明治二年に「日々神社」と社号を改め、明治六年国幣中社寒川神社付属社に列せられ明治六年十二月に村社となった。
  (案内板より抜粋)


日々神社の徳本念仏塔
本殿の北側、お目当ての徳本念仏塔です。独特の書体の六字名号「南無阿弥陀仏」が刻まれています。

相模原市登録有形民俗文化財
大島日々神社の徳本念仏塔(文政三年)
徳本は江戸時代後期に念仏を広めて歩いた僧で、村の念仏講中は徳本の書を求め念仏塔を建てました。元は県道沿いにありました。  相模原市教育委員会
  (案内板より)

日々神社の徳本念仏塔
右側面、下の方に「右大山」、左側面に「左ほしのや」と刻まれています。街道に立つ念仏塔は道標を兼ねていました。


日々神社の御神木楠
日々神社の御神木楠
御神木の楠「白蛇の棲まう神秘の木」です。樹齢約300年の巨木。大地をつかむ根張り、天を衝く幹枝、精気がみなぎっているようでパワーをもらえそうですね。


日々神社境内社・相模原天満宮
日々神社境内社・八坂神社、日枝神社
境内社の相模原天満宮、八坂神社、日枝神社です。


以下は日々神社へ来るときに通った横浜水道みちです。過去記事で取り上げているので簡単に。
横浜水道みち・相模原市中央区田名
田名北小付近の横浜水道みち。かつて青山沈殿池・西谷浄水場間の通信用に使われたコンクリ製の電信柱が残っています。もうすぐ彼岸の入りです。今日は上空でさえずるヒバリの初音を聴きました。


横浜水道みち・トロッコの歴史看板
横浜水道みち・トロッコの歴史看板
トロッコの歴史看板です。風雨や日光に晒されているのに数年前と全く変わらない高品質の看板です。三井用水取入所から5番目の看板です。全26か所は右サイドバーリンク・其の718「横浜水道創設水道導水路」&トロッコの歴史看板一覧に載せました。


以下、看板写真より。看板はいろいろと教えてくれます。
横浜水道みち・トロッコの歴史看板
三井用水取入所からここまで11km 現在地:田名

導水線路高座郡溝村(田名・上溝)付近
導水線路高座郡溝村(田名・上溝)付近
桑畑に敷かれたトロッコ軌道。通信用電柱が立っています。

水道創設当時の三井用水取入所  野毛山貯水池 宮内庁書陵部所蔵
左は水道創設当時の三井用水取入所、右が野毛山貯水池 宮内庁書陵部所蔵

関連過去記事です。

「其の140 横浜水道みちの電信柱」 (2014/03投稿)


タチツボスミレ
タチツボスミレが咲きました。植木鉢の隅にひとりでに生え、緑の葉っぱのまま越冬したタチツボスミレがいつのまにか開花しました。

日々神社の位置です。(地理院地図より)

横浜水道みちは青色破線で表示してあります。


其の730 龍像寺と路傍の石仏・相模原市中央区東淵野辺

前回の続きです。参道をそのまま進み龍像寺を訪ねました。

龍像寺参道入口
木曽街道沿い龍像寺参道入口です。


曹洞宗淵源山龍像寺山号寺号標
参道入口に立つ曹洞宗 淵源山 龍像寺(えんげんさん りゅうぞうじ)山号寺号標です。


龍像寺参道
左手に龍像寺境内の森を見ながら参道を進みます。


境川旧河道・相模原市中央区東淵野辺
参道右側に堀がありましたよ。今に残る境川の旧河道跡です。


今昔マップで確認します。(今昔マップon the webより)

明治39年測図ですが当時の境川はこのように東西二本の流れが中ノ島を作っていました。年代を1975~1978年(昭和50年測図)に切り替えると現在の直線化した境川に変わります。


龍像寺参道の一石六地蔵
参道右側路傍に一石六地蔵が祀ってありました。


龍像寺山門
龍像寺山門・淵源山
龍像寺に着きました。山門に掲げられた淵源山(えんげんざん)と書かれた山号額。著名な方の揮毫と思われますが達筆すぎて読めません。


龍像寺手水舎
山門潜った右手の手水舎。

龍像寺鐘楼
山門左手の鐘楼です。


龍像寺本堂
龍像寺本堂です。


龍像寺案内板
相模原市・相模原市観光協会が立てた龍像寺案内板です。

この寺は山号を「淵源山(えんげんざん)といい、厚木市七沢にある 曹洞宗広沢寺の末寺です。
縁起によると暦応年間(1338~1341年)、境川に住んでいたという大蛇をこの地の地頭淵辺義博(ふちべよしひろ)が退治し、3体に分散した蛇体をおのおのの地に葬ってそれぞれ龍頭寺・龍像寺・龍尾寺としたと伝えられています。
その後、3寺とも荒廃してしまいましたが、弘治2年(155 6年)に巨海(こかい)和尚によってこの龍像寺だけ再興されまし た。寺宝として、この龍骨の一部と義博使用の矢じりと板碑が所蔵されています。また、墓地内には江戸時代にこの地の地頭であった岡野一族の墓があります。  相模原市・相模原市観光協会

(案内板より)


淵野辺龍像寺徳本念仏塔
相模原市登録有形民俗文化財「淵野辺龍像寺徳本念仏塔」です。独特の書体で刻まれた六字名号「南無阿弥陀仏」は彫が浅いため十分に鑑賞できなかったですね。

徳本は江戸時代後期に念仏を広めて歩いた僧で、村の念仏講中は徳本の独特の書を求め念仏塔を建てました。
相模原市教育委員会
   (案内板より)


龍像寺の六面庚申塔
隣に立つ庚申塔です。六角柱の六面にそれぞれ「庚申供養塔」と刻まれています。こんなタイプもあるんですね。初めて見せてもらいました。


龍像寺参道入口
参道入口に戻りました。左手が古淵駅方面です。


木曽街道・龍像寺坂
参道入口前の道は龍像寺坂と言い坂を上ればJR横浜線古淵駅に至ります。正面三叉路角に看板が立っていますね。


古淵一本松跡の案内板
古淵一本松跡の案内板でした。

古淵一本松は、古淵と嶽之内の間で、龍像寺表参道入口の門柱にある所の坂上にあり、武州から来る木曽街道(別名 磯部街道)のかたわらに高くそびえたっていました。 大野北公民館
(案内板より)

龍像寺坂の庚申塔
案内板の陰にあるのは庚申塔ですね。うっかり見落とすところでした。先の尖った石塔に「庚申供養之塔」と彫られ正面側面下部にお猿さんが浮彫りされています。側面に刻まれた文字から道標を兼ねていたと思われます。

龍像寺坂のあるこの道は案内板に木曽街道とありましたが、家康の御尊櫃御成道(ごそんびつおなりみち)として知られています。元和三年(1617年)三月、久能山を発った一行はこの坂を下り、木曽一里塚、小野路一里塚を通り日光へと向かいました。相模原市にも一里塚があるのでいつか歩いてみたいですね。

其の729 大日堂と鹿嶋神社・神奈川県相模原市中央区古淵

 前回の境川木曽東調節池工事現場のあと古淵の寺社を巡りながらJR横浜線古淵駅まで歩きました。

境川・境川橋付近
境川木曽東調節池工事現場上流の境川。前方の橋は境川橋。


境川橋より境川上流を望む
境川橋より境川上流の眺めです。左岸側が東京都町田市、右岸側は神奈川県相模原市。この辺の境川は今でこそ直線化した広い川ですが、昔は少し上流では東西二本に分かれて流れていました。後掲の今昔マップを参照願います。


大日堂・相模原市中央区古淵
境川橋を渡り相模原市へ入りました。鹿島神社入口交差点を右折し古くからある道に入りました。初めに訪れたのは大日堂です。


大日堂案内板
相模原市・相模原市観光協会が立てた大日堂の案内板です。

このお堂は、もともとは南側の崖下にあったものを、江戸時代にこの地点に移したものと伝えられています。このお堂の由来については、地域の人々によって口々に唱えられてきた和讃(わさん)の中に伝えられています。これによると、南北朝時代にここで合戦があり、その戦死者を供養するためであることがうかがえます。この合戦とは北条時行と足利直義による建武2年(1335年)の「井出の沢(いでのさわ)の合戦」のことと考えられます。「井出の沢」とは、お堂の西側を流れていた小沢のことです。また、お堂の中の本尊は大日如来(だいにちにょらい)で、秘仏として信仰されています。  相模原市・相模原市観光協会
(案内板より)


大日堂の石仏
境内の得も言われぬ優しいお顔の仏様。一見馬頭観音像と思ったのですが・・刻まれた文字が判読できません。


鹿嶋神社・相模原市中央区古淵
鹿嶋神社・相模原市中央区古淵
次に訪れたのは鹿嶋神社です。


鹿嶋神社案内板
鹿嶋神社案内板です。

鹿嶋神社(かしまじんじゃ)
この神社はいつ創建されたかは不明ですが、新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉攻めのおり祈願のために建立した言い伝えがあり、また、淵辺義博(ふちべよしひろ)の子、義喬(よしたか)が建立した言い伝えもあります。
古文書によりますと、文禄2年(1593年)に奉再建鹿嶋大明神一社一宮御修復とあり、その後、慶安3年、寛延2年、文政2年に再建した記録があり、明治34年5月22日に焼失し、同36年に再建され現在に至っています。毎年5月22日を『焼日祭』と言って祈願しています。 境内の大ケヤキは千年を経ていると言われ、根元にある石は「カナメ石」と呼 ばれ、境川のほとりにあった「田の神」とも言われています。祭神は「武甕槌神(たけみかづちのみこと)」で本殿右は「香取神社」、大ケヤキの横は「稲荷神社」を祭っています。 遠い昔より村の鎮守様として守り今日に至っています。  相模原市・相模原市観光協会 

 (案内板より)


鹿嶋神社の鐘楼
境内の鐘楼です。明治維新を生き抜いたんですね。


鹿嶋神社境内社の稲荷神社
鹿嶋神社境内社の稲荷神社
鹿嶋神社境内社の稲荷神社です。


鹿嶋神社境内社稲荷神社前の地神塔
稲荷神社前の地神塔です。地神は土地の神、農業の神と言われています。左側面に「天下泰平 五穀成就」と刻まれ、右側面には「嘉永三」とあり今から170年ほど前の造立です。


鹿嶋神社前の桜
鹿嶋神社前、蔵のあるお屋敷の早咲き桜。今日は2月16日、今年は開花が早い!


鹿嶋神社前の道
鹿嶋神社前の道。江戸の昔から利用されてきた歴史ある道。


かわじま坂
境川右岸台地の起伏のある道を歩いています。相模原市が立てた地名標柱によると「かわじま坂」と言います。
「かわじま坂」 この辺りは昔島のような地形だったのでこの名があります。


古淵一丁目市民緑地
坂道を下ると段丘崖下の緑地帯に出ました。「古淵一丁目市民緑地」と言います。趣のある散歩にはぴったりの道です。緑地右側を境川が流れています。


龍像寺参道入口
古淵一丁目市民緑地を過ぎると、龍像寺坂に出ます。ここは龍像寺参道入口で山号寺号標が立っています。
途中ですが今回はここまでです。


大日堂、鹿嶋神社の位置です。(今昔マップon the webより)

明治39年測図の今昔マップです。大日堂、鹿嶋神社前の道は江戸時代からある古道と思われ、北へ向かうと龍像寺参道に至ります。
地図を北方向へ動かすと東西に分かれて流れる境川が表示されます。この辺の境川は今でこそ直線化した広い川ですが昔はこのように大きく蛇行し東西に分かれて流れていました。旧河道跡は今でも残っています。

其の723 勝源寺の青面金剛像・相模原市南区磯部勝坂

 前回「其の722」で珍しい庚申塔を取り上げました。今回は未だかつて見たこともない青色の青面金剛像の話です。

勝源寺参道・相模原市南区磯部勝坂
前回の庚申塔を見た後、近くの勝源寺(しょうげんじ)へ向かいました。曹洞宗 勝源寺参道です。
ここは相模原市南区磯部2111


勝源寺の六地蔵
山門をくぐり、参道右手の六地蔵です。


曹洞宗 勝源寺
勝源寺
階段を上ったところが本堂です。


勝源寺の聖観音像
これは本堂前の聖観音像です。台座にはあとで紹介するミニチュア像が置いてあります。後ろに青面金剛像の案内板が立っています。


勝源寺の大青面金剛王(六本庚申)
勝源寺の青面金剛像案内板
お目当ての青面金剛像は本堂内にご本尊・千手観世音菩薩と共に祀られていますが非公開で拝観できません。幸い本堂前に案内板が立っていました。

勝源寺の大青面金剛王(六本庚申)
青面金剛尊(しょうめんこんごうそん)は、仏法の守護神として知られる帝釈天の使者とも言われ、病魔・災難を除く神として、また、民間に盛行した「庚申信仰」の本尊として信仰されてきました。「当山に祀られている青面金剛像は、「六本庚申」又「千体庚申」ともよばれ、養蚕に効験のある庚申様として広く信仰を集めました。現在、お像脇に納められている焼物のミニチュア像も、往時は千体あったと伝えられています。
人々は、養蚕の始まる頃に参拝し、ミニチュアの像を借りて家に祀り、養蚕が終わるとお参りし、お像を納めました。
四月の庚申の日あたりに行われたお祭りには、露店が出され、大神楽が行われるなど、近隣はもちろん遠方からも大勢の人が参拝に訪れ、賑わいました。
ここ勝坂周辺には、庚申塔が数多く建てられており、六本庚申との深い関わりがあることがうかがわれます。

(案内板より)


勝源寺の青面金剛像
案内板にある青面金剛像です。
●名前の通り全身青色の像です。普段の水辺歩きで石造りの像は見慣れています。青色の像は初めて見せてもらいました。材質の案内がないのですが一般的な仏像と同じく木造と思われます。
●不動明王のように憤怒の相で火焔を背にしています。
●首飾りは髑髏でしょうか。
●持物は剣・ショケラ・鉾・宝輪・弓・矢と標準的。
●岩の上のふて腐れた表情の邪鬼は金剛に踏み付けられています。

養蚕の守り神としての青面金剛について以下、私なりに考えてみました。あくまでも個人的な感想です。

先日訪れた望地弁財天は養蚕の守護神として招かれました。水と財宝の神と伝えられる弁財天。弁財天の化身が蛇や龍、蛇は弁財天の遣いとも言われています。蚕の天敵はネズミ、その天敵はヘビや猫です。望地弁財天は頭上に宇賀神(人頭蛇身の福の神)を戴いていました。座間市の白髪弁財天はとぐろを巻いたヘビを社のシンボルとしています。弁財天を養蚕の守護神として祀るのは養蚕を知らない現代人にも分かりやすい話です。

勝源寺で弁財天ではなくきわめて珍しい青面金剛を養蚕の守護神としているのは何故だろう。ひょっとして勝源寺の青面金剛像にヘビが関わっているかも知れない・・・と愚考しました。そこで青面金剛像をじっくり観察した結果なんと10匹のヘビを見つけましたよ!(画像をクリックすると拡大します)

六本庚申とは六臂(腕が六本)の青面金剛像が由来ですが、剣とショケラをぶら下げた両手首に1匹ずつ。二の腕に1匹ずつの都合4匹。鉾・宝輪・弓・矢を持つその他の手首に1匹ずつで都合4匹。以上8匹のヘビが巻き付いています。一方足首を見ると左右に1匹ずつ。手足合計で10匹のヘビです。単なるヘビを象ったアクセサリーかもしれませんがこれが養蚕信仰に結び付いた所以かもしれないですね。それと青面金剛の衣に猫?か虎?も描かれています。これは強力な布陣です。ネズミはたじたじですね。(^σ^)


勝源寺の焼き物ミニチュア庚申塔像
これは焼き物のミニチュア像です。
人々は、養蚕の始まる頃に参拝し、ミニチュアの像を借りて家に祀り、養蚕が終わるとお参りし、お像を納めました。往時は千体あったと伝えられています。 (案内板より)


勝源寺の焼き物ミニチュア庚申塔像  勝源寺の焼き物ミニチュア庚申塔像
本堂前の聖観音像の台座に置かれたミニチュア像を見つけました。高さは20cmくらい。庚申塔のミニチュア版ですね。邪鬼を踏みつけそれぞれ武器を持ち日月も表現しています。こんな像は今までに一度も見たことがないです。


勝源寺の鐘楼
おしまいに鐘楼です。大晦日に除夜の鐘を撞いたことでしょう。


今回の探訪で鮮明なカラー写真で「青面金剛は青かった~」を実感し、初めてのミニチュア庚申塔と対面し満足感たっぷりで帰路につきました。



関連過去記事
「其の371 白髪弁財天社」


勝源寺の位置です。(地理院地図より)


次のページ