横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の426 旧国鉄蛇松線跡を歩いてきました・静岡県沼津市

 9月29日(金)晴れ、拙ブログ読者地元ティーさん推奨の旧国鉄蛇松線跡を歩いてきました。蛇松線は緑豊かな蛇松緑道として生まれ変わり、緑道を歩けば今でも昔の面影をしのぶことができます。

蛇松線・2120型タンク機関車
旧国鉄蛇松線にはかつてこんなSLが走っていました。
「2120型 タンク機関車 沼津港・沼津駅間」
(千本港町旧蛇松線沿線の案内板より)

蛇松緑道案内板
沼津市が立てた蛇松緑道の案内板です。蛇松線とは?そのあらましが書いてあります。クリックで拡大します。
明治20年、東海道本線建設の資材運搬のため貨物線として敷設。区間は狩野川河口右岸蛇松と沼津停車場設置場所。
明治21年から昭和49年までおもに石油、木材、魚を運ぶ貨物線として活躍。車社会の台頭により昭和49年廃止。
その歴史を伝えるため昭和57年、蛇松緑道として生まれ変わった。
(案内板より要約)

観音川を渡る蛇松線橋台跡?
JR沼津駅南口からスタートしました。引込線を見たかったのでなるべく東海道線の線路沿いを歩きました。駐輪場を過ぎその先の観音川子持川で橋台?とおぼしき跡を見つけました。蛇松線の引込線は観音川子持川を鉄橋で渡っていたと思われます。右手が沼津駅方向です。

城内橋より観音川上流を望む
城内橋から観音川子持川上流を見ました。突き当りは東海道本線です。左側の建物は沼津通運倉庫。

旧国鉄蛇松線跡・沼津通運倉庫
沼津駅南口から西へ通じている大通りから沼津通運倉庫を見ました。カーブした構内通路があり乗用車が駐車しています。右側の段差はプラットホームのように見えます。よく見ると奥に線路が見えます。

旧国鉄蛇松線跡・沼津通運倉庫
ズームアップしました。レールが残っています。蛇松線の明確な遺構を見つけました! 先ほど見た橋台の延長線上と思われます。

蛇松緑道起点(終点)
上記から大通り南側の蛇松緑道の起点(終点)が見えます。
木製の立派な蛇松緑道の看板が掲げてあります。

蛇松緑道
蛇松緑道内は雑多な木が植えてあります。ここは桜並木です。緑道は全般に大きく左カーブしています。

観音川
今日冒頭で見た観音川子持川下流です。幸橋を渡りました。観音川(子持川の下流部)河口は沼津港内港です。次回の沼津港の治水施設でも登場します。

蛇松緑道
緑道のど真ん中に植えられた大木。楠でしょうか?

蛇松緑道内「幸いの池」
蛇松緑道「幸いの池」です。細長い川のような池です。

蛇松緑道
温暖な地らしい南国の木が植えてあります。案内板によると緑道に植えられた樹種は120種類に上るそうです。

蛇松緑道・千本東町分岐点付近
緑道左手が芝生の広場まで来ました。この先で沼津港へ直進する道と分岐し、緑道は左カーブして狩野川の方へ向かいます。

蛇松緑道・千本東町分岐点
分岐点です。左へ歩を進めます。あとからまたここへ戻ります。

蛇松緑道(終点)起点のモニュメント
分岐点から250m位先の蛇松広場に到着しました。
蛇松線の車輪、信号機がモニュメントとして展示してあります。
この奥は狩野川右岸堤防です。ここが蛇松線の終点(起点)蛇松駅で当時はこの辺りにプラットホームがあったのでしょう。
ここは沼津市蛇松町です。蛇松広場の案内板に蛇松の由来が書いてありました。
その昔この地に蛇のようにくねった松がありその松を蛇松と呼ぶようになった。貨物線の起点がこの近くに建設されたのでこの線を蛇松線と称した。戦後住宅が増えたので町名も蛇松町と呼称するようになった。 (案内板より)

蛇松
蛇松です。(千本港町の旧国鉄蛇松線案内板写真より)

狩野川・蛇松線終点付近
狩野川右岸堤防に上りました。港大橋が見えます。海上輸送された資材をこの辺りの港から陸に揚げ蛇松線で沼津駅まで運んだのでしょう。それらしい雰囲気は残っていないですね。

蛇松緑道・千本東町分岐点
分岐点まで戻りました。沼津港へ向かう蛇松線跡です。なんとレールがそのまま残っています。

沼津港へ向かう蛇松線
沼津港へ向かう蛇松線
そのままたどって行きます。前方で県道159号線と交差しています。レール間隔はいわゆる狭軌です。

沼津港へ向かう蛇松線
県道を渡り佐政水産前で復活しました。前方は千本港町交差点です。
なお佐政水産前に冒頭の写真「2120型 タンク機関車」や「蛇松」の写真入り案内板があります。

沼津港へ向かう蛇松線
千本港町交差点前です。蛇松線のレールを見たのはこれが最後です。

沼津港へ向かう蛇松線・沼津みなと新鮮館前
信号を渡りレールの延長線上です。建物は沼津みなと新鮮館です。通路幅はちょうど蛇松線のような感じですね・・・。

蛇松線・沼津港沼津魚市場前
その先はプラットホーム状の沼津魚市場です。分岐した蛇松線はここまで入って来たのでしょう。直進すると狩野川右岸の巨大堤防に突き当たるのでここが終点です。現在ここでは魚のセリは行われず奥の沼津魚市場INO(イーノ)で取引をしているそうです。

沼津港内港・沼津魚市場前
沼津魚市場の西側は沼津港内港です。漁船が停泊しています。

沼津港内港・沼津魚市場INO(イーノ)と「びゅうお」
上記から西を見ると左側に沼津魚市場INO(イーノ)があり、その奥に巨大水門「びゅうお」が見えます。

旧国鉄蛇松線探訪記はここまでです。地元ティーさんには蛇松線の紹介ありがとうございました。次回は「びゅうお」ほか沼津港の治水施設について投稿いたします。

観音川子持川の鉄橋跡と思われる位置です。

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其の396 「軍都さがみはら探訪」・神奈川県相模原市

 6月4日(日)晴れ、相模原市立博物館主催の「軍都さがみはら探訪」に参加しJR横浜線矢部駅から淵野辺駅までその痕跡を巡りました。私の狙いはあわせて陸軍敷地境界杭を見つけることでした。幸い一本のみですが実現し、私的には収穫ありの探訪会でした。

軍都相模原の軍関連施設位置図
かつて相模原は軍都相模原と言われたように数多くの陸軍関連施設がありました。
相模原の軍関連施設の分布です。緑色は旧相模原町域、ピンク色が軍関連施設(相模原市史文化遺産編より)。
主な施設は相模陸軍造兵廠、陸軍兵器学校、相模原陸軍病院、陸軍通信学校、陸軍機甲整備学校、陸軍士官学校、臨時東京第三陸軍病院など。画像をクリックすると拡大します。

相模陸軍造兵廠跡の碑
JR横浜線矢部駅に集合し博物館学芸員さんの案内で探訪スタートです。駅近くの公園に設置の相模陸軍造兵廠跡の碑です。碑の裏面に詳細な沿革が刻まれています。

相模陸軍造兵廠への引込線跡
横浜線から相模陸軍造兵廠への引込線跡(柵の中)が残っていました。レールは見えなかったのですが当時相模陸軍造兵廠で生産した砲弾や火砲牽引車、時には戦車(97式戦車中戦車・チハ車)などを鉄道輸送したと思われます。相模陸軍造兵廠には2万人がその製造に従事していました。


今昔マップに表示されています。(今昔マップon the webより)
1944~1954年にセットしました。左側の昔マップを動かしてください。引込線の様子が分かります。

旧相模陸軍造兵廠・現米陸軍補給廠
旧相模陸軍造兵廠は、現在米陸軍補給廠として使われています。ブロック塀にU.S.Army Japanの警告看板が見えます。

陸軍兵器学校の敷地境界杭
旧相模陸軍造兵廠の道を挟んだ南隣は陸軍兵器学校でした。お目当ての陸軍敷地境界杭です。「陸軍用地」と刻んであります。陸軍兵器学校は昭和13年に東京小石川から移転しました。この杭は今から80年ほど前に陸軍敷地境界に打たれた杭です。

陸軍敷地境界杭・相模原市立博物館蔵
陸軍兵器学校の敷地境界杭は相模市立博物館に常設展示されています。こちらの杭は「陸軍」と刻まれています。
「其の192 陸軍の境界杭・旧陸軍士官学校周辺」より。

陸軍兵器学校弾薬庫跡
これは兵器学校北端の旧弾薬庫です。希少な陸軍施設跡です。現レンジフードメーカー富士工業の一画に残っています。

陸軍兵器学校正門跡付近
いちょう並木通り淵野辺一丁目交差点付近です。この辺りに陸軍兵器学校正門がありました。

陸軍工科兵器学校跡の碑
陸軍工科兵器学校跡の碑
上記付近、ヒマラヤスギ下の陸軍工科兵器学校跡の碑。当初は陸軍工科学校で昭和15年に陸軍兵器学校と改称されました。

探訪資料によると陸軍兵器学校には学生、軍属あわせ戦争末期には5,000人もの人がいたそうです。歩いてみても、当時の建物等はほとんど残っていません。跡地は麻布大学、防衛省装備研究所、民間企業の工場等に変わり、石碑等により当時の痕跡を窺い知るのみです。

陸軍敷地境界杭については2、3年前に相武台の陸軍士官学校周辺を探し回り「其の192」以下で発表しました。横須賀水道みち半原系統で見られる海軍の境界杭4種類は「其の188」にまとめました。

JR横浜線矢部駅の位置です。


其の380 与瀬神社の例大祭・相模原市緑区与瀬

 今回はいつもの水辺歩きから大きく脱線し、番外編です。与瀬神社例大祭最大の見どころ御神輿の急階段下りを見てきました。4月15日(土)晴れ、相模原市立博物館民俗調査会・与瀬神社祭礼見学会参加記録です。

慈眼寺参道から見た相模湖
慈眼寺参道から見た相模湖(昭和22年完成の相模ダムで堰き止めた人造湖)です。慈眼寺はJR中央本線相模湖駅から歩いてすぐのところです。

慈眼寺・相模原市緑区与瀬
前方の慈眼寺左側(西側)が与瀬神社参道です。

与瀬神社赤鳥居
与瀬神社参道の赤鳥居を潜ります。

与瀬神社・五十段の階段
その先の神門を潜ると今日の例大祭最大の見どころ急な階段の下に出て来ます。
階段は五十段あり、勾配が約40°の急な階段です。この急勾配を御神輿が下ります。

与瀬神社・五十段の階段
階段の上から見るとこんな感じです。おぉ怖っ!垂直に見えます。高さは一段が25cmとして12.5mあります。私は膝に不安があるのでスロープの女坂を上り下りしました。

与瀬神社参道のシャガ
女坂に群生するシャガの花。二輪草も咲いていました。

2017与瀬神社例大祭
急な階段の上が与瀬神社です。例大祭が始まる前の本殿前の様子です。12時から神事が執り行われ、その後に御神輿が急な階段を下ります。今年は神事の見学はあきらめ、階段下で御神輿の下りを待つことにしました。

与瀬神社内・幸の神(さいのかみ)
神事が始まる前に見学した本殿北側の幸の神(さいのかみ)。洞穴は江ノ島まで続いているとか。

与瀬神社内・幸の神(さいのかみ)案内板
幸の神の案内板です。ご利益は縁結び、安産、商売繁盛。

2017与瀬神社例大祭御神輿の急階段下り
13時ちょっと前に御神輿が下り始めました。

2017与瀬神社例大祭御神輿の急階段下り
2017与瀬神社例大祭御神輿の急階段下り
2017与瀬神社例大祭御神輿の階段下り
御神輿の掛け声は「わっしょい、わっしょい」ではなく「やょーきょー、やょーきょー」です。その訳は「やょきょ伝説」に由来します。スクラムを組み、大勢の人が下で支えています。見物人も思わず力が入ります。

2017与瀬神社例大祭御神輿の急階段下り
無事階段下に着きました。下り始めておよそ8分後です。御神輿の後ろに支えのロープが見えます。

2017与瀬神社例大祭御神輿
続いて神門を潜り抜けました。

2017与瀬神社例大祭御神輿
そして神門前の階段を下ります。ここはロープなしです。女坂を下った子供御神輿が先を行きます。

2017与瀬神社例大祭御神輿
中央高速に架かる橋を渡り、急階段を下る御神輿。

2017与瀬神社例大祭御神輿
ロープで支えています。

2017与瀬神社例大祭御神輿
横から見ました。花吹雪の中を下る御神輿。

2017与瀬神社例大祭御神輿
雪のように積もった花びらの中を甲州街道へ下って行きます。まだまだ続きますが今日の見学はここまでです。

慈眼寺参道の庚申塔
おしまいに慈眼寺参道の庚申塔です。主尊は青面金剛が一般的ですがお地蔵様です。割と古い形態の庚申塔かもしれません。造立年は不詳。

与瀬神社の位置です。

其の375 大井川の蓬莱橋を渡ってきました・静岡県島田市

 3月22日(水)晴れ、大井川に架かる世界一長い木造歩道橋・蓬莱橋を渡るため、静岡県島田市まで遠征しました。

蓬莱橋番小屋
大井川左岸蓬莱橋(ほうらいばし)のたもとにある蓬莱橋番小屋です。橋を渡る前にここで渡橋料金100円(子供は10円)を払います。蓬莱橋全長897.422mの案内柱が立っています。
ここは静岡県島田市南2−22−14。末尾に地図を載せました。

蓬莱橋・ギネスブック認定の碑
番小屋の傍らにはギネスブック認定の碑が建っています。
ギネスブック世界記録認定証書
世界一長い木造歩道橋
橋の長さ 897.422m  
橋の幅 2.700m
蓬莱橋は、1997年12月30日英国ギネス社より
「世界一長い木造歩道橋」として認定されました。


大井川蓬莱橋渡橋記念
渡橋料を払うと引き換えにこれ「大井川蓬莱橋渡橋記念」がもらえます。裏面の蓬莱橋土地改良区による蓬莱橋の由来書きに、
静岡藩藩主徳川家達が対岸の牧之原を訪れた際、茶畑を開拓する幕臣たちに「ここは蓬莱・宝の山だ。」と激励したことから。1879年(明治12年)1月13日完成。と書かれています。
蓬莱橋土地改良区? 土地改良区は農家の水利組合と認識しているのですが橋の管理が土地改良区とはなんでしょうかね。調べたところ蓬莱橋は農道だそうです。これで合点がいきました。

大井川蓬莱橋
橋のたもとから対岸を見ました。方角は南です。大井川は南流していると思い込んでいましたがこの辺りでは東流しています。従って北から南に向けて渡ります。

大井川蓬莱橋
西側から見ました。高水敷では橋脚も木造です。

大井川蓬莱橋
接近して別角度から。

大井川蓬莱橋
真下から見上げました。木造橋の構造が分かります。

大井川・蓬莱橋
低水路域に入りました。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と箱根馬子唄にも歌われた大井川。この程度なら楽に越せそうです。約1kmもある広い河道内に幾筋もの水路が走っています。

大井川蓬莱橋
その先、別の水路です。上流を望む。
江戸時代、東海道島田宿から対岸の金谷宿への渡しはここより上流の現在の島田市博物館辺りから右岸の新金谷駅付近のルートでした。川越人足が肩車や輦台でその任にあたり旅人が勝手に渡ることは厳しく禁じられていました。

大井川蓬莱橋
渡り始めて10分近く。対岸を望む。

大井川蓬莱橋
対岸近く最後の広くて深そうな流れです。上流を望む。江戸時代にこの流れではプロの川越人足でも難儀しそうです。帰りに島田市博物館へ寄ったのですが、大井川の渡しでは水深により異なる渡し賃が設定されていたそうです。

広重の東海道五十三次嶋田宿
広重の東海道五十三次 嶋田
(読売新聞 歌川広重東海道五十三次上巻より)
対岸の金谷宿へ渡る大名行列の川越の様子が描かれています。画像をクリックすると拡大します。

広重の東海道五十三次金谷宿
広重の東海道五十三次 金谷
(読売新聞 歌川広重東海道五十三次上巻より)
大井川を越え対岸の金谷宿へ到着した大名行列の一行。

大井川蓬莱橋際マムシ注意看板
右岸堤防下へ下り口の「まむし(毒へび)に注意」の看板。今の季節は心配ないですがもうじき出てくるでしょうね。いかにも棲んでいそうなところです。早く来て良かったです。

大井川蓬莱橋
右岸堤防下より蓬莱橋を望む。橋脚は鉄筋コンクリート製です。地元の人の話では地上部と同じ長さが地中に埋まっているそうです。昔は木製だったのが大雨のたびに流されたので20年位前に今の形になったそうです。

大井川蓬莱橋
右岸展望広場より蓬莱橋を望む。蓬莱橋のたもとに土産物屋があります。その裏の祠前の小道を上ると展望広場です。

大井川蓬莱橋
折り返し左岸の番小屋へ戻ります。眼前の木製の橋は真新しく改修してあります。橋の管理者である蓬莱橋土地改良区によるものでしょう。

さて、右手前方に富士山の絶景が望めるはずですがあいにく雲がかかってしまいました。予報は冬型の気圧配置だったので少々寒くともくっきり見えると踏んだのですが・・・。

東名高速富士川SAより富士山を望む
ここへ来る途中の往路、東名高速富士川SAから富士山を仰ぐ。午前中はこんな天気でした。相模原に住む者には憧れの富士山の絶景です。休憩して良かったですね・・・。(^σ^)

蓬莱橋の位置です。

其の372 旧国鉄西寒川駅跡を訪ねる・神奈川県寒川町

 前回で終えた目久尻川源流を訪ねるシリーズの一回目は相模川合流点(目久尻川河口)からスタートしました。JR相模線寒川駅から河口へ向かう途中、西寒川駅跡を見つけました。かつて相模線に支線があり今は廃線になっていることを初めて知り興味を持ちました。3月16日(木)晴れ、改めて探訪しました。

「旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡」の碑
八角広場に建てられた「旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡」の碑です。初めて碑を見た時は「えっ、こんなところに駅が?!」とびっくり。碑にはこんなことが刻まれています。

旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡の碑
ここ旧国鉄西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転ずるとその視界に工場群が迫る。そこは、かつて多くの仲間が営々と働いた相模海軍工廠(昭和20年 敷地704,000㎡)の跡地である。往時を偲べば、先人や友の姿が彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。第二次大戦後、工場立地に恵まれ、跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。いま台地に深く根差した縁に世界の平和を願い国土の安穏を祈る。
建立 相廠会及び協力企業  昭和63年春
  (碑文より)

碑文から戦時中は西寒川駅が海軍工廠で働く人たちの足として、また寒川町HPによると戦後は跡地が工業団地となり昭和35年工業団地で働く人たちのため旅客輸送を再開し(一日4往復)、昭和59年3月 西寒川支線廃止まで通勤客を運んでいたことが分かります。

八角広場の西寒川支線跡
碑の北側に線路が遺されています。広場内の案内板によると八角広場は旧国鉄西寒川駅跡地で西寒川支線跡地を利用して昭和60年から整備した一之宮緑道の南端になります。北東の端は寒川神社表参道一の鳥居付近まで、延長約900mの緑道です。

寒川町一之宮の工業団地
八角広場から見た東南方向の工業団地。

1927~1939(昭和2~14)年にセットした今昔マップです。(今昔マップon the webより)
西寒川支線は貨物線とあり、海軍工廠はまだなく桑畑でした。大きな地図は右欄サイドバーからリンクできます。検索窓に「寒川駅」と入力すると開きます。1944~1954(昭和19~29)年に切り替えると工場が見えます。

寒川町の一之宮緑道
西寒川支線をたどってみることにしました。

寒川町の一之宮緑道
沿道に早やくもコブシの白い花が咲いていました。

一之宮緑道・車輪のモニュメント
モニュメントとして車輪が置かれていました。一之宮公園丸太の広場付近。

寒川町の一之宮緑道
一之宮公園付近で線路が復活。桜が多いので花期が楽しみです。

一之宮緑道・車輪のモニュメント
線路が終わったところでまたモニュメント車輪です。

寒川町の一之宮緑道
両側がカツラ並木の緑道。カツラは高さ25mにもなる落葉高木で秋になると形の良いハート形の葉っぱが美しく紅葉します。低木はドウダンツツジ。四季折々色彩の変化を楽しめそうです。

寒川町の一之宮緑道ゲート広場
一之宮緑道北東の終点(起点)県道47号線沿いゲート広場の道標。

西寒川支線跡
県道47号線を渡ると線路跡敷地が残っています。

西寒川支線跡
線路敷地右側の小道を進むとJR相模線へ出てきます。相模線のこの辺りにポイントがあったのでしょうか? 寒川駅は500mほど先にあります。
今回の廃線路探訪は短いうえに整備された緑道だったので楽な歩きでした。あっという間に終了です。

寒川神社表参道一の鳥居
県道47号線沿いゲート広場から北方を見ました。寒川神社の表参道一の鳥居です。ここから続く寒川神社の森は神奈川の美林50選に選定されています。表参道から別の目的地へ向かったので次回発表します。

八角広場の位置です。


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