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横浜水道みちを行く

水道みち、用水路、河川など水辺を歩いております。

其の545 亀島川の防潮水門と排水機場・中央区新川2丁目

 霊岸島水位観測所を訪ねたさい、ついでに亀島川の治水施設も見てきました。あれこれ感想を交えて記しておきます。

亀島川
地下鉄日比谷線八丁堀駅から亀島川沿いを下りました。これは高橋から見た亀島川下流方向です。広い川で、川と言うより運河ですね。下流の南高橋のすぐ先に水門が見えます。


亀島川水門
南高橋より亀島川下流を望む。亀島川が隅田川に合流する地点に設置された亀島川水門です。河口にある水門はたいてい本川からの逆流防止と相場は決まっているのですが、ここの場合はどうでしょう。


亀島川水門案内板
橋のたもとに東京都江東治水事務所の案内板が立っていました。親切ですね。台風時の高潮進入から地域を守るための水門で、大地震発生時は直ちにゲートを閉鎖し津波に備えるそうです。
施設名:亀島川水門
型式:鋼製単葉ローラーゲート
有効幅:15m×2連  門扉高さ:8m
完成:昭和44(1969)年3月



亀島川水門・排水機場
水門左側には排水機場も設置されています。高潮でゲートを閉鎖し外水(隅田川)を阻止しても、高潮が発生するようなときは一帯が大雨で内水(亀島川)の水位が上がるのでポンプで排水する必要があります。


亀島川水門・排水機場
亀島川水門・排水機場
下流側から見た亀島川水門と排水機場。興味深いことに亀島川上流端(日本橋川分岐点)にも防潮水門があります。あとで見に行きます。


霊岸島水位観測所・中央区新川2丁目
上記から下流を見ると霊岸島水位観測所があります。施設名の由来になった霊岸島ってどこにあるんでしょうかね・・・。


角田川右岸テラス護岸・新川2丁目
霊岸島水位観測所を見学したあとは、新川2丁目、隅田川右岸のテラス護岸を上流へ歩きました。左側堤防の上の標高は6m位あり、伊勢湾台風クラスの高潮(A.P.+5.1m)に十分耐えられそうです。

今歩いている隅田川と亀島川、日本橋川に囲まれた島のような地域(現在の新川1,2丁目)を昔は霊岸島と言っていました。


隅田川・永代橋とスカイツリー
塗装工事中の永代橋の向こう側にスカイツリーが見えました。


土木学会第1回選奨土木遺産
永代橋は清洲橋とワンセットで土木学会第1回選奨土木遺産に選定されています。


日本橋川河口
永代橋北側に日本橋川河口が見えます。白い橋は豊海橋です。


豊海橋より日本橋川上流を望む
日本橋川河口に架かる豊海橋より日本橋川上流を望む。豊海橋は現在改修工事中で架設人道橋から撮影しました。亀島川水門より700mほど上流にありますが、こちらには防潮水門がありません。なぜでしょう。上流の橋は湊橋です。


湊橋より日本橋川下流を望む
湊橋より日本橋川下流を望む。何やら工事をしています。案内看板によると日本橋川防潮堤耐震補強工事とありました。防潮堤護岸の高さを亀島川と比べるとこちらの方が高く感じます。


日本橋川の防潮堤
右岸の陸側が駐車場になっていたので防潮堤を撮りました。ちょうど工事中のクレーンの前です。防潮堤高さは2m近くあります。ということは道路面と水面は同じくらいでしょうか。


亀島川の日本橋水門
亀島川は湊橋上流右岸で日本橋川から直角に分岐しています。自然の川でこんなことは有り得ず、両川は江戸の昔に掘られた運河と言うことが分りますね。こんな時は今昔マップが強力な味方になります。
亀島川に架かる霊岸橋から見た日本橋水門です。その役割は亀島川水門と同じです。隅田川から日本橋川を遡って押し寄せる高潮(津波)から内水(亀島川)側を守るためです。

ここで豊海橋の上で感じた疑問に対する答えです。同じ隅田川に注ぐ日本橋川と亀島川。距離は700mほどしか離れていません。なぜ片方にだけ防潮水門があるのでしょう?
答えは東京都江東治水事務所HPに記述があります。防潮堤整備の違いです。整備計画の95%が完成済だそうです。

我が国史上最大の高潮被害をもたらした昭和34年9月の伊勢湾台風級の高潮(A.P.+5.1m)に対応できるよう計画し、整備を進めています。隅田川、中川、旧江戸川などの主要な河川については防潮堤等が概成しており、現在は妙見島などで整備を進めています。 (防潮堤・護岸は、計画延長168kmに対して、平成27年度末までに159.2km、95%が完成) 
(東京都江東治水事務所HPより)

今日は、結果的に知らなかったせいもあり意識しないまま霊岸島を一周してしまいました。(^σ^) 
ここは地下鉄茅場町駅のすぐ近くです。

この辺は水門、樋門、閘門などがいっぱいあり私的には大変面白そうなところです。また来たいですね・・・。


本編を書きながら沼津の「びゅうお」を思い浮かべました。沼津港外港と内港の境に設置され津波や高潮から市街地を守る日本最大級の施設です。2017年に訪れました。よろしければどうぞ。
「其の427 沼津港の大形展望水門を訪ねる」 (2017.10投稿)


亀島川水門の位置(中央十字線)です。


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其の544 霊岸島水位観測所を訪ねる・中央区新川2丁目

 1月19日(土)、日本水準原点を見学したあと霊岸島水位観測所を訪ねました。日本水準原点(我が国の土地の標高を測定する基準点)の基になった東京湾平均海面は明治時代にここで測定されました。

霊岸島水位観測所・中央区新川2丁目
八丁堀駅から亀島川沿いに下流へ歩きました。隅田川合流点の霊岸島水位観測所です。


霊岸島水位観測所・中央区新川2丁目
隅田川から見るとこんな感じです。手前のポール(現在の水位観測所の約36m上流にある)は、明治6年(1873年)最初に観測所が設置された位置です。ポールの右側階段上に国土交通省の案内板が立っています。


霊岸島水位観測所・中央区新川2丁目
近づくと目盛りが刻んであります。海面1.6mから上は6.0mまで読み取れます。この目盛りは只今現在の海面1.6mから推測するとA.P. (Arakawa Peil)で示していると思います。

案内板によると新しい観測所の3角形のフレームは、土木や建築の設計図などに高さを表す記号として用いられる▽をイメージし、その下端部は「A.P.0mを指す」そうです。

あれっ、なんか変ですね・・・写真をじっくり見ても▽の下端部がA.P.0mとは到底思えないですね。下のイメージ図のようにT.P.0m=A.P.+1.1344mの関係なので「T.P.0mを指す」の方が合っていると思うのですが・・・。


霊岸島水位観測所・中央区新川2丁目
階段上から見た霊岸島水位観測所。管理橋が架かっています。


霊岸島水位観測所と日本水準原点の関係図
階段上の案内板に載っている霊岸島水位観測所と日本水準原点の関係図です。案内板に詳しい解説がありますが、この図が一番適格で解りやすいと思います。クリックすると拡大します。


霊岸島水位観測所案内板  霊岸島水位観測所案内板
国土交通省荒川下流河川事務所が立てた案内板の一部です。参考までに要点を抜粋して記します。

① 霊岸島水位観測所の零位は、A.P.0m(エーピーゼロ、A.P.はArakawa Peilの略、Peilはオランダ語で「基準」あるいは「標準」の意)と呼ばれるようになりました。
② 平均海面を算出するために霊岸島水位観測所で明治6年(1873年)6月から明治12年(1879年)12月の間、4ヶ月間の欠測を除き6年3ヶ月の毎日の満潮位と干潮位を測定しその平均値を求め、さらにその平均値を算出したのです。そのときの値が霊岸島水位標の読み値で1.1344mでした。これを東京湾平均海面すなわちT.P.0mとし全国の高さの基準として定めたのです。
③ その後の明治24年(1891年)5月に東京都千代田区永田町に「日本水準原点」が設置され、このとき霊岸島水位観測所から原点までの水準測量を行い、日本水準原点の高さ24.5000mを基準点としたのです。しかしこの値は、大正12年(1923年)に起きた関東大震災の影響により昭和3年(1928年)に24.4140mに改訂され現在に至っています。
④ その後の東京湾の埋立てや隅田川の河川水の影響があり、水準原点の検証をするための観測所としては、理想的な位置とは言えなくなり、現在では神奈川県三浦半島油壺の観測所にその機能が移されています。
⑤ 現在の霊岸島水位観測所は、荒川水系の工事実施基本計画や改修計画の策定及び改訂のための基礎データの観測を続けていますが、隅田川のテラス護岸の施工に伴い平成6年(1994年)5月に元の位置から約36m下流に観測所を移設しました。


③は前回日本水準原点見学で学んだようにその後改正されました。
平成23年(2011年)3月11日の東北地方太平洋沖地震による地殻変動に伴い24mm沈下したため、新たに24.3900mに改正。

きょうは、日本水準原点と霊岸島水位観測所をひとり見学しました。Arakawa Peilはこれから荒川水系の河川を歩く時に役立つと思います。


霊岸島水位観測所の位置です。


其の543 日本水準原点を訪ねる・千代田区永田町1丁目1番

 1月19日(土)、日本水準原点を見学し地理の勉強をしてきました。見学と言ってもただ表から眺めるだけです。どのようなところか以前から一度訪ねようと思っていました。

日本水準原点標庫
日本水準原点標庫。日本水準原点はこの中に納めてあります。

国会議事堂
当日は地下鉄丸ノ内線国会議事堂前駅下車。議事堂前を通りました。国会は閉会中ですが、なぜかパトカーやお巡りさんが警戒中でしたね。


国会議事堂前の通り
議事堂を背にお堀の方へ下って行きます。日本水準原点は左側の森の中にあります。所在地は千代田区永田町1丁目1番 国会前庭洋式庭園内。


日本水準原点標庫
日本水準原点を納めてある建物「日本水準原点標庫」です。東京都教育委員会の案内板によると東京都指定有形文化財(建造物)になっております。

国土地理院の案内板に次のような記述あり。抜粋します。
① 日本水準原点はわが国の土地の標高を測定する基準となる点である。
② 明治24年(1891年)5月にこの場所に設置した。
③ 日本水準原点の位置はこの建物の中にある台石に取り付けた水晶板の目盛りの零線の中心である。
④ その標高は明治6年から12年までの東京湾潮位観測による平均海面から測定したもので、当時24.500mと定めた。
⑤ 大正12年(1923年)関東地震による地殻変動に伴いその標高を24.4140mに改正。
⑥ 平成23年(2011年)3月11日の東北地方太平洋沖地震による地殻変動に伴い24mm沈下したため、新たに24.3900mに改正。


日本水準原点標庫
見上げると右書きで16弁の菊花紋章付き「大日本帝国」。
ローマ風神殿建築に倣った高さ4.3m石造りの建物です。

日本水準原点標庫
右書きの「水準原点」銘板と菊花紋章入り扉。下に蝶番が見えます。バタンと手前に開くと中に水晶板が有るはずです。


電子基準点・千代田区永田町1丁目1番
こちらは隣接する「電子基準点」です。

電子基準点案内板
国土地理院「電子基準点」案内板です。
わが国や米国の衛星システムの信号を常時受信し地球上の正確な三次元位置を計測モニタリングする施設だそうです。難しい・・・。


永田町1丁目1番から東方の眺め
見学を終え地下鉄日比谷線日比谷駅まで歩きました。
日本水準原点がある台地からの眺めです。


東京都指定旧跡 江戸の名水「桜の井」
東京都指定旧跡 江戸の名水「桜の井」前を通りました。
案内板によるとここは加藤清正邸跡で清正が掘ったと伝えられています。


桜田堀と桜田門
桜田堀と桜田門です。いつも通り水辺を歩きましたよ。(^σ^)


日比谷公園心字池
日比谷公園内心字池です。雪国でもないのに雪吊りで松を保護しています。このあと霊岸島水位観測所を見学するため日比谷駅から日比谷線で八丁堀駅へ向かいました。


日本水準原点の位置です。水準点記号・電子基準点記号及び標高24.4がしっかり表示されています。


其の542 柏尾通り大山道を歩く④・長後駅~用田辻

 柏尾通り大山道歩きの二日目は、1月26日(土)、いずみ中央駅から用田辻まで歩きました。今回はその日午後の部、長後駅~用田辻間の記録です。

仙元塚の碑「仙元大菩薩」
長後駅北側の長後街道に入り、踏切を渡り西へ進みます。これは最初の交差点(長後駅入口信号)角にある仙元塚(浅間塚=富士塚)の碑です。「仙元大菩薩」と刻まれています。裏面に「慶応二丙寅」とあり1866年に仙元塚と共に築造されました。この地に高さ三丈(約9m)、広さ二十五坪(約83㎡)の塚を築きその頂に碑が置かれました。その後、道路拡幅のため縮小されました。天保の大飢饉の頃から盛んになった富士山信仰を伝えるものです。


長後市民センターの石造物
柏尾通り大山道は長後街道をそのまま西進します。次に訪れたのが長後市民センターです。こちらの庭には周辺から集めた石仏が多数並べてあります。その一部を取り上げます。左が庚申塔、右は不動明王坐像です。


長後市民センター・順礼供養塔
これは順礼供養塔です。右側面に「左大山道 右八王子 ほしのや道」とあり道標を兼ねています。正面には「月山 秩父 湯殿山 西国百 羽黒山 坂東」の文字が。享和元辛酉年(1801年)造立。


長後市民センターの庚申塔
私が好きな庚申塔です。前回三柱神社の庚申塔を紹介しましたが、こちらも教科書通りの配役総出演ですね。三柱神社では出演がなかったショケラさんも出ています。しかし鶏さんがいないですね。お猿さんはそれぞれがくつろいだ格好をしています。
天明二壬寅十一月(1782年)造立。道標を兼ねています。


柏尾通り大山道・藤沢市下土棚
さらに長後街道を西へ向かいます。これは途中で南側に逸れた大山道です。前方に引地川が流れているので下り坂です。午前中の青空に雪雲が出てきましたよ。坂を下ると工事中の下土棚遊水地D池に出ます。田んぼの中の農道のような大山道を通りD池を横断、引地川に架かる人道橋を渡り、長後街道に戻りました。D池の中を大山道が通っていたとは驚きました。D池は元が田んぼで遊水地工事完了と共に大山道は消滅すると思います。


柏尾通り大山道・藤沢市下土棚諏訪ノ棚
引地川を渡ると逆に上り坂となります。長後街道を進んでいくと境川西の高鎌橋交差点で分かれた県道22号線に合流します。合流直前、北側へ逸れる大山道に入りました。大山道を西へ向かうFW御一行様。ここは藤沢市下土棚諏訪ノ棚です。


山谷バス停付近の石造物
その先で県道22号線に入りました。山谷バス停付近路傍の石像物です。ここは、昨年6月に訪ね「其の493」で発表したので以下引用します。
左から庚申塔。造立は万延元年(1860年)、道標を兼ねています。右端も庚申塔です。造立は不明。道標を兼ねています。
中央はちょっと見庚申塔ですが地神塔です。造立は天保7年(1836年)。地神塔のほとんどは文字塔です。像が彫られたものは大変珍しいそうです。


柏尾通り大山道・葛原バス停前
その先、東山田交差点で県道22号線はバイパスと旧道に分かれます。柏尾通り大山道は左の旧道に入ります。葛原バス停前を通過。雲行きが変です。


柏尾通り大山道・道祖神
道端の道祖神です。ごろ石に混じって割れた石臼も置かれています。


豊受大神・藤沢市菖蒲沢
豊受大神・藤沢市菖蒲沢
宮の腰交差点近くの豊受大神に参拝しました。境内には立派な神楽殿、山車の保管庫と思われる建物がありました。


御所見塚の碑
その先道路沿いの工事現場の塀の中に石碑が納めてありアクリル板で保護してあります。傍らの御所見塚の案内板によるとこの石碑が御所見塚に立っていた碑のようです。


柏尾通り大山道
工場や事業所が立ち並ぶ柏尾通り大山道(県道22号線旧道)。


御所見中学前県道22号線沿いの庚申塔
これは県道22号線と43号線合流点、横断歩道橋下の庚申塔です。県道際の意外なところに立っています。判読しづらいですが、当日配布資料によると右側面に「従是ふじさわ 江のしまみち 相州高座郡用田村」左側面に「元禄十五年 従是かしをとつかへのみち」と刻まれています。


用田辻の大山道道標
用田辻の大山不動明王坐像を載せた道標です。「右大山みち」と大きく刻まれています。用田辻は南北に走る中原街道と東西に走る柏尾通り大山みちとの交差点です。

用田辻の大山道道標・不動明王坐像
怖いお顔の大山不動明王坐像。

柏尾通り大山道歩きの二日目はここで終え近くの用田バス停から海老名駅行きに乗車しました。途中粉雪が舞うシーンもありましたが、FWは無事終了しました。

今回最初に訪れた仙元塚の位置(中央十字線)です。


其の541 柏尾通り大山道を歩く③・いずみ中央駅~長後駅

 戸塚区柏尾の大山不動堂を発ち大山道を歩いています。その二日目は1月26日(土)、いずみ中央駅をスタートし藤沢市の用田辻まで歩きました。2回に分けて発表します。

大山道の庚申塔
いずみ中央駅から東西に走る県道22号線(横浜伊勢原線)に入りました。駅近くの県道沿いに立つ庚申塔です。左側は文字塔で、当日配布資料によると文化12年(1815年)造立とあります。右側は主尊が阿弥陀像です。


持田初治郎君頌徳之碑
県道南側、中和田公園の「持田初治郎君頌徳之碑」です。同氏(持田製糸工場社主)が寄付した土地をのちに中和田公園にしたそうです。


県道22号線
県道22号線から大山が見えましたよ。22号線は大山がそびえる伊勢原市へ向かっています。今日は、ほぼ県道に沿って西へ歩いて行きます。


大山道・泉区上飯田町
広くて直線的な県道から左に逸れ大山道に入りました。このように所どころ旧道が残っています。曲がりくねった昔の道に直線的な県道を通したからですね。蛇行する川を水が流れやすい直線的な広くて深い川にする河川改修と似ています。私はいつものようにFW一行の最後尾をついて行きます。

大山道沿いの庚申塔
大山道沿いの空き地に庚申塔が祀ってありました。

大山道沿いの庚申塔
空き地の奥まったところにあるのでズームインしました。主尊はお地蔵様でしょうかね。お猿さんは主尊と同じくらい大き目です。


大山道・泉区上飯田町
大山道は坂道を下りますが、手前を左折し三柱神社へ寄り道します。


三柱神社
南仲通り沿いの三柱神社です。境内の石仏を見学します。

三柱神社の庚申塔
文字塔の庚申塔です。道標を兼ねており左側面に「此の方大山道」、右側面には「文久元年酉、此の方かしお道」(1861年)などと刻まれています。大山道沿いに立っていたものをこちらに移設したと思われます。

三柱神社の庚申塔
隣り合わせの庚申塔です。「奉納庚申供養 享保七年寅 十一月吉日」(1722年)と刻まれています。
主尊は武器を手にした六臂の青面金剛、日輪月輪、鶏二羽、青面金剛足元の邪鬼。左右のお猿さんは中央のお猿さんの方を向いています。庚申塔の配役がオールスター出演です。あとショケラがあればパーフェクトですね。(^σ^)


大山道より富士山と大山を望む
三柱神社から大山道に戻り坂道を下ると富士山と大山が同一視野に!贅沢な眺望です。晴れていてよかったです~。大山道は目の前の道を右折します。


高鎌橋より境川下流を望む
大山道は県道22号線を越え北へ進み、コの字型に再び22号線へ戻ってくるので、県道へ入りそのまま西進し境川を渡ります。高鎌橋より境川下流を望む。下流に何か見えますよ!

境川のゴム堰・境川高飯堰
ズームインすると緑色の管理橋の下左岸にぺしゃんこに萎んだゴム堰や取水口ゲートが見えました。このゴム堰は農業用取水堰「境川高飯堰」と言います。お休み中のゴム堰を見られて良かったです~。(^σ^)/
稼働中のゴム堰の様子は「其の234」で発表しました。


大山道・藤沢市高倉
境川を渡り藤沢市に入りました。高鎌橋交差点で県道22号線は長後市街地を避けるように南に向きを変え離れて行きます。
FW一行は交差点を直進し長後街道に入りました。この写真は長後街道北側に残る大山道です。それらしい雰囲気が残っていますね。


大山道・藤沢市高倉
藤沢湘南台病院前、長後街道の緩い上り坂を上って行きます。この辺りは相模原台地の南端に近いところになります。


大山道の庚申堂・藤沢市高倉
その先で大山道は長後街道南側に逸れて行きます。大山道沿いの庚申堂です。お堂は享保年間に立てられた庚申塔を保存するために、大正時代に建てられました。

庚申堂の庚申塔
お堂の中に祀られた庚申塔です。

庚申堂案内板
庚申堂案内板です。画像クリックで拡大します。

大山道・藤沢市高倉
その先、柏尾通り大山道を歩くFW御一行様。私はあい変らず最後尾をついて行きます。


八王子道
その先で八王子道に突き当たりました。交差点から見た八王子方面です。

八王子道・大山道
交差点から南を見ました。藤沢に通じる藤沢道です。長後は交通の要所だったんですね。ここから少し進み右折すると小田急江ノ島線長後駅に出ます。駅前で昼食をとります。

午後の部は次回「其の542 柏尾通り大山道を歩く④・長後駅~用田辻」に続きます。

今回のスタート、いずみ中央駅の位置(中央十字線)です。


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