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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の898 尼寺原台地寺社巡り・神奈川県厚木市戸室~恩名

 子之神水神宮の湧水を見学した後、台地上の寺社を巡りながら小田急線本厚木駅まで歩きました。(画像はクリックすると拡大します)


龍興山 浄雲寺
子之神水神宮の池の水は尼寺原台地崖線から湧き出す崖線系の湧水でした。崖を上り前回の子之神社から南の方へ歩いて行くと山号寺号標が立っています。曹洞宗の寺院 龍興山 浄雲寺参道入口です。「元和九年創設 甲州谷村長生寺末」とあり1623年創設の古い寺院です。ここは厚木市戸室3-14-1


浄雲寺の六地蔵
寺号標の奥には六地蔵が祀ってあります。


浄雲寺参道の小坊主さん像
山門前では小坊主さんが参道を掃き清めています。


浄雲寺山門
山門前です。山号寺号標に「龍興山 浄雲禅寺」


浄雲寺の観音菩薩像
山門をくぐった左側の観音様。


浄雲寺のカルミア
静寂な境内庭園に白い花が真っ盛りでした。調べてみると米国原産の常緑低木カルミアに似ています。


浄雲寺本堂
龍興山浄雲寺本堂です。


浄雲寺の摩尼車(まにぐるま)
本堂前の摩尼車(まにぐるま)。一回まわせば般若心経一回読んだ功徳になるそうです。有難いですね。


浄雲寺の三界万霊等
これは墓地の一角の三界万霊等です。


浄雲寺の三界万霊等
てっぺんの石塔に三界万霊等と刻まれています。「塔」ではなく「等」。頭頂部には如意輪観音像が目立ちます。平塚の海宝寺にもこのような塔があり庚申塔を見つけましたがこちらにはなかったですね。


三嶋神社・厚木市恩名
三嶋神社・厚木市恩名
次に訪れたのは厚木市恩名3-9-6、尼寺原台地中腹に鎮座する三嶋神社です。
御祭神 積羽八重事代主命 武御名方命 大山咋命


三嶋神社の石造物
社殿脇の石造物。双体道祖神や五輪塔が祀ってあります。



三嶋神社・厚木市恩名
社殿から急階段を下りました。境内広場より見上げる。


三嶋神社境内の大イチョウ
境内の大イチョウ。イチョウの根元には石が置かれています。
残念ながら力石らしい雰囲気のある石はなかったですね。


三嶋神社参道鳥居
参道入口の鳥居です。台地から下ったので参拝順が逆になりました。


興福寺・厚木市恩名
おしまいに曹洞宗の寺院 興福寺を訪ねました。


興福寺本堂・厚木市恩名
興福寺本堂です。ここは厚木市恩名3-9-19


興福寺の六地蔵
興福寺の子育地蔵尊
山門付近の六地蔵とその隣には赤ちゃんを抱いたお地蔵様が祀ってあります。子授け、安産、成長を祈願する子育地蔵さんですね。

この後は近くの本厚木駅へ向かいました。次回は埼玉県白岡市の伏越探訪記を予定しています。

最初に訪ねた浄雲寺の位置です。(地理院地図より)

浄雲寺地下を南北に走る青色破線は西部用水(相模川右岸幹線用水路)の隧道(水路トンネル)です。


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其の897 子之神水神宮湧水を訪ねる・神奈川県厚木市戸室

 読者の地元ティーさんお勧めの子之神水神宮を訪ねました。

厚木市戸室 水神宮洗場前
小田急線本厚木駅からバスで厚木市戸室二丁目にやって来ました。通り沿いに水神宮洗場があります。


厚木市戸室
水神宮洗場のすぐ先に左側の台地上へ通じる坂道があります。


厚木市戸室二丁目、四丁目
左折してその坂道に入りました。前方は崖線の森です。


子之神水神宮
左折してすぐの所、左手に小さな池があり、記念碑や地名標柱が立っています。記念碑や地名標柱に「子之神水神宮」。


子之神水神宮の碑
池の畔に立つ「子之神水神宮の碑」
民の生活用水としてこの地に池を掘り水神宮を祀り古くから水神様と親しまれ今日に至る この記念碑は子之神社再建三百八十年祭の特別奉替金に依り建立す 昭和六十三年十月吉日  (碑文より)


子之神水神宮の地名標柱
厚木市が立てた子之神水神宮の地名標柱
子之神水神宮は縄文時代からの住民の水源とも言われている古い水源で、地元住民の生活用水として、また戸室地区、厚木町の水田用水としても用いられ今も水がこんこんと湧き出ている。  (地名標柱より)


子之神水神宮
池の様子です。台地側の池の中に石祠が鎮座しています。添付の地理院地図を参照するとここは台地の崖下に位置しています。子之神水神宮は崖線系の湧水です。


子之神水神宮
記念碑に「池を掘り水神宮を祀り」とあるのでこの石祠が子之神水神宮を指していると思います。


子之神水神宮の池
下流側です。周りはフェンスで囲ってあります。湧き出た清水は右手の水路から冒頭写真の水神宮洗場へ流れて行きます。


水神宮洗場
水神宮洗場の中を覗くと塀の中から清水が絶えることなく流れ込んでいます。


厚木市戸室 水神宮洗場前
水神宮洗場から見たバス通り南方向です。戸室神社下バス停前です。右側の水神宮洗場の桝から道路を横断した清水の流れはバス通りに沿って南に向かっています。恩曽川経由最後は相模川に合流していると思います。


厚木市戸室の坂道
子之神水神宮湧水前の坂道を上り台地上に鎮座する子之神社を訪ねました。


子之神社参道
坂道途中右側の参道入口に社号標「鎮守 子之神社」。右側の階段を上ります。


子之神社参道の急階段
急階段を上ると鳥居です。


子之神社
鳥居をくぐると神域に入ります。境内広場正面の子之神社社殿です。


子之神社の摂社・御嶽神社
社殿隣の摂社 御嶽社です。


子之神社の摂社・石祠
その隣の石祠。稲荷社でしょうか。


子之神社の石造物
社殿右側の石造物と昭和三年建立の記念碑。
本来、子ノ神社は現在地の下段にあったが大正12年(1923年)の関東大震災で壊滅的被害を受けた。農地寄進、寄付金、労力奉仕などにより再建。(碑文より要旨)


子之神社の双体道祖神
石造物の中に上半分が欠けた双体道祖神が祀ってありました。

今回はここまでです。この後寺社を訪ねながら本厚木駅まで歩きました。次回に続きます。

子之神水神宮の位置です。(地理院地図より)



其の896 須賀漁港周辺の石仏を訪ねる・神奈川県平塚市

 海宝寺の石仏を見学したあと周辺の石仏などを探訪しました。
(掲載画像はクリックすると拡大します)

港稲荷神社・平塚市須賀漁港
須賀港周囲堤防の一角に鎮座する港稲荷神社です。玉垣に有名な河野談話を発表した人の名前が見えます。日本国民の名誉のため撤回談話を発表してもらいたいですね。


港稲荷神社の力石
境内で石仏に出会うことはなかったのですが鳥居のすぐそばで力石を発見しましたよ!


港稲荷神社の力石
刻字があるので奉納された力石です。
弐拾四?目 大正四年五月吉日 大庭定吉 五十二才
寸法を測ると55cm×37cmありました。


港稲荷神社の位置はここです。(地理院地図より)



正一位稲荷社
平塚市札場町・正一位稲荷社
次に訪ねたのは札場町の正一位稲荷社です。


正一位稲荷社の石仏
庚申塔と道祖神。庚申塔は上部に日輪月輪を刻む文字塔。


正一位稲荷社の双体道祖神
双体道祖神です。さらに次の目的地へ向かいます。


平塚市札場町・路傍の力石?
なんじゃこれは!札場町の道端にゴロンと卵形の石が置かれています。


平塚市札場町・路傍の力石?
寸法は先ほどの港稲荷神社の力石より大きめです。形状から力石と思うのですが・・・なぜここに置かれているのか?本日一番の謎だぎゃ~。


路傍の祠・平塚市札場町
札場町26、路傍の赤鳥居と小祠。


路傍の祠の中は道祖神・平塚市札場町
祠の中は稲荷神かなと思ったら道祖神が祀ってありました。


妙徳稲荷のたぶのき
こちらは札場町39-18 妙徳稲荷の平塚市保存樹木「たぶのき」です。石仏や力石には会えず。


正一位台町稲荷大明神
札場町15-20 正一位台町稲荷大明神です。


正一位台町稲荷大明神境内の道祖神
社殿右側の小祠に祀られた道祖神です。この辺りの道祖神は文字塔が多いですね。


正一位台町稲荷大明神境内の石仏
社殿左側の祠には如意輪観音、庚申塔が祀られています。
案内板によると如意輪観音は寛政十一年三月(1799年)造立


正一位台町稲荷大明神境内の庚申塔
如意輪観音隣の庚申塔です。案内板によると
左側の庚申塔は貞享三年丙寅十二月吉日(1686年)造立
四臂の青面金剛像に三猿。
右側の庚申塔は享保九年甲辰四月吉日(1724年)造立
六臂の青面金剛像で上部に日輪月輪、下部に三猿。


  乗蓮寺の石造り仁王像  乗蓮寺の石造り仁王像
すぐ近くの乗蓮寺山門前の石造り仁王像です。仁王様にあやかって足腰が丈夫でありたいと願い草鞋が奉納されています。


正一位稲荷山神社・平塚市高浜台
高浜台21-21 正一位稲荷山神社です。


正一位稲荷山神社の石仏
左端と右端が庚申塔です。「庚申供養塔」と刻まれています。
中央は「不動明王」と文字が刻まれています。


阿弥陀仏石造・平塚市高浜台
高浜台のお阿弥陀様の名前で親しまれている阿弥陀仏石像。
平塚市博物館発行「平塚の石仏」によると、像高1m強、台座を含めた高さは436cm。台座に「海上安全」と刻まれ海の方を向いて立つ。現地案内板には海上安全願いや先祖供養の石仏として現在も高い信仰を受けている。宝永年間(1704~1710年)に海宝寺の覚□(かくよ)上人によって建立。その後砂に埋もれ弘化二年(1845年)再建。とあります。


お阿弥陀様前の供養塔群
敷地内に祀られた供養塔群。海難者供養塔、亀の供養塔が含まれていますが敷地内は立入禁止につき残念ながら遠景です。


今回はここまでです。この後平塚漁港(新港)近くの駐車場へ向かいました。


今回の参考文献です。
平成26年発行 平塚市博物館「平塚の石仏」

其の895 海宝寺の石仏・石造物・神奈川県平塚市幸町

 平塚の石仏・石造物巡りの三件目です。長楽寺に続いて海宝寺を訪ねました。

平塚市幸町・海宝寺
海宝寺山門です。ここは平塚市幸町26-21。


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山号寺号標に「常圓山 海寶寺」と号する浄土宗の寺院です。


平塚市幸町26-21 海宝寺
平塚市幸町26-21 海宝寺
海宝寺本堂です。広い境内や墓地にある石仏・石造物を順に見学します。


海宝寺の石仏
山門をくぐった左側の石仏です。中央の三面八臂の馬頭観世音に左側はお地蔵様、右側は庚申塔です。


海宝寺の馬頭観世音像
正面の写真では六臂に見えますがこの角度から見ると八臂です。火焔を背負い憤怒の相は不動明王像によく似ています。


海宝寺の庚申塔
庚申塔は六臂の青面金剛像で下部に三猿。造立年は不詳。


海宝寺の聖観音菩薩像
こちらは山門をくぐった右側の聖観音菩薩像です。


海宝寺の石仏群
同じく山門右側のピラミッド型に積み上げた石仏群です。


海宝寺の石仏群
墓石に如意輪観音、地蔵菩薩像などが見えます。


海宝寺の板碑型庚申塔
石仏群の中に庚申塔を見つけました。左上部が欠損していますが緻密な彫りの三猿から庚申塔と分かります。板碑型の上部には卍が大きく刻まれています。その下に寛文六丙午年とあるので1666年の造立です。今から360年ほど前に造られた古い庚申塔です。


海宝寺の石仏
ピラミッド型石仏群左側の石仏です。御影石の台座に文字が刻まれていますが判読できず。


海宝寺の石塔群
本堂に向かって左側の大型石塔群です。左から宝塔、万霊塔、徳本名号塔、阿弥陀三尊塔、名号塔、経塚。これらは関東大震災で倒壊した石塔を平成時代に修復したものです。


海宝寺の阿弥陀三尊塔
海宝寺の阿弥陀三尊塔
石塔群の一つ阿弥陀三尊塔です。正面が阿弥陀如来像で左側面に元禄四年辛未と刻まれ1691年の造立です。脇侍は文字で「南無大勢至菩薩」。右側面の脇侍は文字で「南無観世音菩薩」と刻まれています。


海宝寺の徳本名号塔
これは徳本名号塔です。逆光で見にくいですが独特の書体で「南無阿弥陀仏」と刻まれています。


海宝寺の阿弥陀三尊像
おしまいに墓地の一角に祀られた阿弥陀三尊像です。中央が阿弥陀如来で右側が脇侍の観音菩薩、左側は脇侍の勢至菩薩。尼僧4名と13名の女性による念仏講中が延宝三年(1675年)に造立。


今回は以下の書籍を参考にさせていただきました。
平成26年発行 平塚市博物館「平塚の石仏」


今回で乗蓮寺、長楽寺、海宝寺の石仏・石造物を順次見学したことになります。次回は須賀漁港界隈の路傍の石仏、力石を取り上げる予定です。

海宝寺の位置です。(地理院地図より)



其の894 長楽寺の石仏・石造物・神奈川県平塚市札場町

 平塚の石仏・石造物巡りの二件目です。乗蓮寺に続いて長楽寺を訪ねました。(掲載各画像はクリックすると拡大します)

長楽寺・平塚市札場町
長楽寺山門です。ここは平塚市札場町15-42


長楽寺・山号寺号標
山号寺号標に「高野山真言宗 海詠山長楽寺」


長楽寺・平塚市札場町
長楽寺本堂です。
開山:文治元年(1185年)
昭和20年、太平洋戦争により塔堂伽藍を焼失。現在の本堂や庫裏は平成の大復興計画により67年ぶりに建立された。
宗派:高野山真言宗
山寺号:海詠山 無動院 長楽寺
本尊:薬師瑠璃光如来
脇侍:日光月光菩薩とそれを守護する薬師十二神将

(案内板 海詠山長楽寺―縁起より)


長楽寺の石仏・石造物群
山門をくぐった右手に一堂に集められた石仏・石造物。


長楽寺の庚申塔
神奈川県指定有形民俗文化財の庚申塔です。
光背型塔で四臂青面金剛と二猿。四臂の持物は剣、宝棒、三叉檄、索、頭には三股冠に怒髪様のものを刻む。左右の二猿は両ひざを立て正面を向いて座る。紀年名はないが、これと同じタイプの庚申塔は県内に全部で7基ありそれらが承応二年(1653年)~明暦四年(1658)に造立されたことから同時期と推定される。(案内板より要旨)


神明宮の庚申塔
参考までにこれは茅ケ崎市神明宮の庚申塔で造立は明暦四年(1658年)です。神奈川県内に7基ある同じ形式の庚申塔の内の一つです。青面金剛像が彫られた庚申塔としては初期(今から365年前)のもので貴重です。


長楽寺の庚申塔
その隣の庚申塔は四臂青面金剛と三猿が刻まれた像です。合掌し弓と矛を持っています。造立は享保三年(1718年)十月。


長楽寺の庚申塔
これは六臂の青面金剛像で合掌し四臂は武器を持っています。上部に日輪月輪、下部に二鶏と三猿。邪鬼はいないですね。造立年は不明。


長楽寺の庚申塔
その隣の舟形庚申塔です。梵字・奉造立庚申供養塔 貞享四年丁卯(1687年)四月吉日の文字と不見不言不聞の三猿像がピラミッド型に大きく刻まれています。


長楽寺の大日如来坐像
庚申塔の後列に祀られた大日如来座像です。造立年不詳。
この像の石材は真鶴町産の小松石が使われています。小松石は緻密な複輝石安山岩で磨くと艶がでて堅牢かつ均質なため石仏の素材として好適な石材とされています。


  長楽寺の宝篋印塔  長楽寺の宝篋印塔
大日如来像の左右に立つ宝篋印塔です。平塚市内に58基ある宝篋印塔の内の2基です。


長楽寺の三界万霊塔
これは本堂右手の永代供養墓 三界万霊塔です。


長楽寺湘南ひらつか七福神 寿老尊像
その隣の湘南ひらつか七福神 寿老尊像です。


今回は次の文献を参考にしました。
平成26年 平塚市博物館発行「平塚の石仏」


長楽寺の位置です。(地理院地図より)


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