横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の493 神崎遺跡を見学しました・神奈川県綾瀬市

 6月13日(水)晴れ、相模原市立博物館のフィールドワークに参加、綾瀬市南部の寺社巡りのあと神崎遺跡を見学しました。

神崎遺跡立体模型
神崎遺跡資料館に展示の神崎遺跡立体模型です。
弥生時代後期(今から約1800年前)の環濠集落です。集落の形がほぼ完全な形で残っています。加えて東海地方(静岡県西部から愛知県東部)から集団移住した事実を示す遺跡であることから平成23年に国指定遺跡となりました。

神崎遺跡・神奈川県綾瀬市吉岡
神崎遺跡資料館2階ベランダからの眺めです。
写真右(東)側下方に目久尻川が南流しています。神崎遺跡は目久尻川右岸沿い台地上にあり、水害の怖れがない安全なところです。環濠集落(周囲に溝をめぐらした村)は南北103m、東西65mの楕円形、面積は5,600㎡ほどで18軒の住居跡が見つかっているそうです。
白色の曲線の道が環濠跡です。二棟の竪穴住居は住居跡の上に建てた形ばかりの復元で、竪穴は掘られていません。材料は稲わらだそうです。

神崎遺跡・環濠実物大模型
資料館に展示の環濠の実物大模型。縦横2mのV字形です。侵入者が突破するのはまず無理でしょうね。
出土した土器も多数展示されています。土器の形が東海系で、土器の土分析により綾瀬の土が使われたということから、東海地方から来た人々が綾瀬で故郷と同じ土器を作ったことが分かったそうです。

神崎遺跡・神奈川県綾瀬市
環濠跡一部を整備し公開可能な状態にしてあります。年に一回11月上旬に公開されるそうです。

綾瀬市神崎遺跡資料館
綾瀬市神崎遺跡資料館です。
神奈川県綾瀬市吉岡3425番地5

以下、当日のFWから主なものを取り上げます。

熊野社参道の石像物
熊野社参道の石像物。右から二つ目は出羽三山供養塔です。近隣の飯田村、和泉村、下土棚の人の名前があり出羽三山講中が組まれたことが窺えます。天明二年(1782)造立。その左右は庚申塔です。

綾瀬市上土棚・熊野社
上土棚の熊野社拝殿です。

熊野社本殿
覆殿内の本殿です。享保12年(1727)再建。

熊野社奉納品の絵馬
奉納された八点の絵馬を拝観。これはその内の一点です。

綾瀬市上土棚・連光寺
こちらは上土棚の連光寺です。浄土宗。増上寺末。文禄三年(1594)、徳川家家臣遠山安則開山。境内に遠山氏累代の墓碑群があります。

綾瀬市上土棚・連光寺阿弥陀如来像
本尊は阿弥陀如来です。許可を頂いたので畏れ多くもカメラを向けました。本尊の脇侍は聖観世音菩薩像と勢至菩薩像。裏側の徳本上人の像を特別に拝観。

連光寺内弁財天堂の弁財天坐像
連光寺内弁財天堂の弁財天坐像です。

連光寺の「摩仁車・まにぐるま」
連光寺の「摩仁車・まにぐるま」。摩仁車には般若心経が刻字されています。軽く手を当て、心経を唱えながら手前に回すとお経一巻読んだのと同じ功徳があるそうです。無精者にはありがたいですね。

綾瀬市山谷の石造物
おしまいに山谷バス停付近路傍の石像物です。
左から庚申塔。造立は万延元年(1860)、道標を兼ねています。
右端も庚申塔です。造立は不明。道標を兼ねています。
中央は地神塔です。造立は天保7年(1836)。地神塔のほとんどは文字塔です。像が彫られたものは大変珍しいそうです。

神崎遺跡の位置です。


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其の492 広瀬ダムへ行ってきました・山梨県山梨市三富

 6月3日(日)晴れ、山梨県初の多目的ダム・広瀬ダムへ行ってきました。ダムカードも忘れずゲットしましたよ。(^σ^)/

広瀬ダム
広瀬ダム堤頂より広瀬湖を望む。美しい眺めです。一級河川富士川水系笛吹川上流の渓谷をロックフィル式で堰き止めた多目的ダムです。

広瀬ダム堤頂
広瀬ダム堤頂の道。車両は通行不可、歩行者は自由に通行し見学できます。

広瀬ダム・広瀬湖
広瀬ダム・広瀬湖全景(広瀬ダム・ダムカードより)
目的記号はFNAWPとあります。
洪水調節、河川維持水、かんがい、上水道、発電の五つです。

広瀬湖
広瀬ダム左岸の駐車場から見た広瀬湖です。左側はロックフィル式のダム堤体。右岸寄りの常用洪水吐ゲート、非常用洪水吐が見えます。
今日は6月3日、貯水位は冬場用のEL1,054mです。夏場用(6月15日~10月15日)は洪水に備えEL1,043mに下げるそうです。

広瀬発電所
広瀬発電所
ダム直下の広瀬発電所です。取水塔から取り入れた水で発電し、放流水は専用導水路で下流の天科発電所上水槽へ送っています。

広瀬ダム管理事務所
洪水吐東側の山梨県広瀬ダム管理事務所。こちらでダムカードをもらいました。左側生垣にダム直下へ下りる遊歩道入口がありますが、残念ながら今日は通行止めでした。下りれば間近から広瀬発電所や笛吹川へ維持用水を戻す放水路が見られたはずです。

広瀬ダム洪水吐
これは広瀬湖から見た常用洪水吐ゲートとその右側は非常用洪水吐です。常用洪水吐は2門のローラーゲートの開閉により放流量の調節を行っています。

広瀬ダム洪水吐ゲート
管理事務所から見た常用洪水吐ゲート。

広瀬ダム洪水吐
管理事務所から見た洪水吐(手前が常用洪水吐、奥が非常用洪水吐)。

広瀬ダム洪水吐
ゲート管理橋から見た洪水吐下流方向。ゲート放流したら凄い眺めになるでしょうね。ここから見たいですね・・・。

広瀬ダム洪水吐ゲート
ゲート管理橋から見た上流側広瀬湖です。

広瀬ダム非常用洪水吐
管理橋から見た非常用洪水吐です。常用洪水吐のゲートが故障した時はここから自然越流して放流します。

今年4月に訪ねたあつぎつつじの丘公園の遊水池洪水吐とそっくりですね。

広瀬湖の巡視艇艇庫
洪水吐の近くにこんな施設もあります。巡視艇の艇庫です。

広瀬湖の巡視艇艇庫
艇庫に2隻の巡視艇が格納してあります。

広瀬湖の取水塔
こちらは広瀬湖左岸駐車場付近の取水塔です。
河川維持水、かんがい用水、発電用水、水道用水の取水ゲートです。
塔の高さは52m、塔の太さは7m。望遠鏡型の伸び縮みするシリンダーゲートで取水し地下導水トンネルに流れて行きます。

これと同じ形の取水塔を昨年千葉県鴨川市の金山ダムで見ました。「其の416 千葉県鴨川市の円筒分水工巡り①」

取水塔付近に掲示の水利使用標識(広瀬発電所取水口)
取水塔付近に掲示の水利使用標識(広瀬発電所取水口)。
目的は水力発電、 取水量は7.50㎥/秒

広瀬湖湖畔「水源の碑」
駐車場の一角に立つ「水源の碑」。平成元年に三富村が造立。

広瀬ダム関連施設見学のあと、藤木調整池を見に行きました。
広瀬発電所を発した放流水は一部が維持水として笛吹川に戻され、導水トンネルで天科発電所→柚ノ木発電所へ送り発電後の放流水は藤木調整池に貯留し畑地かんがい用水、上水道用水として利用されます。

山梨県笛吹川水系発電管理事務所
正門から見た山梨県笛吹川水系発電管理事務所です。右側に柚ノ木発電所があり、その前にある藤木調整池に放流しています。

藤木調整池
正門脇から見た藤木調整池。広大な池です。広瀬、天科、柚ノ木発電所で発電に利用した後、かんがい用水や上水道用にここで分けています。およそ1km下流の藤木発電所にも送っています。右側に何やら取水施設が見えます。

笛吹川沿岸土地改良区
右側取水施設は笛吹川沿岸土地改良区の施設でした。ここで取水したかんがい用水は管路により笛吹川右岸側(延長11km)、左岸側(延長37km)の畑地(ブドウや桃などの果樹園)に送られます。詳細は笛吹川畑地かんがい事業をご覧ください。

後ろ側の山の中腹から柚ノ木発電所に下る水圧鉄管が見えます。

柚ノ木発電所水圧鉄管
おしまいに柚ノ木発電所水圧鉄管です。細いパイプは余水路鉄管。もの凄い急勾配です。水圧鉄管の長さは568m、管内径は1.8mもあります。

山梨県には今日訪ねた広瀬ダムのほかに五つのダムがあります。それぞれダムカードを配布しています。いつか訪ねたいと思います。

広瀬ダムの位置です。


其の491 大雨の海老名分水路・海老名市下今泉

 前回「其の490」で発表した大雨の鳩川分水路を見たあと、下流の治水施設、海老名分水路の様子を見に行きました。

海老名分水路
今日の海老名分水路。洪水が轟々と流れる恐ろしい光景です。平常時と比較してください。右側の細い流れは下流へ向かう鳩川本流です。

海老名分水路
平常時の海老名分水路です。「其の451」より。

海老名分水路
倒伏した転倒堰と分水路へ流れ込む洪水。降りしきる雨も写っています。臨場感満点ですね!
護岸に扇形の転倒堰の跡が付いています。平常時は70度に起立し、現在は0度に倒伏していることが分かりますね。

海老名分水路
転倒堰上の堰操作室。海老名分水路管理者の神奈川県厚木土木事務所東部センターが分水路入口地上部設置の監視カメラ情報により遠隔操作していると思われます。

海老名分水路
分水路へ流れ込む洪水と左側は鳩川本流。あれっ!?なんか変ですね・・・。鳩川本流が下流へ流れないでこちら側へ逆流しています。

上河原橋より鳩川下流を望む
海老名分水路すぐ下流の上河原橋から見た鳩川の下流方向です。海老名市上郷のさくら橋で相模川に合流しています。現在は逆流しています。この辺りは勾配がゼロと言うことでしょうか。普段は転倒堰が起立しているので水圧に押されて下流に流れているんでしょうね。

海老名分水路は今年一月に鳩川を河口から源流まで探訪した時に見つけました。普段よく利用する県道51号線から300mほど入ったところにあるのですが、相模原に越してきて四十数年全く知らなかったので見つけた時は感動モノでしたよ! 水辺歩きの成果です。
その上に今日は鳩川が逆流していることも知りました。これは大雨の時に現場を観察しないと分らないですね・・・。
平常時の鳩川「其の451 鳩川源流探訪②」

海老名分水路の位置です。分水路吐口は300mほど西の相模川です。


其の490 大雨の鳩川分水路・相模原市南区下溝

 外はしとしと雨、台風5号が梅雨前線を刺激しているようです。
静かな雨でなく一気に大雨が降ったら鳩川分水路は、どんな状況になるのでしょう。いつも好天の日を選んで水辺歩きをしている管理人、その様子を見たくなり大雨の最中に行ってきました。怖いもの見たさですね・・・。(^σ^)
4月22日に撮影しました。画像をクリックすると拡大します。

大雨の鳩川分水路
大下橋より鳩川分水路上流を望む。ひえぇ~恐ろしい光景です。左から鳩川、中央が道保川、右側は雨水下水管吐口です。

鳩川分水路
これは普段の平安な鳩川分水路です。
「其の455 鳩川源流⑥」より。

鳩川分水路と道保川
少し上流、中央の道保川が鳩川分水路へ流れ込む様子です。左岸のゲートは閉じていると思われます。普段は鳩川分水路より南の鳩川の維持用水取水口としてそのほとんどを分水しています。今日の道保川はいつもと逆で100%鳩川分水路へ流れ込んでいます。
参考過去記事「其の454 鳩川源流⑤」

大雨の鳩川分水路
大下橋から見た鳩川分水路下流方向。相模線と県道を潜り新三段の滝から下方の相模川に合流しています。鳩川の洪水を相模川に落とすために造られた施設なので所期の狙い通りですね。

大盛橋より鳩川上流を望む
これはお天気の日に大下橋の一つ上流の大盛橋から見た鳩川です。左岸に取水ゲートがあります。「其の455」より。

大雨の鳩川・大盛橋上流
大盛橋から見た今日の鳩川。恐ろしい光景です。心臓が止まりそうです。今の瞬間だけ橋が落ちませんように・・・。
左岸の細長い水色の取水ゲートは、多分閉じているんでしょうね。まあ水が流れたとしても少量なら鳩川隧道分水路から三段の滝を流下し相模川に放流されるので心配することではありませんが・・。

大雨の鳩川・大盛橋下流
大盛橋から見た鳩川下流と鳩川分水路。一枚目の写真の上流になります。怖い光景ですが余裕をもって相模川に向って流下しています。
それにしても鳩川分水路の築造は大正解ですね。鳩川河口から源流まで歩いたのでよく分かりますが、鳩川分水路以南の鳩川では今日のような大雨では確実に河道から溢れ出て水害が発生しますね。素人目でも鳩川北流と南流では河道断面が全く違うのがよく分かります。

この日撮影した写真5枚をすべて発表しました。いやぁ~恐ろしかったですね・・・。「めっちゃくちゃおそぎゃあでいかんわ」とつぶやきながら逃げるようにこの場を離れました。
良い子やお年寄りは決して真似しないように。夜中に用水路の様子を見に行きそのまま帰らぬ人となったという話はよくありますからね・・・。

大下橋の位置です。


其の489 新戸用水路を歩く②・相模原市南区新戸

 前回の続きです。新戸用水支線用水路を日枝神橋の終点までたどった後、幹線用水路に戻りました。

新戸用水路
前回載せた写真②の先の暗渠水路です。点検用フタがあります。足元の草は刈り取ってあるので歩けますが前方は藪です。

新戸用水路
鬱蒼とした藪のトンネルを抜け、開けたところに出てきました。
やれやれ、ほっと一安心。

新戸用水路
暗渠の幹線用水路はずうっと続いています。南進します。

新戸用水路
暗渠用水路は電柱に突き当たっています。電柱下の桝の中を見ると流れは左(東)へ向かっています。

新戸用水路
左折し一筋目を右折し南下すると、琵琶の木の前でまた突き当りです。流れは東へ向かっています。右側の坂道を下ると台地下へ出ますが、用水路は頑なに標高を維持しながら台地上を概ね南の方へ向かっています。なぜでしょう? 探訪後今昔マップで確認すると台地の南側と鳩川右岸に挟まれた平地に水田記号が見られたので、なるほどと腑に落ちました。

今昔マップです。(今昔マップon the webより)

新戸集落の地図です。集落の北側に水田があります。前回見た今に残る田んぼです。台地南側の縁と鳩川の間にも水田記号が見えます。現在は田んぼから住宅地に変遷しています。

新戸用水路
東へ向かう暗渠の新戸用水路。

新戸用水路の支線用水路
分水桝から南へ向かう暗渠の支線用水路。幹線用水路の水量が少ないため流れはありません。この水路は屋敷境界を流れ下り白山姫神社の東側を流れ、台地下の釣瓶下公園付近から鳩川右岸に合流しています。何のために屋敷境界を通したのでしょう? 台地下の田んぼへのバイパスになりますが、水路沿いの屋敷の生活用水として使っていたかも知れません。

途中、陣屋小路の内藤清成の陣屋跡、酒まんじゅう店付近を通過しました。
内藤清成の陣屋跡
陣屋小路地名標柱
内藤清成の陣屋跡と陣屋小路地名標柱。
徳川時代に新戸村、磯部村などの相州五千石を所領していた内藤清成は、ここに「内藤陣屋」と呼ばれる屋敷を構えていました。そのため、この路地を「陣屋小路」と言います。 (地名標柱より)

酒まんじゅうのお店。ふっくら。
酒まんじゅうのお店。ふっくら。

新戸用水路
陣屋小路を越えると下り坂になりました。暗渠水路は続きます。
下り坂なので新戸用水路の終点は間近です。

新戸用水路
坂の下、鳩川に架かる四国橋手前で暗渠水路は道路から右手の方へ入って行きます。

新戸用水路
暗渠フタの上をたどるとこんなところに出てきました。これより先は民家の庭先なので歩けませんが、鳩川は目と鼻の先です。

新戸用水路
迂回して鳩川右岸から暗渠用水路上流を見ました。

新戸用水路終点・鳩川右岸の吐口
鳩川左岸から見た暗渠水路吐口です。フラップゲートが見えます。上の写真は、樹木の左側、緑色のフェンス越に撮影。

鳩川源流探訪で見つけた新戸用水探訪はこれでおしまいです。
陣屋小路地名標柱にあるように新戸は江戸の昔から鳩川右岸の台地に開けた集落です。集落内を流れる新戸用水は当時から農業や生活用水として重要な働きをしてきたんでしょうね・・・。

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