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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の677 堰の一部を投げ渡した羽村取水堰・東京都羽村市

 8月3日(月)、取水堰の一部を投げ渡した状態で稼働中の羽村取水堰を見てきました。初めて見る珍しい光景です。

東京都水道局羽村取水堰
東京都水道局羽村取水堰です。ここからその様子は見えません。


羽村取水堰・第2水門と玉川上水
管理橋から見た第2水門とそこから始まる玉川上水。水の色が先日の上野原用水・月見が池と同じですね。


東京都水道局羽村取水堰(投渡堰)
管理橋を渡りました。左岸寄りの一門が堰として機能していませんよ~。丸太を押さえていた桁が上に引き揚げてあります。堰を構成する丸太、そだ、砂利は無く流水音が凄まじいです。


羽村取水堰(羽村投渡堰)
羽村取水堰(羽村投渡堰)
平常時の羽村取水堰です。(過去記事「其の619」より)
羽村取水堰は、非常に珍しい投渡堰(なげわたしせき)と言う型式で、江戸時代の貴重な技術が現在まで継承されています。 
鉄の桁に杉丸太を立て横に差込丸太を通し、そだ(木の枝を束ねたもの)や砂利で堰を作りました。大水になり一定水位になると桁を外し、堰自体を下流に流し、大水が治まると堰を再構築しました。
 (東京都水道局・東京水道名所より要旨)


羽村投渡堰
これは洪水時の羽村取水堰です。「其の39」(2012.10投稿)より。

今日の珍しい投渡堰遭遇で①すべてを投げ渡した堰②一部を投げ渡した堰③平常時の堰と、羽村取水堰の三つの顔を見たことになりますね。(^σ^)


東京都水道局羽村取水堰(投渡堰)
上流側から見た第1水門と羽村取水堰(投渡堰)。


東京都水道局羽村取水堰(投渡堰)
水上公園通り(昔の奥多摩街道)から見た羽村取水堰です。

前回の羽村取水堰探訪記です。
其の619 羽村取水堰を訪ねる・東京都羽村市 
(2019/12投稿)

羽村取水堰の位置です。(地理院地図より)


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其の676 根がらみ前水田の大賀ハス・東京都羽村市

 8月3日(月)、ようやく梅雨が明けたので羽村市根がらみ前水田の大賀ハスを観に行きました。

羽村市の根がらみ水田
JR青梅線羽村駅から根がらみ前水田にやってきました。蓮田の広さは田んぼ一枚分くらいです。


羽村市の根がらみ水田
ちらほらとピンク色の大賀ハスが見えます。


羽村市根がらみ水田の大賀ハス
羽村市根がらみ水田の大賀ハス

羽村市根がらみ水田の大賀ハス  羽村市根がらみ水田の大賀ハス

羽村市根がらみ水田の大賀ハス  羽村市根がらみ水田の大賀ハス
つぼみばっかりです。ただ今時刻は13:00頃。訪れたのが一時遅かったかも。案内板によると開花時期は7月下旬から8月上旬の早朝6時頃とあり、まことに残念!でした。

現地案内板によると
大賀ハスは、昭和26(1951)年、故大賀一郎博士の指導のもと、千葉県の検見川遺跡から発掘された2000年前の植物であります。発掘された三個のハスの実の内大賀博士の努力によりその中の一個が大きく成長し、見事なピンクの花が咲きました・・・。この花は東京都町田市の大賀藕絲(ぐうし)館より譲り受け植え付けた。開花時期は7月下旬から8月上旬の早朝6時頃。 (案内板より抜粋)

町田市は相模原市の隣町です。大賀藕絲館の大賀ハスは以前観賞したことがあります。町田市では薬師池公園の大賀ハスが有名です。

藕絲(ぐうし)って何でしょう?
町田市大賀藕絲館では大賀ハスを原材料にした、織物やお手玉、人形、お菓子などを障害がある人達が手作りしています。中でも、ハスの糸から抜き出したクモの糸のような細い糸を「藕絲(ぐうし)」と呼び紡いで織ったものが「藕絲織(ぐうしおり)」です。天平時代から伝えられたハスの文化を象徴する織物です。 (小山田神社参道大賀ハス案内看板より) 


残念なので過去記事より町田市の大賀ハスをご覧ください。
小山田神社大賀ハス 2014
小山田神社大賀ハス 2014
町田市大賀藕絲館(おおがぐうしかん)蓮田に咲く大賀ハス。
其の168 桜ヶ谷堰用水路と大賀ハス(2014/7投稿)より。


薬師池公園の大賀ハス
「其の165 薬師池公園の大賀ハス」 (2014/07投稿)より。


こちらは白蓮(しろはす)です。
羽村市根がらみ前水田の白蓮
羽村市根がらみ水田前の白蓮
同じ根がらみ前水田の少し離れたところに白蓮の植栽地がありました。


根がらみ前水田の位置です。


其の675 上野原用水②・三二山取入口・山梨県上野原市

 上野原用水・月見が池を訪ねた後、鶴川上流の棡原三二山(ゆずりはらさんにやま)の取入口を見に行きました。

桂川支流・鶴川
県道33号線またと橋(俣途?橋)より鶴川上流の眺めです。
取入口はすぐ上流の右岸側にあります。左岸に三二川が合流しています。


鶴川支流・三二川
新山王橋より三二川の眺め。落差工(床固工)が続く急流河川です。


上野原用水取入口・棡原三二山鶴川右岸
またと橋と三二川に架かる新山王橋を渡り鶴川左岸から見た取水堰です。床固工のように見えるコンクリート製の固定堰で、右岸側は土砂吐と思われます。崖上から通じる管理用階段の手すりが見えます。


上野原用水取入口・棡原三二山鶴川右岸
やや上流から見ると土砂吐ゲートと巻上げ機が見えます。その3mほど上流(画像中央)に取入口があります。白波が立つ位置にスクリーンが、その奥には水色のゲート巻上げ機が見えます。ここが延長8.7kmの上野原用水の始まりです。凄いところに設けましたね~。驚きました。
上野原用水は大正5年に着工し大正8年に完成したのですが、当時、土木機械はなくノミやハンマーで岩を砕いてトンネルを掘り進め、すべて人力による作業だったそうです。


またと橋より鶴川下流の眺め
またと橋から鶴川下流の眺めです。右岸の取入口から始まる水路トンネルはこの下流で鶴川をトンネルで潜り、左岸側へ渡っています。そして山や谷をトンネルや水路橋で越え上野原台地へ向かいました。上野原用水の完成により台地は水田地帯に変わり、およそ100年経った現在も現役としてコメ作りを支え続けています。

きょうは、初めての探訪で取入口まで見ることができ幸運でした。というのも土地改良区さんで行き方を教わり資料までいただいたおかげです。ありがとうございました。今回でひとまず締めますが、これより下流の施設・水路橋やサイフォンも私的には大変魅力的です。探訪次第随時発表したいと思います。

参考資料です。
上野原用水案内マップ(上野原土地改良区)
耕輝第6号(山梨県農政部耕地課)

県道33号線またと橋の位置です。(地理院地図より)



其の674 上野原用水①・月見が池を訪ねました・山梨県上野原市

 農林水産省の「ため池百選」に山梨県で唯一選定されている月見が池を探訪しました。

ため池百選・月見が池
南側堰堤付近から見た月見が池です。水面に青空を映した真っ青な池を撮りたかったのですが、今日は7月30日(木)、生憎の梅雨空のせいでぼんやりとした池になりました。梅雨時の桂川支流鶴川から取り入れた水なので白濁しています。


ため池百選・山梨県上野原市の月見が池
こちらは北側親水デッキから見た月見が池です。正面はアースダム形式の堰堤。


ため池百選・月見が池南側堰堤
堤長75mの南側堰堤です。中央の階段下に溜めた水の出口があり、上野原用水に流れていきます。池に流入した分が溢れ出るので水位は常に一定ですね。

月見が池
築造年:昭和6年9月  かんがい面積:37ha
形式:アースダム  堤高:5.0m  堤長:75.0m
貯水量:24,500t  満水面積:0.97ha

(案内板より)

上野原用水
上野原地区は桂川河岸段丘の上にあって、古来から水の少ない地域で米作りができなかった。桂川支流の鶴川(棡原三二山・ゆずりはらさんにやま)から水を引くことになり、明治36年上野原水利会が結成され調査が始まり、大正4年に上野原耕地整理組合が結成され、同5年着工。3年後の大正8年4月に総延長8.7kmの上野原用水が完成。月見が池はこの用水路の途中にあるため池である。

(案内板・案内マップより要約)


ため池百選・山梨県上野原市の月見が池
月見が池はこんな形をしています。中央の楕円形は浮島。北西角は東部地域水道企業団の上水道施設です。東側池沿いの道は散策用親水デッキです。 (案内板より)


月見が池の用水流入口
月見が池の北西隅にある流入口です。棡原三二山で取水した用水はここから月見が池に入ります。


月見が池堰堤上の耕地整理記念碑・施設名標石
南側堰堤上に立つ「耕地整理記念碑」と「ため池百選月見が池」石造り施設名看板。


キマダラルリツバメの案内板
これは記念碑の隣に立つ山梨県指定天然記念物キマダラルリツバメの案内板です。幼虫は桜の古木に営巣するムネジワハリブトシリアゲアリの巣の中で生育しサナギになるそうです。


月見が池の江の島神社(弁財天)
東部地域水道企業団の上水道施設の南側に鎮座する江の島神社(弁財天)です。江の島神社は月見が池が作られた昭和6年9月7日に町の安泰を祈願して建てられたものです。


ため池百選・山梨県上野原市の月見が池
江の島神社(弁財天)前から月見が池の眺め。浮島になんか花が咲いています。手前の木製デッキは毎年7月に行われる弁財天祭りの灯篭流しに利用されるそうです。


東部地域水道企業団の上水道施設
東部地域水道企業団(大月市・上野原市へ水道供給)の上水道施設です。施設は稼働中でした。上野原用水は水道原水としても使われていることが分かりました。


以下、帰りに保福寺(ほうふくじ)にお参りしたので簡単に紹介します。
保福寺・別名月見寺山門
保福寺山門案内板
月見が池の北側に所在の保福寺・別名月見寺山門です。
上野原市指定文化財。慶応元年(1865)再建。構造は四脚門で、屋根は切妻造・銅瓦葺、正面に軒唐破風を付けた唐門形式。


保福寺本堂・山梨県上野原市上野原3400番地
保福寺本堂です。安寧山と号し、曹洞宗の名刹。室町戦国期に上野原を支配した加藤景忠の創建と伝えられる。
所在地は上野原市上野原3400番地 


保福寺の鐘楼
保福寺の鐘楼案内板
保福寺の鐘楼です。山門とともに上野原市指定文化財です。
慶応元年(1865)、信州佐久郡小諸出身の大工棟梁小山正作が山門とともに再建。


今回の参考資料です。
現地案内板・上野原用水案内マップ(上野原土地改良区)


月見が池の位置です。(地理院地図より)


其の673 多摩川水系南浅川を歩く②・東京都八王子市

 南浅川の治水施設などを見ながら下流へ歩いています。

京王電鉄御稜線(廃線)橋脚跡

京王電鉄御稜線(廃線)橋脚跡  京王電鉄御稜線(廃線)橋脚跡
左岸遊歩道から京王電鉄御稜線(廃線)橋脚跡が見えたので寄り道です。現在の京王高尾線山田駅から終点の多摩御陵前駅へ至る御稜線廃線跡に現存する遺構です。ブラタモリで放映されたので知っていましたが、まさか南浅川探訪で出合うとは嬉しい誤算です。(^σ^) いつか廃線跡をたどってみたいですね。


南浅川・横山橋
横山橋に到着。


横山橋より南浅川下流を望む
横山橋より下流の眺め。南浅川は北東方向へ流れています。


南浅川右岸・横山橋下流
横山橋下流右岸高水敷に設けた遊歩道とサイクリングロード。その内側には高さ2m位の土手が築かれ桜並木となっています。


南浅川の床固工
2段式の床固工。左岸は高水敷の桜並木のみ。その内側に右岸のような土手はありません。


南浅川に合流する小河川
左岸に小河川が合流しています。河川の合流なので護岸は不連続となります。近年、西日本豪雨(2018年)、19号豪雨(2019年)などでバックウォーター現象による氾濫が起きています。T字型合流はバックウォーター現象が起こりやすく、Y字型が望ましいと思うのですが、ここはY字型です。小河川流域で降雨が少なく、南浅川上流部が大雨で洪水になると霞堤から小河川へ逆流し、調節池のような働きをすると思います。


南浅川の床固工
その下流、複雑な構造をした床固工。中央は魚道を兼ねていると思います。


南浅川のアオサギとダイサギ
床固工下流のアオサギとダイサギ。


南浅川・水無瀬橋上流
水無瀬橋上流左岸から南浅川上流を見たところです。サイクリングロード沿いに柵があります。


南浅川・水無瀬橋上流の水路
柵の前に立つと水路跡のようなものがありました。これは何でしょうかね。


南浅川・水無瀬橋上流の水路
逆方向から見ると柵の下で行き止まりです。前方の橋は水無瀬橋です。


グーグルマップを開くと上記水路跡の上流30mほどのところ(地図中心)にもっと広い謎の水路が描かれています。しかし現地にその水路も跡地らしきものもなく狐につまされたような話です。(地図を航空写真に切り替えると何もないことが確認できます)グーグルマップに示されているからにはその根拠があるはず。

私はこの水路はかつての「霞堤」ではないかと想像しています。南浅川が洪水になった時に霞堤から水路に逆流させ、今で言う調節池の働きをさせたのではないかと。参考にした論文「江戸時代の浅川治水と八王子のまちづくり」に水無瀬橋上流に霞堤が残っているとの記述があります。たぶんこの水路を指しているのではないでしょうか。
今昔マップも開いたのですが残念ながら該当する水路はなかったです。ほんと謎の水路ですね。


南浅川・水無瀬橋
南浅川に架かる陣馬街道・水無瀬橋です。


曹洞禅宗宗格院
おしまいに石見土手を見るために千人町の曹洞禅宗宗格院を訪ねました。ここは八王子市千人町2丁目14番18号


宗格院の石見土手の遺構
境内の一角に現存する八王子市指定史跡「石見土手」です。石見土手の所在場所が分からず寺院の方に案内していただきカメラに収めました。


石見土手案内板
石見土手の案内板です。八王子宿を築いた大久保石見守長安が慶長年間に築いた堤で「石見土手」と呼ばれる。


宗格院の河西祐助知節顕彰之碑
これは石見土手案内板の隣「河西祐助知節顕彰之碑」です。寺院の方のお話によると、河西祐助知節は八王子千人同心の隊長。千人同心は江戸時代後期、北辺警備と苫小牧の開拓に当たる。それが縁で現在、八王子市と苫小牧市は姉妹都市の関係にある。

今回はここまでです。この後、JR中央本線西八王子駅へ向かいました。水無瀬橋下流から浅川合流点まではいつか歩きたいと思います。


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