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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を探訪します。横須賀水道みち、県営水道、企業団、東京水道みちなども。

其の530 柏尾通り大山道を歩く②・泉区岡津町~いずみ中央駅

 前回の続きです。大山道を大山へ向かって歩いています。

柏尾通り大山道・泉区岡津町
双体道祖神と岡津村の地神塔を過ぎ、直進するとこのT字路に突き当たります。なんとなく左へ曲がりたくなりますが、交差点を右折します。

桂坂公園・横浜市泉区桂坂
桂坂公園を通り横浜市中川地区センターへ寄ります。休憩と庚申塔を見学するためです。

中川地区センターの庚申塔
中川地区センターには年代を代表する三基の庚申塔が保存してあります。前回見た岡津村の地神塔付近にあったものをこちらへ移しました。

中川地区センターの庚申塔
左端の庚申塔です。青面金剛と大き目のお猿さん。正徳二年壬辰(1712年)十一月造立。

中川地区センターの庚申塔  中川地区センターの庚申塔
真ん中の庚申塔は主尊が阿弥陀菩薩です。お猿さんは大き目で三面に彫ってあります。寛文十一年(1671年)造立。
右端の庚申塔は文字塔です。造立年不詳です。文字塔なので上記より時代は下っていると思います。

柏尾通り大山道・横浜市泉区西が岡1
いなげや前を通り西が岡1丁目交差点を左折します。

柏尾通り大山道
続いて西が岡1丁目西側交差点を左折します。

柏尾通り大山道・横浜市泉区弥生台
長い急坂を上ります。ステッキがほしいくらい急な坂です。

柏尾通り大山道・横浜市泉区
坂上のT字路を左折しすぐに右折するとやっと平坦な道になります。

柏尾通り大山道・横浜市泉区
時刻は15時頃、影が伸びて来ました。

柏尾みち大山道の庚申塔兼道標
八王子道(手元の別の地図では鎌倉道)との交差点(和泉小入口信号)角にある庚申塔です。側面に「東かしお道 西大山道」「南ふじ沢道 北八王子道」と刻まれており道標を兼ねています。

柏尾通り大山道案内板
傍らに立つ柏尾通り大山道案内板です。

出羽三山供養塔・泉区和泉町
その先進行方向右側の出羽三山供養塔です。ここで左折します。

柏尾通り大山道・横浜市泉区和泉町
柏尾通り大山道を黙々と歩きます。

柏尾通り大山道・横浜市泉区
逆光のため来た道を振り返りました。横浜市泉区いずみ中央北6丁目付近。

柏尾通り大山道・横浜市泉区
長後街道(県道22号線)交差点へ出てきました。泉区総合庁舎東交差点です。

蚕御霊神塔と庚申塔・横浜市泉区
泉区総合庁舎東交差点を渡った左側に石像物が4基立っています。

柏尾通り大山道の庚申塔
真ん中の2基は文字塔の庚申塔です。造立年等は不明。

蚕御霊神塔・横浜市泉区
左端の角柱塔は「蚕御霊神塔」と言い蚕の慰霊のために明治11年(1878年)に造立されました。

蚕御霊神塔案内板
蚕御霊神塔の案内板です。


柏尾通り大山道歩きの初日(11月24日)はここまでです。このあと近くの相鉄線いずみ中央駅へ向かいました。

今回のスタートT字路の位置です。


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其の529 柏尾通り大山道を歩く①・大山不動堂~泉区岡津町

 11月24日(土)、相模原市立博物館のFWで大山道を歩いてきました。水道みちや用水路歩きで大山道との交差や、道端の大山道道標との出合がありました。しかし大山道をまだ歩いたことはありません。大山道は何通りかありますが、今日歩くのは東海道から分岐する柏尾通り大山道です。

柏尾の大山不動堂
柏尾通り大山道のスタート地点、横浜市戸塚区にある柏尾の大山不動堂です。大山参拝者の安全と無事を祈願するため建立されました。江戸時代、大山参拝者は東海道からこの道に入り伊勢原の大山へ向かいました。お堂周りに大山道道標、灯篭、庚申塔などがあります。左から享保12年建立の道標。その奥が灯篭、右端は明治5年建立の道標。その左に庚申塔が見えます。

柏尾の大山不動堂・庚申塔
庚申塔です。延宝庚申八年(1680年)四月建立。

R1(旧東海道)の「大山前不動」地名標柱と案内板
R1(旧東海道)の「大山前不動」地名標柱と「柏尾の大山道入口」案内板です。大山不動堂は入ってすぐ右側にあります。

明治期の今昔マップです。(今昔マップon the webより)。

東海道(下柏尾)から北西に延びている道が柏尾通り大山道です。2画面に切替えできます。大きな地図は右サイドバーからリンクできます。

柏尾通り大山道・戸塚区柏尾町
大山不動堂を後に柏尾通り大山道(以下柏尾道)を北西へ進みます。前方に架かる橋は大山跨線橋です。

大山跨線橋より東方を望む
大山跨線橋下にある階段を上り跨線橋上に出ました。跨線橋から見た東方向の眺めです。東海道本線と柏尾川を渡っています。

柏尾通り大山道・横浜市戸塚区
大山跨線橋を渡り現代の柏尾道を歩いています。

旧富士橋の親柱

富士橋(猿橋)案内板
その先、阿久和川に架かる富士橋たもとの旧富士橋の親柱と富士橋(猿橋)案内板です。有名な甲斐の猿橋とゆかりがあるそうです。

柏尾通り大山道
横浜新道のガードを潜り、上矢部町315を右折します。

柏尾通り大山道・阿久和川
右折すると阿久和川に架かる東洋橋へ出ます。ここから柏尾道は阿久和川沿いの遊歩道(AQUAさんぽ道)になります。

柏尾通り大山道
親水護岸がある柏尾道。私はいつものように最後尾をついていきます。

柏尾通り大山道
片曽橋付近で桜が咲いていましたよ。

柏尾通り大山道・阿久和川
阿久和川沿いの柏尾道(AQUAさんぽ道)が続きます。

柏尾通り大山道
阿久和川右岸川沿いの柏尾道はバス停岡津橋では左岸に移ります。

柏尾通り大山道・阿久和川不動橋
不動橋まで遡ってきました。左岸側、前方の丘にある富士塚を見に行きました。

富士塚・泉区岡津
急階段を上りますよ・・・。年寄りには辛そうですね・・・。

富士塚・横浜市泉区岡津町
健脚な人はもう富士塚頂上を極めています。

富士塚・横浜市泉区岡津町
遅ればせながら私も登頂しましたよ。(^σ^)/

向導寺と富士塚案内板
向導寺と富士塚案内板です。

永明寺別院

大山道道標・永明寺別院門前
富士塚に登った後は不動橋へ戻り橋を渡ります。これは渡ったすぐ右手の永明寺別院と門前の不動明王を冠した大山道道標です。上部に庚申供養とあり庚申塔も兼ねています。右側面には「右ほしのやみち」と刻まれています。享保十年(1725年)建立。

柏尾通り大山道・泉区岡津町
柏尾道をどんどん進んでいきます。ここは横浜市泉区岡津町。

双体道祖神と地神塔・横浜市泉区岡津町
左手丘の裾、道端の双体道祖神と道標を兼ねた岡津村の地神塔です。

柏尾通り大山道案内板
傍らに立つ柏尾通り大山道案内板です。


初日はいずみ中央駅まで歩きましたが、長くなるので今回はここまでです。次回に続きます。
一度は歩いて見たかった大山道。相模原市立博物館企画に乗りこれから月に一回のペースで大山道を歩く予定です。

其の528 冬の海老名分水路・神奈川県海老名市上郷

 前回、ナベトロ線軌道跡をたどり相模川の砂利河原まで見届けました。帰り道、鳩川の海老名分水路などを見ながらJR相模線入谷駅まで歩きました。

海老名分水路排水樋管吐口
座間市四ツ谷の砂利河原の下流です。相模川左岸堤防を貫いた海老名分水路排水樋管吐口の上に立ちました。前方の本流へ向かう流れがまったくありません。右側は神奈川県厚木事務所東部センターの監視カメラです。

鳩川の海老名分水路
吐口から320m上流にある海老名分水路です。以前来たときと様子が違いますね・・・。越流していません。

海老名分水路転倒堰
転倒堰を拡大しました。油圧シリンダーが丸見えです。鳩川の水位が30cm位下がっています。ここのところ雨が降らないせいでしょうかね。鳩川の源流、道保川の流量減や農業用水路から余水排水流入がないせいかもしれないですね。

鳩川放水路
今年1月に来たときはこのように越流していました。

海老名分水路施設内容
神奈川県厚木土木事務所東部センターが立てた海老名分水路施設内容看板です。施設の役割とその内容が書いてあります。

海老名分水路は大雨が降った時、下流域の水害を防ぐため分水路により雨水を相模川に放流し、流域の安全を図るための施設です。
計画放流量:120㎥/秒 
分水路構造:ボックスカルバート(6.45×4.70m×2連)
分水路延長:320m 


海老名分水路
大雨になると海老名分水路はこんな恐ろしい光景になります。倒伏した転倒堰と分水路へ流れ込む洪水。

海老名分水路下流の鳩川
今日の海老名分水路下流、鳩川の様子です。流量不足のため流れはありません。上流からの水圧がないと流れないみたいです。大雨の日に来たときは、分水路から放流のため水位が下がり、珍しい鳩川の逆流現象を見ることが出来ました。

アカバナユウゲショウ・海老名市鳩川沿い
今日(11月21日)もこの花を見ましたよ!♪ 鳩川沿いにたくましく咲くアカバナユウゲショウ。私が注目する花期の長い花です。

日枝大神・座間市四ッ谷
座間市四ツ谷の日枝大神に参拝しました。
創建は元亀年間(1570~1573)。創建者は織田信長に敗れた美濃国(岐阜県)の斉藤龍興(道三の孫)の遺臣四名で、この地を開拓し祭神大山咋命を四ツ谷の氏神として祀ったと伝えられています。 (案内板より抜粋)

日枝大神の庚申塔
日枝大神境内の庚申塔です。文政十?年造立。

相模川左岸幹線用水路・入谷駅付近
入谷駅近くまで来ました。JR相模線沿いの相模川左岸幹線用水路です。あれっ!? 季節外れなのにとうとうと流れていますよ。海老名市の冬みず田んぼへ用水を送り始めたようです。

関連記事です。

其の451 鳩川源流を訪ねる② (2018.01投稿)
其の491 大雨の海老名分水路 (2018.06投稿)
其の267 冬みず田んぼを訪ねる・海老名市下今泉 (2016.01投稿)
其の266 冬の左岸用水と冬みず田んぼ (2016.01投稿)

今回のスタート海老名分水路排水樋管吐口の位置です。


其の527 相模川ナベトロ線軌道跡を歩く・座間市四ツ谷

 今年10月に座間市の相模川旧堤防を歩き「其の521」で発表しました。私は気付かなかったのですが、ナベトロ線跡(砂利運搬トロッコ線軌道跡)を歩いていたらしいのです。チャコさんのブログでヒントをもらい初めて知りました。
今昔マップを開くと確かに軌道が描かれています。トロッコはどのようなところを走っていたのか地図を片手に見に行きました。

JR相模線入谷駅
11月21日(水)JR相模線入谷駅ホームの南端です。今日はここから探訪スタートです。
昭和10年、相模川で採取した砂利はナベトロ線で貨物(砂利用)駅として新設された入谷駅西側(写真左側)まで運び、ナベトロから相模線の貨車に積み替え京浜地区へ運んでいました。

トロッコ線軌道が描かれた今昔マップです。2画面に切替えできます。(今昔マップon the webより)



JR相模線入谷駅南の踏切
入谷駅から300mほど南側の踏切です。脇道が相模線手前で左へ曲がっています。これが西の相模川河原から来たナベトロ線の跡です。入谷駅が開設される昭和10年以前、ナベトロ線は前方の丘(座間丘陵)にある小田急線座間駅まで砂利を運んでいました。崖が急なためウインチを利用したそうです。

ナベトロ線跡・JR相模線南
相模線土手沿いを北方の入谷駅へ向かう小道。今に残るナベトロ線跡です。ナベトロとはトロッコを架台とし砂利を積載する容器がナベに似ていたので合せて「ナベトロ」と称したそうです。
鉄製で積載量約1トン。

鳩川の白鷺橋
踏切西側鳩川に架かる白鷺橋です。ナベトロ線は橋の北側を渡っていました。

鳩川に架かる白鷺橋
鳩川右岸から見た白鷺橋です。現在の白鷺橋は1983年(昭和58年)架橋です。ナベトロ線は1955年(昭和30年)にダンプトラックの普及により廃線となり、さらに鳩川の護岸改修などもあり当時の痕跡は残っていなかったですね・・・。

座間市四ッ谷・ナベトロ線跡
白鷺橋から西へ進みます。今昔マップによるとこの道路右(北)側をナベトロ線は走っていました。前方左側に日枝大神の森が見えてきました。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
日枝大神角で用水路に突き当たります。ナベトロ線は用水路を越え西に向かっています。左側は座間市消防団の建物です。

トロッコのレール・座間市四ッ谷
ここで面白いものを見つけました。用水路内にトロッコのレールが二本立っていました。

トロッコのレール・座間市四ッ谷
間違いなくトロッコレールです。寸法を測ると上部(車輪が接する面)幅が30mm、下部幅は53mm。高さ(上下間)は60mmでした。かつてナベトロ線に使われていたレールと思われます。
横浜水道みちを歩くとトロッコのレールが注意看板の支柱や横浜市水道局用地の境界柵として利用されているのを見かけますが、それと全く同じレールですね。
何のためにレールが用水路の中に立っているのでしょうかね。水路壁が倒れないようにありあわせのレールを打ち込み、支えにしたような気がします。錆びないので丈夫で長持ちしています。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
用水路を渡り県道51号線を横断します。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
そのまま直進すると柵でガードされ通行止めです。徒歩なので構わず進入します。道は正面の大山に向っています。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
広い道の中は草茫々ですが踏み固めた小道が続いています。犬の散歩者とすれ違いました。いかにもナベトロ線跡らしい道です。かつてこの道を牽引車(蒸気機関車をごく小さくしたような形のガソリンエンジン車)に引かれた12両編成のナベトロ列車が走っていました。今では信じられないような光景ですが・・・。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
草茫々の道を抜けました。今昔マップをよく見るとこの辺りで北方の新田宿河原で採取した砂利を運ぶ小田急ナベトロ線が合流(分岐)していました。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
前方を横切る砂利道は私が10月に歩いた相模川旧堤防です。ナベトロ線は旧堤防を跨ぎ大山の方へ向かっています。

相模川旧堤防・座間市四ッ谷
交差点より相模川旧堤防北方向を見ました。小田急ナベトロ線はこの先旧堤防沿いを北上し新田宿河原から採取した砂利を運んでいました。私は知らなかったのですがトロッコ軌道に沿って歩いたことになります。陸閘を見つけたあの道です。(軌道跡は今昔マップ参照)

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
旧堤防交差点の先です。大山に向って直進します。

用排水路・座間市四ッ谷
南流する用排水路を渡ります。この用排水路は鳩川に合流しています。

相模川堤防・座間市四ッ谷
丸太の柵左側は現在築堤養生中の相模川堤防です。大山に向って直進するとこの堤防に突き当たります。
今昔マップによると、用排水路を渡ったところでナベトロ線は南西へ向きを変え相模川堤防を越え河原へ下りていました。この辺り一帯の農地を斜めに横断していたのですが軌道の痕跡を見つけることはできませんでした。

相模川・座間市四ッ谷~海老名市上郷
相模川・座間市四ッ谷~海老名市上郷
築堤中の堤防に沿って下流へ歩き相模川河原へ下りる道を見つけました。砂利がいっぱいありますね・・・。砂利採取当時、砂利船を浮かべ木製桟橋をかけナベトロを通していました。ここは座間市と海老名市の境界付近です。


参考文献 
座間市立図書館蔵 座間むかしむかし28集「ナベトロ線のこと」

相模原市のナベトロ線について相模原市立博物館による詳細な報告書が公開されています。内容は座間市より上流新磯・相武台前駅間でナベトロ、牽引車、桟橋等の写真も載っています。
相模川新磯鉱区から相武台地区に至るナベトロ軌道

今回の投稿で廃線記事は4件目となりました。「廃線軌道跡」カテゴリをあらたに設けました。

其の526 史跡田名向原遺跡公園を訪ねる・相模原市中央区

 今年6月に綾瀬市の神崎遺跡を見学しました。私が住む相模原市にも遺跡があり先日訪ねました。いつもの水辺歩きとはまったく関連がない話ですが簡単に取り上げたいと思います。

史蹟田名向原遺跡公園
園内に入りまず目立つのはこの古墳です。7世紀前半を中心とする古墳時代の円墳を近くから移築復元した12号墳です。この辺り一帯で確認された古墳(谷原古墳群)は全部で14基あるそうです。近くの神奈川県内広域水道企業団の相模原ポンプ場の中にはこれと同規模の1号墳が保存されています。

史蹟田名向原遺跡公園・円墳
第1~第4日曜日はボランティアガイド日でガイドさんが説明してくれます。またこの日に限り古墳内部も見学できます。

史蹟田名向原遺跡公園・円墳内部
古墳内部の石室です。直刀や鏃(やじり)、ピアス(耳環)、ネックレスなどが出土したそうです。その一部は「旧石器ハテナ館」に展示してあります。

史蹟田名向原遺跡公園・14号墳
こちらは12号墳の西隣14号墳です。小型です。案内パンフには位置表示とあり、本物かどうかは分かりません。

史蹟田名向原遺跡公園・13号円墳
階段上、多目的広場のさつき植込が13号墳位置表示です。

史蹟田名向原遺跡公園・住居状遺構
これは日本で唯一2万年前の「住居状遺構」です。国指定史跡。
後期旧石器時代の住居跡と考えられている住居状遺構の復元(レプリカ)です。本物は復元面の1.5m地下にあり、土で覆い保護しています。直径は10mほどで柱穴跡、炉跡、作業場跡のほか3,000点もの石器類が見つかりました。平成11年1月28日に国の指定史跡となる。

住居状遺構の想定建物復元模型
住居状遺構の想定建物復元模型です。
(旧石器ハテナ館パンフより)

史蹟田名向原遺跡公園・黒曜石の産地
住居状遺構前、「遺跡の地層と黒曜石の産地推定」案内です。
住居状遺構から出土した黒曜石の産地が図示されています。
長野県の蓼科エリア産が最も多く次いで静岡県天城、神奈川県箱根、長野県和田、栃木県高原山エリアの順。

史蹟田名向原遺跡公園・竪穴住居案内板
縄文時代中期(約5000年前)の竪穴住居(復元)も展示されています。炉跡や柱穴跡が残っています。(写真は案内板より)

史蹟田名向原遺跡公園・竪穴住居復元
復元竪穴住居は残念ながら平成28年8月に焼失したそうです。現在復旧工事が行われています。年内に完成するそうです。

史蹟田名向原遺跡公園・竪穴住居
焼失前はこんな感じでした。茅葺製で小型です。中は家族が暮らせるほど広くなく見張り小屋のような役割だったと思います。

史蹟田名向原遺跡公園・段丘地層モデル
遺跡公園の南端に「遺跡が立地する段丘の地層(複製)」が展示してあります。段丘礫層とか関東ローム層など古淵の露頭で学んだことが書いてあります。

史蹟田名向原遺跡公園・段丘地層復元  史蹟田名向原遺跡公園・段丘地層復元説明パネル
地層の複製と説明パネル。

旧石器ハテナ館
県道48号線を挟んで遺跡公園の向かい側が史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館(愛称「旧石器ハテナ館」)です。旧石器時代を中心とした展示室、体験教室などがあります。駐車場有。
開館時間 4月~10月 午前9時~午後6時
        11月~3月 午前9時~午後5時
休館日   12月29日~翌年の1月3日

史蹟田名向原遺跡公園より相模川を望む
遺跡公園より相模川を望む。遺跡公園は左岸崖上に位置しています。
前方の橋は圏央道・相模原愛川IC間連絡路です。車ならICから近く便利なところです。是非一度お出かけ下さい。

史蹟田名向原遺跡公園の位置です。


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